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防災インタビューVol.103

防災の次世代を担う人材育成

放送月:2007年2月
公開月:2014年11月

池上 美喜子 氏

(財)市民防災研究所理事、東京YWCA副会長、地震対策、防災

消防団副分団長の手記「長い長い一日」

阪神大震災が発生した時のことを書かれた「長い長い一日」という第3分団の副分団長アズマシゲルさんの手記を紹介します。

1995年1月17日未明、激しい縦揺れ、アッ地震だ。すぐに飛び起き、自室の戸を開け、廊下に通ずる戸を開け始める。続いて激しい横揺れだ。立っておれない、思わず柱につかまる。横の書棚が倒れ、ガラスが割れる。ベランダに通じるガラス戸が倒れ、ガラスが割れる。隣室の台所の食器が崩れる音、これは大きい。アッ、目前の壁が崩れ落ち、星明かりが差し込む。それを遮り、瓦が落ちる。もう駄目だ。俺と家族は、このまま家と共に崩れ落ちるだろう。一瞬脳裏をかすめる不吉な予感。どれくらいの時間がたったであろう。やっと揺れが止まった。家族一人一人に声を掛ける。廊下が傾き、階段が落ちている。「足元に気を付けろ、声を出せ」「お父さん助けて」女房の声だ。隣に寝ていたのに気付くのが遅れ、たんすの下敷きになっている。暗闇の中、手探りで引き出す。やっと全員がそろった。懐中電灯を探すがない。何かの下敷きになっている。やむを得ん、あちこち崩れた壁の間から差し込む星明かりを頼りに、靴下と上着を探す。「2枚でも3枚でも身に着けられるだけ着けろ」次は脱出だ。残念、階段が落ちている。避難ばしごがない、屋根伝いは無理だ、初老の母がいる。しばらく静寂が続く。「おーい、大丈夫か」分団長の声だ。「助けてくれ、全員無事だ、はしごを用意してくれ」「窓を破れ」足元に落ちた置物を手に、壊れたたんすを足場に窓を破る。オー、近所の人たちだ。はしごが来る。家族をそのまま家の中に残す。「落ち着け、もうすぐ明るくなる。それまでに着るものを身に着け、けがをしないよう靴下は常にはいておけ」そして自分のみ脱出。消防団員はすぐ集まれ。間髪を入れずに助けを求める声。靴とヘルメットを取り出しに、崩れた階下に潜り込む、表に出た途端、次から次へ救助を求める声。家族よ、許せ。現場が増すばかりで人手が足りない。通り掛かりの人に声を掛けて応援を求め、分団員1人以上を付けて現場へ向かわせる。道具が欲しい。のこぎりだ、バールだ、ジャッキだ。現場を走り回り、道具を渡し、二次災害のないよう注意を促す。声を掛け、反応のある現場を優先する。やっと1人目を救出。履物がない、近所のスリッパを借用。次々と救出される人を福祉センターへ送る指示、そして次へ、息継ぐ間がない。「深入りに気を付けろ」と分団長からの伝言。頭で分かっていても、ついのめり込んでしまう。1人でも多く助けねば、と気持ちばかりが先行してしまう。二次災害に気を付けねばと反省、次から複数団員での行動が必要だ。担当地区内を巡回中、隣の兵庫区で生き埋めとの声、応援に駆け付けた甥を伴い、現場へ急ぐ。退路を確保しながら前進せよと指示する。2階の屋根が胸の高さまで跡形もなく崩れている。瓦、トタン、柱、壁、手当たり次第、左右に投げる。現場の一角に火の手が上がる。「誰か119番は?」「連絡済み」との声。急げ、救出現場の風上に炎が近づく。次々と消火器が集まるが効果がない。3メートルも離れていない作業者の肩に火の手が舞う。「熱い、熱い、助けてくれ」胸に突き刺され、助けを求める声。風が渦巻きだした、限界だ。「全員退避、退け、逃げてくれ」しかし誰も逃げようとしない、危ない。サイレンの音が近づく。消防車だ、助かった。が、消火栓が使えない。応援消防車の機関員を伴い、地下水槽へ。やっと水が出る。しかし通行車両にホースを破られる。機関員に減圧を依頼し、近くに落ちていたタオルと自分のベルトでホースを繕う。「よし、増圧オーケー」近くにあった他の分団詰め所にてハンドマイクとロープを借用、交通止めをするが、制止の手を振り切り通り抜ける車両。身に危険を感じるが後に引けない。やっと鎮火。応援の甥と共に詰め所へ。もう15時30分すぎか、やっと一服しながら訪ね人の応対。次から次へと深夜まで続く。外が暗くなり始めた頃、分団長指示により夜間パトロールを開始する。懐中電灯に映し出される光景は、この世のものではない。がれきと壊れた家の間で、たき火で暖を取るグループが数カ所以上。火の元に気を付けるよう注意をしながらパトロールを続けるが、途中から道がない。いや、壊れた家が続き、道路や路地が寸断されて、パトロールもままならない。あちこちにまだ生き埋め者が相当数いるであろうが、この状況では手の付けようがない。明るくなるのを待とう。夜明けと同時に町内の行方不明者の確認作業、並行して食料の確保だ。各分団員は自宅の中から食料になるものを持ち出し集める。薬は町内の薬屋さんが無料で提供してくれた。次は飲料水。近くに上水道の破損箇所があり、漏水しているとの情報。分団員3名に容器を持たせ現場へ。生き埋め現場へ再度近づくも、我々では手の施しようもない。残念。そこへ消防、救急車の進入。道路確保のためパワーショベルカーが入ってきた。分団長の手配だ。次から次へ、やったことのない業務。消防団員として、またはボランティアとして、避難所の飲料水、トイレ用の下水、救助物資の配布、取引先のトラックを借用、そして夜警と行方不明者の調査と生存者の確認、訪ね人の照合、そしてまたまた火災発生。何日ぶりかで会った家族の顔、残念だが声が出ない。身ぶり手ぶりで喉薬を頼む。家族の心配げな顔。1月25日ごろから本業を再開するも、1日4時間仕事をして、消防団もしくはボランティア業務を10時間ほど、他の分団員も本職が再開し始め、夜警人数が減少する。定員半数割れにて夜警と避難所の雑用に追われる。1週間も過ぎたであろうか。機動隊員と自衛隊員が到着、行方不明者の探索を引き継ぎ、やっと一息つく。分団員は疲労困憊だ。年長分団員の顔色が黒ずんで見える。即、1週間の団員業務離脱を指示する。私自身、昼夜にわたるもお風呂は2週間以上も縁がない。ましてや洗顔など水がもったいない。電灯は近所の土木業の方に自家発電を借用し、詰め所、避難所前広場を照明するが近辺は暗闇。何とも不気味だ。深夜パトロールには自前の4駆車のサーチライトを点灯、ヘッドライトアップ、携帯電灯にて周辺を照明する。慌てて逃げる怪しげな人影。「追うな」残された現場の確認を優先する。火の気は大丈夫か。火事場泥棒に神経を逆なでされるが、近隣住民の協力には頭が下がる。先ほどの土木業者の協力、震災直後における道具類の無償貸し出し、夜警の助っ人、そしてとどめは火災現場における重機、パワーショベルを使用しての活躍。燃え盛る火災現場へ重機で突入し、火勢をショベルとキャタピラで崩し、延焼を食い止めたのは最大の功績である。ともあれ延焼を食い止めたのは住民パワーのたまものだ、自慢じゃないが我が分団員もよく頑張った。気が付けば今日はもう3月19日。今日でパトロールも打ち上げで、分団員と協力者を集め慰労を実行し、震災以来のよもやま話に花が咲く。ご苦労さまでした。本当にご苦労さまでした。これで消防団員としての1月17日が終わった。長い、長い、一日であった。

この手記では、災害が起こってから一段落つくまでの様子が凝縮してまとめて記されています。実際起こったことの体験記ですから、本当に勉強になります。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。