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防災インタビューVol.74

ぼうさい・人・街づくり ~災害に対応できる暮らし方をするために「今を生きる」~

放送月:2012年3月
公開月:2012年6月

千田 節子 氏

東京湾岸集合住宅ぼうさいネットワーク

プロフィール

私は江戸川区南葛西にある1323世帯の大きな団地に住んでいます。もともと防災にあまり関心はなかったのですが、小さいころから「町って、どうしてできるんだろう」という疑問を抱いておりました。以前、暮らしていた団地で、町ができていく様子をつぶさに見ていたことがあったので、その時のことを書いた児童文学書を講談社から、今から30年近く前に出しています。それは今考えると、まさしく防災の町づくりの話だったと思います。それが私と防災の関わりの原点です。

なぎさニュータウンの防災

子どもが小さいころに、なぎさニュータウンという所に越して来ました。ここは江戸川区の一番南の端で、江戸川河口のそばです。対岸は浦安市で、ディズニーランドがあって、私たちが見ているのは千葉県だけという所です。そこで私は、子ども2人を連れて管理組合に関わるようになりました。管理組合に関わるということで、町全体を見渡せるところに仕事上置かれますので、そこでたくさんの人と関わってきました。

それまでの管理組合の仕事の中で、防災だけが管理人さん任せになっていました。その管理人さんが辞めることになって「誰が防災を担当するのか」という話が出てきましたが、私自身も「防災=訓練」という気持ちがあって、あまり乗り気ではありませんでした。そのような中で、自治会と管理組合が仕事を押し付け合いながら、防災に関する委員会をつくって答申案などを検討していました。私は「何をやっているんだ」という気持ちで見ていたのですが、その時にあの阪神大震災が起こりましたので、「答申案を考えている場合ではない。できる人が集まって何とかしないといけない」と思うようになりました。そこで、管理組合、自治会、そして呼び掛けに応じて参加してくれた人たちと活動を始めました。リーダーには号令ができる人がいいと考えて、お祭りでいつも活躍していた餓鬼大将みたいなおじさんにお願いすることになりました。その方は喜んで引き受けてはくれたのですが、管理組合のことも防災のこともよく分からず、「こんなこと誰がやるんだ。面白くなくちゃ、やってられないよ。飲ませろ、食わせろ」とすぐ言うので、最初は本当に面食らいました。しかし日頃から、組織やシステムというものだけでは人は動かないと私は思っていましたので、この破天荒なリーダーの後について行って、とにかく楽しく、いろいろなイベントを行いながら皆を誘い出そうと、手探り状態で活動を始めました。こうして生まれたのが自主防災組織「なぎさ防災会」です。

触れ合いから生まれる防災のアイデア

なぎさ防災会は、防災組織としては全国に先駆けて始めたので、マニュアルもありませんし、本当に手探りでの活動でした。いろいろな所に出掛けて行ってお話を聞いたり、資格を取ったり、まずは勉強から始めました。そのような中で「町内会がしっかりしていたので大きな災害に遭っても生き残れた」というお話を聞いたときに、「あっ、これだ。やはり人のつながりが大事なんだ」と感じました。

なぎさ防災会のリーダーはお風呂屋の息子で、「大勢で一つ釜の飯を食うことがまず大事だ」という明快なコミュニティー思想の持ち主だったので、まずはここから始めました。彼は本当に号令を掛けるのが上手で「集まれ」と「散れ」の二つしか言わなかったのですが、大の男たちがすごく喜んで言うことを聞いていました。「女は何か食べ物を作れ」ということで、集まると飲み食いしながら話し合いをしていました。

そういう飲み食いの中で、素晴らしいユニークなアイデアがどんどん生まれました。その一つが「避難完了シール」です。阪神大震災の時に「私たち、ここに避難しています」と書かれた段ボールがドアのそばに置いてあるのをテレビで見ました。そこで、うちはスチールのドアなので、マグネットで作れば風に飛ばされないということで、裏をマグネットにした「避難完了シール」を作りました。この他にも「うちは要介護なので助けてほしい」ということを示す「要介護者シール」も作りました。また緊急避難者の名簿はどうしても必要だということで、そこに「私は高齢で動けない」「障害がある」ということを書き込んだり、逆に「私は看護師の資格があるから、いざというときはお役に立ちたい」というコメントなども書き込んだものを作りました。これは3年ごとに作って、金庫に入れてあります。現在は団地の80%ぐらいの方の名簿ができています。この他にも私たち自身のアイデアで「布担架」を作りました。普通の棒の担架だと階段を回ることができないので、体を全部包んで担ぐ「布担架」を作ったら、これはとても楽でした。

このようにいろいろなことをやっていたら、5年後に総務大臣賞・防災部門「もの・ひと・ことづくり」で受賞することができ、皆で喜びました。現在では阪神大震災から17年たって、自主防災が何かちょっとマンネリ化してきており、だんだん形にとらわれ過ぎて、組織が硬直化していると感じることも多くなってきました。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。

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