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防災コラムVol.124

NPOの危機対応・防災への取り組みの社会的意義とは| 防災コラム

公開月:2006年5月

国際ボランティア学生協会(IVUSA)の取り組みとして、危機対応研究所設立までのあゆみと活動内容について、IVUSA事務局の方に話を伺いながら3回にわたって紹介する。

IVUSAの基本理念について

会員になるには講習を受講することが義務付けられている

IVUSAは、1993年の北海道南西沖地震に始まり、阪神・淡路大震災(1995年)、台湾中部地震(1999年)、新潟県中越地震(2004年)、スマトラ沖地震(2004年)等々、これまで国内外で23回の災害に対して43回にわたる災害救援活動を行い、これらに延べ1,500名が参加してきた。”救援者と被災者”という、支援を”与える・受ける”関係性ではなく、現地では”学生と住民”という人間同士のつながりの中で一緒に復旧に向けて共に前に進もう、というスタンスを持って災害救援活動に参加している。

被災者が”被災者”であり続けることが復興の遅れとなるという考え方のもと、『災害復旧活動は、多くのものを失った被災者自身が復興に向かう気持ちになることが何より大切であると考えている。そのために私達ができる活動というのは、ほんのわずかなことしかないが、何より学生の「元気」を置いてくることを基本として、活動してきたい』と代表理事の下村さんは話してくれた。

またIVUSAでは、学生はまず災害に対して起こりうるリスクを洗い出し、それらに対して対応策を考えるようにすること求められる。そのために全会員は、活動に参加する前に必ずCMT講習(危機対応講習)を受講することが義務付けられている。講習では三角巾を用いた包帯法、搬送法、心肺蘇生法、AEDの取り扱いといった、応急救護・救命技能講習と、危機対応についての講義を受け、様々な国内国外の災害救援活動に出向いている。これはすべての危機に対して100%回避することは難しいとされていても、事前のリスク想定と対応策を考えて行動するだけで約70%は回避できるという考え方によるものである。

これまでの災害救援活動のあゆみ

応急処置の方法などについて学ぶ

IVUSA事務局長でもある危機対応研究所所長の宮崎さんに、これまでの災害救援活動を振り返って話を伺った。

北海道南西沖地震は、初めての災害救援活動であったが、最後に一学生と一住民の関係となれて、港まで送りに来てくれる住民の方々とみんなで涙して帰った記憶が強い一方で、阪神・淡路大震災では、被害の大きさや被災者の深い心の傷を目の前に何もできず無力さを感じたこともあったそうだ。

当時のメンバーは10名ほどしかいなかったが、学生の人手と機動力を武器にして動いていたという。緊急車両マークを確保しなければ現地へ走行することが難しかったため、それぞれの担当に別れてマークを何とか手配した。会員になったばかりの40名ほどの学生メンバーを連れて、被害状況の予想できない被災地へ新規メンバーを連れ向かったという。9台の車両にそれぞれトランシーバーを乗せて24時間かけて、やっとの思いで現地に到着しベースキャンプ作りを行った。しばらくお風呂にも入れず、学生はみなペットボトルのお茶などで頭を洗った記憶もあるという。救援物資の集積所で仕分けの作業を行いながら物資管理をしつつ、ほかの地域を回ってニーズ調査も同時に行った。台湾地震では、企業が活動のスポンサーとなってくれて、1997年日本海での重油災害では、「情報ボランティア」が普及しインターネットの活用が広がったという。新潟県中越地震の復興支援活動では「コーディネート」という概念の重要性が改めて認識され、メディアが取りあげなくなった後も、地元住民との関わりも持ちながら継続的に同じ場所で活動したことが評価された。2005年三宅島噴火の帰島支援活動では、地域の高い防災意識と人々の連携が感じられ、また日頃から火山と共に生きている人々の生き方を見て、顔のみえる関係の大切さを改めて感じたという。

活動の中で気づいた大切なこと

IVUSAはこれまでの数々の災害救援活動で地域に入って活動していく中で、様々なことに気づいてきたと、宮崎さんは言う。地域住民が共に助け合いながら復旧復興を進める”共助”の大切さ、それを実現するためにも日頃から近隣住民との顔の見える関係作りの必要性、そして高齢者や災害時要援護者と呼ばれる人々には、災害発生時にすぐに安否の確認が取れるような体制を地域で作っておく必要があるということなどだ。

“災害ボランティア”という概念が生まれた阪神・淡路大震災以降、被災地には県外からのボランティアも入って活動することが多くなった。しかしその一方で、被災地の物資にボランティアまでが頼るなど、一部のボランティアのマナーの悪さなどから、ボランティアに対する批判の声も増えてきたそうだ。この為最低限の衣食住の確保を自分達で賄うための訓練を重ねてきたという。また、ニーズがあれば継続的に被災地にボランティアを派遣するなど地域とのつながりを深めることを軸として、災害救援活動を展開してきたそうだ。他のボランティア団体とのも連携も大切にし、情報交換をしながらお互いの強みを生かした活動を目指しているという。

次回は、危機対応研究所設立とその取り組み内容について紹介する。

(監修:レスキューナウ 文・国際ボランティア学生協会 小野槙子)

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