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防災インタビューVol.79

空洞探査、地雷除去の経験を生かした防災そして減災

放送月:2012年9月
公開月:2012年11月

冨田 洋 氏

ジオ・サーチ代表取締役社長

被災地での活動

東日本大震災が起きた直後から、社会貢献として活動に参加しました。私どもは日本中の国道の下の空洞の探査をやっていますが、実は震度5を超えると空洞が多発します。それを探査するために、震災直後3日目から「安全確認にすぐ来てくれ」というSOSがまず鹿島港から来まして、うちの部隊が突入することになりました。

震災後3日目に大洗港が完全に使えなくなってしまったので、日立および鹿島港を緊急輸送の補給地にしたいということになりまして、そこへ突入してくれという依頼がありました。その当時は皆さんも経験したように燃料が不足していたので、燃料をどうやって集めるかということと、行くまでの道路が本当に大丈夫かということ、それからもう一つは泊まる所があるのかということが一番の問題でした。何とか現場サイドで受け入れてくれるとOKが取れましたので、3月15日から、うちの部隊がまず突入していきました。

鹿島港と日立に突入しているうちに、今度は江東区が液状化したので「すぐ来てくれ」という依頼が入ってきました。毎日何十件と問い合わせがくるので、震災対策室を急きょ立ち上げて、ほとんど全員が休日返上で、全国で展開している大阪や九州の部隊もスタンバイさせて、いつでも突入できるように準備してくれということで活動を始めました。

まず、余震が続く鹿島港での作業でしたが、現場と毎日連絡を取り合って、何とかやっていました。しかし今度は液状化している江東区からも依頼があり、噴砂がそこら中、道路の上にありますので、それをかきのけながら作業をしました。われわれの調査は道路ぎりぎりの所にセンサーを通しますので、凸凹があまりあると調査ができないので、江東区の応援も頂きながら、除去した所から調査をしていきます。ここでも毎日連絡を取り合うのですが、現場サイドから「終わりが見えない」ということでした。あっちもこっちもそこら中被災しているわけですので、次々にわれわれの部隊が突入していくのですが、いつまでたっても終わりが見えませんでした。液状化してしまった地域から戻ってきた機材の中には砂が入り込んでしまっており、今度はウオータージェット部隊をつくって、それを全部洗い流さないといけません。その間、本社自体もまだ余震で揺れており、この時はまさに戦闘状態でした。地雷除去で長年培った一番危険地域でやったオペレーションのノウハウが、まさかこのような時に生きるとは思いませんでした。

被災地に立って

地雷除去の時もそうですが、実際にはトップが現場に行かないと、現状把握できません。今回の震災の時も、3月27日に初めて私は被災地の鹿島港に入りました。私どもは阪神大震災以降、震度5以上の地震があると必ず出動しているのですが、この時の異様な被災状況に本当に驚きました。今回は被災地域がものすごく広かったので、「これはえらいことになったな」と思いました。

例えば鹿島港でわれわれが調査をやっていますと、向かい側からも声が掛かります。そこら中被災している状況で、「これは大変なことになったな」と思いました。あまりメディアでは報道されていませんでしたが、すべての護岸が壊されてしまっていました。中でも護岸の被災は茨城県のほうがひどいものでした。今もその被災の傷跡が深く残っているのは潮来です。

東北の各地で津波の被害が大きかったですし、亡くなった方の数も東北のほうが多かったのですが、インフラの被災からいうと、実は茨城もかなりの被災状況でした。宮城県は果たしてどうなのかということで、私ともう1人が、4月7日に宮城県に入りましたが、名取の津波の痕に息をのみました。私も地雷除去でいろいろな所に行っており、かなり悲惨なコソボにも行っていますが、今回だけは地雷原のほうがはるかに生き生きしていたと感じました。それというのは、津波痕では全く生物の跡が見受けられません。緑が何もありませんし、通常、虫や鳥などの生物の痕跡があるのですが、何もありませんでした。突き進めば突き進むほど下を向いて、とにかく言葉を失いました。これが一番のショックだった状況でした。

しかし先ほどの地雷除去のときもそうでしたが、実際に大変な状況下にあって、貢献したい、人の役に立ちたいという本能が湧き上がってきて、うちのチームのみんなもモチベーションが上がって、「出番が来たぞ、お役に立とう」という気持ちで、また現地に突入し始めました。

大震災からの教訓

今回のこの震災は、さまざまな教訓を私に与えてくれることになりました。まずは護岸の被災についてですが、ここで分かってきたのが、非常に強い護岸の吸い出しがあったということです。津波が来る前に、ものすごく大きな引き波が来ているのですが、その時に古い護岸からしゅんせつ土、埋め戻し土が吸い出されて、簡単に言うと、もなかの皮とあんこがなくなっている状態になっていて、そういう時に1時間後ぐらいに津波が3発来ましたから、岸壁しか残っていなくて、あとはもう皆つぶれてしまったということです。これを見て、いかに自然の力に対してインフラが弱いか、ということが分かりました。

次に行った仙台でも、市民病院前の道路が100メーターほど陥没してしまっていて、救急車両が通れず、大渋滞を起こしていました。調べてみましたが、そこら中空洞だらけで、私もこの道20年以上やっていますけれど、道路でこれだけ大規模な空洞が出たというのは初めてでした。これは地下鉄を造る際に矢板を打って、埋め戻し用の砂をその間に入れるのですが、地下鉄の駅の脇の埋め戻し土が、震度5ぐらいになると土より粒子の大きい砂が外れてしまって沈むという沈下状態になっており、それがそこら中空洞だらけになるという現象が起こるということが分かりました。

もう一つ分かったのが、仙台に泊まることができなかったので蔵王から毎日通っていましたが、何百人という応援部隊がトラックや重量車両で通っている道路が陥没だらけで、その安全性を確かめるためにボランティアで朝早くに調べてみると、穴の下が全部空洞になっていました。実は歩道がない車道には下水が埋まっているのですが、この下水のつなぎ目が壊れていて、そこから土砂が流出しているということが分かりました。すぐに宮城県に通報しまして調べてみたら、何と2キロで80カ所ぐらい空洞ができていました。この後の1年の間に1940キロぐらい調べて、2560カ所以上も空洞が見つかりました。今も調査をしていますが、3000カ所以上の空洞が見つかっています。これは通常時の発生の10倍以上です。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。