マスコミでは取り上げなかった、中国・四川省大地震におけるボランティアの活動について報告する。
改善されてきている日本の災害救援ボランティア
各地の被災地を取材で訪れる中で、日本の災害救援ボランティアは多くの問題を抱えながらも、回を重ねるごとに多くの事柄を学び、より合理的に、より被災者の立場に立ってスムーズに行動できるようになりつつある。
行政との関係においても、必ずしも協力協働の関係にあるとはいえないかもしれないが、確実に改善されてきていると実感している。
受け入れ態勢の不備

綿陽市北川県では、生徒1000人あまりが生き埋めになり、600人以上が死亡した北川中学の隣にある現地対策本部の中に、いわゆるボランティアの登録所が設置されていた。
小さな張り紙一枚だけがテントにはられ、中には担当職員が2名いるだけであった。
その受付のテントは、対策本部の一番奥の隅っこにあったので、少し注意して探さないと見つけることができない。
受付担当の職員は2名しかいないが、さほど忙しそうにもしていない。ボランティアの志願者がほとんどたどり着けないでいるのだから当たり前といえば当たり前である。
余談になるが、道路にはどこから見ても軍人にしか見えない迷彩服に身を包んだ一般市民があふれていた。中国では軍服が非常に人気があり、軍の払い下げショップも人気があるのだそうだ。
被災者のほとんどが高齢者
都江堰などの都市部では若い人たちもたくさん被災した。しかし、北川県のような山間部の被災者はほとんどが高齢者だ。
若いとはいえない被災者が、避難用に支給されたテントを担いで急な坂道を登り、500m以上先の避難テント村まで運ばなくてはいけないのだ。なお、傍らには軍服姿のボランティア志願者がいたが、役割を分担されていないので、おじいさんが重いテントを運ぶのをただ見ているだけであった。
つまり、ボランティアの効果的配置がなされていなかったため、生活物資を運ぶのもすべて被災者自らの手によって行われていた。現在も劇的に変化したとはいいがたい状況にあるようだ。
都市部のボランティア

都江堰市の中央公園には、中国全土から集結した学生ボランティアの姿が見られた。日比谷公園ほどの敷地があっという間に学生で埋め尽くされていった。
大学単位でボランティアを運ぶバスが用意され、次から次へと運ばれてくる学生。
しかし、その学生を効果的に配置するセンターがどこにもない。都江堰市政府がその窓口になるのだろうが、市政府のボランティアセンターはなかった。
結局、大量の学生ボランティアは自主的に瓦礫の撤去や支援物資の仕分けや配送などを行うことになり、本当に支援が必要なところには充分配置されていない状況であった。
民間レベルの活動が両国の交流を深める
ここまで、批判的なことばかり書いてきたが、中国の歴史始まって以来といえるほどの大きな天変地異であるため、大混乱に陥るのは致し方ない。
この原稿を書いている7月1日、中国政府は外国メディアの報道に関するマニュアルを準備していたことが報道された。
それは、外国メディアに対してオープンに、国内メディアに対しては厳しくといった内容だ。自国の面子をかなぐり捨ててでも復興復旧には外国からの支援が必要だということだろう。また、オリンピックを開催できるほどの「自由」な国という中国政府のプロパガンダの部分もあるだろう。
日本は災害大国だ。その復旧復興のノウハウの蓄積もある。同時に、数多くの災害を経験したボランティア団体も多く存在している。政府間のレベルはともかく、民間レベルでもどんどん交流するいい機会であることは事実である。災害には国も民間もない。ましてや国家体制やらイデオロギーなどとは無縁の世界である。日本の役割は非常に大きいと現地でつくづく実感した。
(文・レスキューナウ特派員 冨田きよむ)
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