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防災インタビューVol.49

災害看護の現状と今後の在り方について考える

放送月:2009年8月
公開月:2010年7月

小原 真理子 氏

日本赤十字看護大学小原教授

地域防災セミナーについて

災害看護教育は、大学に移行する前の短大の時に始めました。教育している中で「地域を視野に入れないと、災害時にはたくさんの人は救えないのではないか」という気付きがありました。この地域は、武蔵野市の境南町という地域ですが、「地域の方たちが災害に対して、防災に対して、どんな意識を持っているのだろう」ということを知る必要を感じまして、700人ぐらいを対象にアンケート調査をさせていただきました。その結果の中からいろいろな新しい気付きがありましたし、予測されたような結果が出てきました。
1つにはトリアージについてですが、「トリアージは助けられる人から助ける」というところが原則的な考え方です。そのことについて住民に聞きましたら、納得されていた方が多かったのですが、「例えば自分の家族が、助けてもらえる優先度が大変に低い、黒タッグになった場合に、それを受け入れることができるかどうか」という質問をしました。そうしますと、先ほどは「助けられる人から助ける」というふうに答えた人たちも、自分の家族がなったらどうなるかといったときには、その答えが半減してしまいました。理論的に分かったことでも、実際に自分や、自分の家族がその立場になった場合には、なかなか医療者が行おうとすることを受け入れられないこともあり得る、ということが調査の中でも分かりました。ほかにも住民は被災したときに病院に医療だけを求めるのではなく、いわゆる避難所生活、水とかトイレとか、そういうものを求めるというようなニーズもある、ということも調査の中で分かりました。しかしそれが現実になりますと、病院というのは機能していけませんので、そういう意味では災害医療の在り方や避難所についても、住民と医療者側とコンセンサスを得ていくことが必要ではないかということも考えられました。
私はそのころ、短大の教員として災害を教えていたので、地域と短大、そして病院という三者が一体になって協力し合って、地域防災という視点で協働して、それぞれが持っている地域の自主防災が持つ地域を守るすべ、病院が持っている災害医療の強み、それから短大として持っている資機材や教育手法のノウハウがありますので、それらの強みを生かして、「災害に強くなる知恵と技」を生み出すために、5年前に委員会を立ち上げました。その意味では武蔵野市の境南町は、たまたまこれらの3つが重なった所で、割とモデル的なコースの特区になったと思います。

地震発生時の病院について

私どもは最近、首都大学の先生方と一緒になって、看護師たちが被災した病院でどのようにして入院患者の安全を守ったのか、という調査をしました。その中で中堅層のリーダー格の看護師たちが、被災したときの病院の中で、いろいろな事象に対して判断力を持って安全に患者さんたちを守るために、いろいろな行動をしたことが分かってきました。このような看護師を育てるためには、どんな教育プログラムを組んでいったらいいのか、ということで、最近そのデータを基にしてDVDも作りました。
例えば、ある事例で、病棟内で物やドアが壊れ、高架水槽の水漏れで廊下に水がいっぱいになりました。その際に「とてもここで患者さんを安心して入院生活を継続させるのはできない」と判断しました。それで「次の行動として、どういうことをするか」ということを考え、「安全に避難をさせるという行動のほうに移らないといけない」ということになりました。そのために、どの患者をどのような優先度で、どの搬送手段を使って、どこに逃げさせたらいいのかを知るために情報を取って、安全な避難行動のほうに入っていきました。その音頭をとった人たちというのは、やはりある程度のリーダー格の人たちで、そういう行動をとれる人たちだということが分かりました。そのリーダー格の人たちが取られた能力の基盤となったのは、やはり日ごろの防災訓練とか火災訓練です。患者さんをどうやって避難させるかという訓練が大変に生きたといっていました。ですから、そこは中小の病院でしたが、あまり大きなパニックにならずに、237名の患者を2時間ぐらいで誰一人けがをさせずに、7階建ての病院から無事に避難させたという実績が判明しました。その合言葉は「訓練通りにやればいいんだ」ということでした。非常階段から患者たちを担架や毛布を使って下ろした、ということがインタビューの中からも出ています。
このように実際、避難訓練などで自分の中でシミュレーションできていると、それがすぐに生かせるということです。これは大切なことです。やはり行動まで持っていかないと、なかなかいざというときに安全な行動には移れないのではないかと思います。

避難所での看護

災害に遭って自分の家が壊れて、とても生活ができない、ここに居ると危険、ということになりますと、被災者の方は近くの小学校・中学校、それも体育館などを避難所として、そこで仮設住宅が建てられるまで数カ月は暮らさなければならないようなことがあります。特に阪神淡路大震災のときは、直後に5500人の方が亡くなり、30万人の方が被災した、というようなデータが出ています。その避難所の中で、せっかく助かった人々、特に高齢者が亡くなったという痛ましいことがたくさんありました。それはなぜかといいますと、避難所というのは、そこで寝て食べて、人々と会話をして、という生活の場になるのですが、その中で一番高齢者の方が困ったのはトイレだった、というふうに聞いています。大変混雑している避難所を抜けてトイレに行くのが、高齢者にとっては大変なことで、なるべくトイレに行くことを少なくしました。せっかく助かった命が、トイレに行くことを抑えるために飲まない、食べないということで、いわゆる自分としての保健行動を選んだわけです。それが命取りになるということがありました。また冬場でしたので、インフルエンザにかかった方とか、それとともに肺炎になったりもしましたし、そのほかに水が出ないために口の中の清潔が保てず、嚥下性肺炎を起こしたりしたということも聞いています。
避難所の看護というのは、看護として本当に重要な看護であると私どもはとらえています。この看護のポイントはどういうことが中心になるかといいますと、まず生活の場ですので、水や食料が均等に配給されるような環境整備が大切です。コミュニケーションの場として、そこで生活をする被災者の方の人間関係を考えることも必要です。また医療者がたくさん救援に来て、特に慢性疾患を持っている方々が治療を受け、薬が出されたりするのですが、医療者が何組も来ますと、薬の多量投与になったりすることがありますので、かえって過剰になってしまったことが、健康にはあまり良くなかったりすることもあります。被災者はいろいろなニーズを持っていますが、誰かコーディネートする人が必要です。被災者の健康や生活という視点で考える人がいないと、被災者が病気になったり、心の病になってしまうことが出てきますので、そういう面でも看護職がそこに駐在して、コーディネートすることは大変必要だと思います。
阪神淡路大震災のときは亡くなった人もたくさんおり、大けがをした人も避難所に来て、その中で保健師さんたちが行ったことは、まず棺おけを作ることだ、ということもあって、大変に看護・保健職の人たちは苦労をした、ということが語り継がれております。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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