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防災インタビューVol.113

防災 ~イメージ力で命を守る~

放送月:2015年2月
公開月:2015年9月

石井 修一 氏

司法書士 元ディズニーランド危機管理担当

町会の防災活動 ~イメージ力を付ける~

私は今、町会の副会長をしていますが、就任する時に「防災をちゃんとやりますか? 私が副会長をやったら防災をやりますよ、いいですか?」という確認をして、町会の防災を進めるために副会長になりました。役員会の席で、急に今ここで地震が起きたら「どうするか?」と役員に質問しました。すると「取りあえず家に帰る」とか「何をやろう?」と言うだけで、どうしていいかが分かっていません。要するにイメージができていないわけです。「災害」と一言で言っても、地震だ、津波だ、火事だ、台風だと、皆災害のイメージが違っていて、その違うイメージに対して、それぞれ自分の解釈でこうしたほうがいい、ああしたほうがいいと言っているので収集がつかないわけです。

それで考えたのが、基幹的防災拠点に位置付けられている有明の、そなエリアという国土交通省と内閣府が持っている施設に行くことでした。そなエリアは震度6強の地震が起こった際に現地対策本部として使われるものですが、その半分は教育機関として誰でも自由に参加して防災教育が受けられる、もしくは体験できるというところです。具体的には、ゲーム機のようなものを持って被災状況のある中を歩いて、いろいろな質問に答えながら避難場所まで行くというような、ゲーム形式で防災を勉強するこの施設に、バスを仕立てて町会の人たち皆で行きました。地震の際に建物が壊れ、こういうイメージになることを体験することで、まず災害のイメージを統一することからスタートしました。ただ、そこには臭いもなければ音もありません。擬似的な音はありますが、本当の災害で出るような人の声やがれきが崩れる音、物が燃える音、またそれに合わせた臭いもないのでリアリティーはないのですが、ショックだったと思います。実際には災害が起こると目の当たりに、こういう風景が広がることが分かったと思います。

消防団の活動

私は25歳の時に消防団に入って32年間活動し、一昨年、退団しました。消防団を始めたのは「やはり地域が大事だ」というところがスタートです。「地域はそこにいるだけで、その住民を守っている」という基本の考え方が私にはあります。私は学生時代、昭和52年ごろ、北海道にいました。その時に北海道庁の爆破事件というのがあり、その際に家まで刑事さんが来ました。たまたま1カ月に2度引っ越しをしたので、住所を転々としたということで急にアパートに刑事さんが2人来て、いろいろ聞いて帰っていきましたが、その時にはたと思ったのが「もし私がここにずっと住んでいて、近所のみんなが知っていたら、刑事さんは果たして来たんだろうか?」ということでした。もしそうならば聞き込みの段階で多分外されるのではないかと思い至った瞬間に、「ああ地域は知らず知らずのうちに、そこにいる人たちを守っているんだ」「顔見知りの人はちゃんと守られるんだ」というように理解しました。

その後、東京に帰ってきた時に、消防団に入りらないかと誘われたのですが、最初はこれから就職するところだったので断わりました。そうしたら勧誘に来た人に「私はあなたのお父さんに勧められて入ったんです」と言われて、入らざるを得ないと思い、地域の消防団活動に入りました。

消防団に入ると、まず「ポンプ操法」といって、実際に火事が起こったときにどうやってポンプを動かして、ホースを出して放水していくかという訓練を、2、3カ月みっちりと練習します。それが終わると今度は操法大会があって、自分たちの訓練の成果を見せます。地域の人も見ているし、やる以上は格好良くやりたいというのがあるので、きっちり練習をしますし、そうすると知らない間に基本から身に付いていきます。新入団員が入ると必ず、その訓練から皆入っていきます。

その後、実際の火事の現場にも行くのですが、一番最初に行ったのは2階建ての割と大きなアパートでした。消防車からホースが何本も出ていて、水も出ていました。夜の火事だったので炎も結構大きくて、まずは「安全な場所にいよう」と思い、建物から離れて裏側の方に行きました。すると瓦が降ってきたり、いろいろなものが落ちてきました。「見えない所のほうが危ない」というのがその時の教訓で、「見える所にいよう」「見える所のほうが安全なんだ」と感じました。次の火事は、一戸建ての個人タクシーの人の家でした。隣が塗装屋さんで、近所の人は燃えている個人タクシーの家ではなく隣の塗装屋さんの手伝いに行って、いろいろなものを片付けたり運んだりしていました。「ああ、やはり塗装だから、いろいろな危険物があるから危ないんだな」と、その時は思いました。よくよく考えたら、塗装屋さんは1日そこで仕事をしていて、タクシーの運転手は帰ってきたら寝る、起きたら仕事ということで、ほとんど地域との関わりがありません。地域はそれをちゃんと見ていて、地域の付き合いをしているところをまず助けるんだというのが分かりました。このような状況を消防団の活動の中で目の当たりにして、ちょっとショックだったのですが、やはり地域というのは正直だと思いました。

防災士としての活動

阪神淡路大震災の時の兵庫県知事だった貝原さん方が「震災の時にはいろいろなところから助けてもらったけれど、本来は自分でやっていなければいけなかった。地域に防災の指導者、旗振り役をつくりましょう」ということで、「防災士」をつくることを考えました。

今ですとNPOの「日本防災士会」というのがありますが、当時はなかったので、防災士になりたい人は勉強して、防災士の資格を取りました。この防災士というのは民間資格です。防災士をやると何かいいことがあるのかというと、いろいろなところで堂々と「防災士です」と言えます。特に防災士だからお金がもうかるとか、何か責任があるということはありません。私たちは基本は皆、本業を持っています。本業を持っているので、防災士として何かやってお金をもうけようということはありません。実際に災害が起こったときには、防災士としてではなく自分の本業をやるのですが、平常時のほうがずっと時間的に長いので、子どもたちや福祉施設のお年寄りたちにも防災のためのアピールをしていくという形で、平常時を中心にして防災士の活動をしています。

定期的にいろいろなところで防災の講演を頼まれるので、自分たちで内容をチェックしながら「こういう情報を入れましょう」「こういう話し方をしましょう」と考えたり、楽しくないと聞いてもらえないので、どうしたら聞いてもらえるか、どのようにしたら受けるかを考えながら準備をしています。何かお土産を付けたいということで、江崎グリコに勤める防災士からビスコを提供してもらったりして、「いつも食べているものを災害時に食べましょう。食べ慣れていないものは、なかなか災害時でも食べられません」と話します。たまには、そういうのをクイズのネタにしてやったりしながら、楽しみながら続けています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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