森林火災への支援
ちょっとした雨で川が氾濫し、大きな被害が出たという話をしましたが、もう1つ2024年2月チリでは真夏なのですが、毎日40度を超えるような熱波がチリの南部を襲い大規模な森林火災が起きました。日本の場合は雨が降るので森林火災はそこまで広がらないのですが、チリの場合はカラッカラに乾いているのでどこかで火災が起きるとあっという間に燃え広がってしまい、たった10日間で日本の山梨県と同じ面積の森林が一気に焼けてしまいました。これがとても大きな被害で、火災がどんどん広がり、住宅地も随分被害を受けたという大災害になりました。
この火災については国際的な援助が求められたので、東京の外務省と相談しJICAにお願いをして、被災した地方公共団体のニーズを調査して、毛布が必要であるとか、草刈り機が欲しいなどの要望がありましたので、できる範囲で物資の支援をさせていただきました。チリは先進国という扱いを受けています。そのため、なかなか他国が支援をすることはないのですが、日本の場合は人命に関わる緊急事態だということでいち早く支援をさせていただきました。支援したことをSNSで発信したタイミングは諸外国の中でもトップだったので、日本のステータスが上がったのではないかと思っています。
先ほど、日本は雨が降るからそんなに広がらないと申し上げましたが、実は雨だけではなく、山には林道という整備された道がありますが、これには実は防災上の意味があり、道があるとそこで延焼が止まるのです。江戸時代からある日本人の知恵なのですが、チリの場合は元々そういう被害があまりなかったということもあり、林道があまり整備されていません。このことも森林火災が一気に広がった原因ではないかと思い担当部局にも日本の知恵をお伝えしました。
チリに滞在して思うこと
最後に、チリにいた3年間の感想をお話させていただきます。
チリの人たちはすごく真面目で日本人にとてもよく似ていると思います。コロナが始まった頃、ほぼ全員がマスクを着けていました。その上、ワクチンを接種してもマスクを外さずにチリの保健省が「もうマスクを外しても大丈夫ですよ」と言うまで全員がマスクをつけていました。これはまさに日本人と同じで、真面目な人たちだなと思いました。
仕事のやり方についても似ていて、滞在中にお風呂の調子が悪くて職人さんに直してもらった時も、職人さんの仕事ぶりがすごく日本人と似ていて、とても丁寧に作業されていました。同じラテンアメリカの他国とだいぶ違うという印象を持ちました。
チリの人たちには、日本文化がとても喜ばれました。公邸にチリのお客さんをお呼びして和食をご馳走し喜ばれましたが、その後にうちの妻がお茶のお点前を披露し、最後に書道で一言書いて渡すのですがとても喜ばれました。例えばチリのエネルギー大臣に対して妻が「脱炭素社会」という言葉を書道で書いてプレゼントしたらとても喜ばれて、大臣室に飾っていただいています。エネルギー大臣がテレビで記者会見をするたびに、大臣の後ろに妻が書いた「脱炭素社会」が映りこみますのでチリでも有名になりました。
3年2ヶ月滞在していて、チリの議員の人たち、経済界の人たち、それから、私と同じく他の国から来た大使たちなどの大勢の人たちと知り合いになれて、多くの人に日本文化を紹介することができたのではないかと思っています。
チリの新聞で、渋谷大使はチリの中で最も活動的な外交官だと紹介をされて、離任する1週間前にチリの外務省に呼ばれ勲章をいただきました。妻を含めて活躍していただいたということでいただけたのだと思いますが、そういう意味では、日本のイメージアップに少しは貢献させていただけたかなと思っています。
私自身2023年12月に、退官して40年間の公務員としての生活が終わったわけですが、以前防災担当が終わった時にも肩の荷が下りてホッとしましたが、大使は日本を代表する重要な仕事なので1日も気が抜けず、また別の意味で本当にホッとしました。
これからも、日本の防災をはじめいろんなところに様々な形で貢献させていただきたいと思っています。