阪神・淡路大震災で変わった 5 つのポイント~応急対応の改善~
3つ目は、災害が起きてからの応急対応が劇的に改善されたということです。先にもお話しましたが、阪神・淡路大震災は戦後初めて経験する大規模震災でした。当時、総理官邸でもNHKの報道を確認していたのですが、高速道路が倒れているのを見て現状を知るという状況でした。なので、事の重大さに気付くのが遅れてしまい、その分救助などが遅れてしまったという反省がありました。
その後、緊急参集チームという制度が出来ました。政府の防災担当者は総理官邸から歩いて30分のところに寝泊まりをして、大きな地震や災害が起きた場合には歩いて官邸の危機管理センターに駆けつけるという制度です。この制度が出来たのは30年前です。
それから、消防では緊急消防援助隊という、現地の消防だけでは対応できない時に被災地の周りにある自治体の消防担当者が援助に向かう制度があるのですが、阪神・淡路大震災の後にこの制度が整備されて、日頃から特殊訓練を受け被災地から呼ばれなくても駆けつけることが出来るようになりました。
阪神・淡路大震災が起きた後、2004年10月に発生した新潟県の中越地震でこの緊急消防援助隊が派遣されたのですが、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が土砂の中から93時間ぶりに2歳の男の子を救出したと大きく報道されたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、このような効果を発揮しました。その後の2011年の東日本大震災でもこの緊急消防援助隊や警察の援助部隊、自衛隊も、とにかく迅速に駆けつけるという体制ができたというのはとても大きな改善だと思います。
また医療についても、阪神・淡路大震災の後に災害医療の特殊訓練を受けた医師がDMATという災害派遣医療チーム(1チーム5人程度)を結成して被災地に派遣されるという制度が出来ました。2011年の東日本大震災の時はこのチームがすぐに現地に派遣されて、重篤な患者をヘリコプターで被災地から離れた医療施設の整ったところへ搬送するという広域医療搬送のオペレーションが初めて行われました。
阪神・淡路大震災で変わった 5 つのポイント~仮設住宅・避難所の環境~
4つ目の改善点は仮設住宅です。大きな災害が起きると家を無くす方がたくさんいらっしゃるので、応急仮設住宅というものが作られます。プレハブで作るのが一般的なのですが、阪神・淡路大震災の時は被災者の数がとても多く、大都市であるために用地があまり無かったため郊外に仮設住宅を作りましたが、入居希望者があまりにも多く高齢者優先というような感じで抽選にて入居者を決めました。そうすると、周りが知らない人だらけでしかも高齢者だらけという仮設住宅が出来上がってしまい、高齢者の孤立、孤独死といったことが震災後の問題となりました。
その後の災害ではそういうことにならないように、コミュニティ単位での入居が出来るようにしたり、仮設住宅もいわゆるプレハブという形だけでなく、民間の住宅の空いているところを活用したり、トレーラーハウス等のすぐに用意できるものを活用するなど近年では非常にバリエーションができています。
能登半島の地震が発生した時には仮設住宅という名前ではありますが、実際はそのまま住宅として住み続ける事が出来るような木造の家屋を用意し、非常に環境の整った住宅もできています。これも阪神・淡路大震災で様々な問題が明らかになったことで改善されたところだと思います。
それから避難所について、神戸は大都市なので小学校の体育館に2000人、3000人という規模で避難していました。避難者数が多く大変な状況で、避難所の環境がとても悪い状態でした。その後の東日本大震災でも問題になりましたが、阪神・淡路大震災の頃から問題意識を持っていました。今は災害が起きて、ある程度時間はかかりますが、トイレカーやキッチンカーなどが被災地に来て、綺麗なトイレが使える、温かいご飯が食べられるなど、だいぶ改善がされてきていると思います。
阪神・淡路大震災で変わった5つのポイント~まちづくり~
最後は「まちづくり」です。阪神・淡路大震災で、神戸市だけではなく西宮市などの兵庫県を中心とした被災地が復興まちづくりを行ったのですが、これがなかなか特徴的なやり方です。
関東大震災が起きた時、東京の大半が焼け野原になりました。当時、帝都復興院の総裁だった後藤新平という方が、火災に強いまちづくりをしなければいけないと、幅の広い道路や大きな公園の整備に力を注ぎました。広い道路や大きな公園があると火災の延焼が止まります。今、昭和通りという道路がありますが、これも後藤新平が計画したものです。
阪神・淡路大震災の被災地でも同じように、将来の安全に向けてまず道路や公園を整備するべきだと考えました。神戸市を中心に復興まちづくりで彼らが基本としたのは、住民の人たちに議論してもらい、復興まちづくりを住民参加でやるべきだということでした。
しかし、そうすると都市計画が進まず道路や公園の整備がなかなかできません。そこで、これは非常にユニークな制度なのですが、二段階方式の都市計画を取り入れました。道路や公園については第一段階で先に決めてしまい、住民が参加してこういう街にしたいとじっくり議論をした具体的な整備計画を含めてもう1度都市計画を定めます。防災上大事な施設を早く整備するということと、住民がきちんと議論をして納得した上でまちづくりをするというこの両方を満足させられるやり方です。
阪神・淡路大震災後のこの復興まちづくりを契機に、今では当たり前になっているまちづくりへの住民参加、協力して働くと書く「協働」という言葉が使われ始めました。今では全国的にまちづくり協議会が出来ていますが、これも阪神・淡路大震災の時に初めてできたものです。そういう意味では、防災だけではなく日本全国のまちづくり全体に、この阪神・淡路大震災が大きな影響を与えたということだと思います。


