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防災インタビューVol.74

ぼうさい・人・街づくり ~災害に対応できる暮らし方をするために「今を生きる」~

放送月:2012年3月
公開月:2012年6月

千田 節子 氏

東京湾岸集合住宅ぼうさいネットワーク

「東京湾岸集合住宅ぼうさいネットワーク」の活動

最初は「面白くなくては続かない」という意識でやってきた防災活動も、阪神大震災以降、大きな災害がたくさん発生して、少しずつ考え方も変わってきました。そこで、なぎさ防災会の活動のほうは若手に譲って、現在、私は「東京湾岸ぼうさいネットワーク」を立ち上げ、こちらで活動をしています。品川とか港区、江東区、江戸川区、千葉県の浦安市などを含めたこの湾岸地域には、超高層住宅がたくさん建ち並ぶようになってきており、長周期振動が超高層住宅には大きな影響があるという話がありましたので、そのことについてのフォーラムやパネルディスカッション、ワークショップなどを行っています。私たちがフォーラムなどを行う場合、一番気を使っているのが、そのタイトルです。長周期地震動や超高層住宅というような漢字だけが並ぶような難しいタイトルではなく、皆さんに身近に感じてもらえるように「超高層って本当に大丈夫?」というような、世間話の中から生まれてくる言葉をつかまえてフォーラムのタイトルにするということを心掛けました。

江戸川区、江東区のゼロメートル地帯では、5メートル以上の高潮が来ると70%以上が冠水すると言われています。そこで「その時どうする!?首都を襲う大洪水」というタイトルをつけて、台風や地震のときの津波などで起きる大洪水について考えました。東日本大震災で起こった浦安市の液状化の大きな被害を見て衝撃を受け、「どうするマンション防災」というタイトルでアンケートを取ったところ、とてもいい結果が出ていましたので参考になりました。つい最近は、首都を襲う次の直下型の地震について「命と暮らしはどうなる?」というフォーラムを開きました。今まで災害に備えて、いろいろな準備をしたり考えてきてはいたのですが、実際に東日本大震災を目にして「こんなので大丈夫だろうか?」と疑心暗鬼になっており、逆に「何をしても駄目なんじゃないか」とネガティブな感覚も持っていました。そのような状況ではありますが、そのまま思考停止するのではなく、もっと積極的に考えていくことが必要だと思っています。

東京の防災

大災害が起きた直後は、防災道具をそろえたり食料を備蓄したりする方が多いかと思いますが、今回の東日本大震災のようにマグニチュード9の地震で、大津波や原発事故が起こって、死者も阪神大震災の倍以上になってしまうと「何をやっても無駄だよね」という諦めに似た気持ちも生まれてくると思います。震災直後は避難訓練に参加する方も多いのですが、時間がたつに従って参加する人も減ってきてしまうということもありますし、特に「直下型地震が起きたらどう動けばいいのか」というのをイメージすることも難しいので、なかなか訓練にも参加しなくなっている状況でもあります。高齢の方などは「大地震が来たならそれで、もういいよ」というネガティブな空気が漂っているような気もしています。

東京という人口密集地で地震が起こった場合、街の中にいたり、地下鉄に乗っていたり、買い物をしていたり、車に乗っていたりと、それぞれの状況によって生死が分かれることも多くあると思うので、東京のような大都市における災害は、今までの災害以上に難しい問題を抱えているような気がします。

「東京湾岸ぼうさいネットワーク」

最初、東京湾岸防災ネットワークを立ち上げたときには、屋形船を使って東京湾を渡って団地に戻ってくるというイベントをしたり、イーボートという手こぎのボートを使って帰宅困難者のための訓練を、楽しいイベントを通して行っていました。その後、フォーラムをやるようになりました。その活動の中で私たちは「ぼうさいネットワーク」というように、わざと防災という言葉を平仮名で表記しています。これは難しい言葉を使って地域を采配しがちな活動を戒め、地域の人たちが自主的に一緒になって皆で動くところだと認識するためにも、このように表記しています。

直下型地震が起きた際に生き抜いていくためには、マニュアルやルールも大切ですが、それだけでは生きていけないと思っています。「ぼうさい」という平仮名に込めた気持ち、「自分がまず生きる」「人と生きる」「そして皆と生きる」という人の暮らしの原点を捉え、それを全部ひっくるめて「今を生きる」ということが必要だろうと思っています。「今を生きる」というのはどういうことかというと、いろいろな準備をして、家の中をシェルター状態にして、自分が生きることが一番大切なのだということではなくて、本当に今を生き生きと人間らしく生きる、ということではないかと思います。言葉にすると「ぼうさい、人、まちづくり」といえると思いますが、それを声高に言うのではなく、ひそかに一人一人がそれを思いながら、マニュアルに頼らず、物に執着せず、家族や隣人と彩り豊かに暮らし合うことだと考えています。

それは具体的にはどういうことかというと、今私たちがやっているのは歌声喫茶です。ここには昔の女学生たちが50人ぐらい集まってきますし、カラオケなども手料理を食べながら行っています。また臨海公園が近いのでよく歩きますし、5万3千平方メートルある敷地の土を耕して、1年中花が絶えないようにしたり、子どもに絵本を読んであげたり、コンサートを仕掛けて、弦楽四重奏などの文化の香り高いものを選んでやっています。またバスで行き来しながら、中越や東北の被災地の方々とも物産交流をしたり、広域公助の交流を続けています。そういうこと全てを皆でやることが、今を暮らし合うということだと、私は思っています。このように暮らしている人たちがもし生き残ったら、きっとまた土を耕し始めるのだろうな、また歌いだすのだろうな、と考えています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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