1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. 特別支援学校だからこそできる防災減災について
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.226

特別支援学校だからこそできる防災減災について

放送月:2024年6月
公開月:2025年2月

湯井 恵美子 氏

一般社団法人 福祉防災コミュニティ協会 理事
福祉防災上級コーチ

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

過去の災害での特別支援学校の弱さ①

東日本大震災の発生からすでに13年が経ってしまいました。2万人以上の方が亡くなった大きな災害でした。今もまだたくさんの方が自分の故郷に戻れないでおられます。東日本大震災ではひどい揺れと一緒に、大きな津波の被害もありました。調査によると、障害者手帳を持っておられる方、つまり障がい者の方の亡くなった割合は、一般の方よりも数倍の被害がありました。

福島県で障がい児教育に携わっておられた中村雅彦先生の書かれた「あと少しの支援があれば」という書籍には、軽度の障がいのあった高校生のエピソードが載せられています。

彼は高校3年生で、自分でバスに乗って自力通学をしていました。バスに乗っている間に揺れが来たのですが、いつものように、いつものバス停でおりて自宅に戻りました。家にはおばあさまがおられたのですが、揺れの後に外に出た時に、近所の人に津波が来るから避難しようと言われたのですが、そのまま自宅に残っておられました。津波は大丈夫だ、とも言っておられたそうです。彼はいつも自宅に帰ると着替えた後に、好きなパソコンを開けていたのですが、亡くなったご遺体は私服を着ていましたが、パソコンはケースに入ったままだったので、着替えた直後に津波が来たと思われます。ご自宅のそばには数分歩けば高台があったそうです。お母さまは、次に南海トラフ地震を迎えようとしている私たちにこのように言われています。「私の息子は何でもできるように見えたけれど、津波を予想して逃げるほどの判断力はなく、祖母の大丈夫という言葉でそのまま2階にいたのではないかと思う。誰かに逃げろと言ってほしかった。そして、うちのような子どもは何でもできるように見える子なのに、そうではない子どもだったということを皆さんに伝えてほしい」

一方で、呼吸器をつけておられた特別支援学校のお子さんの生命維持装置が津波で水をかぶり、動作しなくなって亡くなった生徒さんもおられます。幼い兄弟もいて、お母さま一人で短時間で彼を連れて逃げることはとても難しい状況でした。彼はお母さまの腕の中で亡くなっていかれました。

このように、障がいのある児童生徒の状況は、自力で学校に通学できる人から数10キロの機械が必要な人まで様々です。

過去の災害での特別支援学校の弱さ②

これまでの災害では、十分に準備していたとは言えない環境で、地域の避難所となった特別支援学校も多くありました。また一方では、特別支援学校自体が被災して、復旧に長い時間がかかった事例もあります。西日本豪雨災害での倉敷市真備町にあるまきび支援学校では、1階部分のほとんどが天井まで水で浸かってしまい復旧までに1年かかっています。この1年間、児童生徒はどうしたのかというと、4か所に分かれて学校のグランドに設置されたプレハブで授業を受けたり、あるいは他の特別支援学校に通って授業を受けるということがありました。

一般的に特別支援学校というのは、通学域がとても広いので、避難したくてもすぐに行けないけど、子どもが慣れ親しんだ学校という場所と障がいを理解してくれる先生方がおられる場所に避難したいという保護者も多くいます。何より、子どもたちにとって特別支援教育は生活自立のためには欠かせない教育で、災害で長期間とめることのできないものです。保護者にとっては切実でして、例えば、やっとトイレで用が足せるようになってきて今後のステップを重ねて学校と家庭で上手に連携を取りながら生活を整えていこうとしていた時に、長期間中断してしまうと全くできなくなってしまうこともあり、これはとても怖いことなのです。

これまで、特別支援学校は災害に対しては非常に弱い状況にありました。でも、首都直下地震も南海トラフ地震もいずれやってきます。特別支援学校が災害に対して強くあれば、きっと障がいのある子どもたちとその家族だけでなく、地域全体の防災力が上がるのではと思い、具体的にどのように取り組んだらよいかを考え、まずは、特別支援学校の強みを考えることにしました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

会社概要 | 個人情報保護方針