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防災インタビューVol.12

減災は一人ひとりの努力から

放送月:2004年8月
公開月:2007年7月

渋谷 和久 氏

国交省都市・地域整備局 開発企画調査室長

防災ボランティアの活躍

阪神・淡路大震災のときに大勢の全国から140万人ものボランティアの方が、テレビで被災地の状況を目の当たりにして、いても立ってもいられないということで駆けつけられました。それまでにもボランティアというのはありましたが、大勢の方々が被災地の復興のために、あるいは被災者のケアに、大変大きな貢献をされたということで、ボランティアという言葉が、大きく取り上げられるようになったのが、阪神・淡路大震災だと思います。この年から、毎年1月17日を防災とボランティアの日と呼ぶようになりまして、その前後1週間を、防災とボランティア週間と呼びます。

この阪神・淡路大震災の後、災害対策基本法という法律が改正されたんですが、その法律の中に、ボランティアについて、行政はきちんと環境整備をしなければいけないという条文が加わりました。わが国の法律で、ボランティアという言葉が、初めて法律の中に入ったという、非常に画期的なもので、防災とボランティアは切っても切れない関係にあるということだと思います。

阪神・淡路大震災のとき神戸を中心にしてボランティアで活躍された方にお話を伺ったことがあるんですが、ボランティアというのは、何か人のために役に立ちたいと思って行ったけれど、実際いろいろな活動をしてみると、実は自分のためだったという思いを抱いたとお話されていました。これはとても大事なことでして、人のためにするよりは、自分のためなんだという感じを持っているボランティアの方の活動は非常にうまくいっているように思います。

今、非常に重要なのは、実際に経験深いボランティアが、ボランティアコーディネーターという形で、現地にまず真っ先に飛んでいって、どの被災者のどういうお宅の、どういうお仕事をするのが一番いいのか、あるいは何に気をつけたらいいのかということを、一般のボランティアの人たちにきちんとオリエンテーションをして進めていくことがとても大切になってきています。最近はボランティアコーディネーターのプロが、何人もできていますし、愛知県、静岡県に、コーディネーターを養成するという講座まであります。

宮城の地震のときも、新潟の水害のときも、そういうコーディネーターの方が、真っ先に、一般のボランティアの方が来る前に現地に駆けつけて、それで状況を把握する、ということをしています。本当は、そのような「先遣隊」が地元の自治体とよく相談をして、窓口がよく整理されればよいのでしょうけど、現場はそのように単純ではなく、いろいろ難しい問題があります。内閣府では、ボランティアに関するそうした問題を議論する会議を各地で精力的に実施しています。また、これからボランティアを志す方は、平常時から、防災ボランティア関係の地元のNPOなどとよく相談をして、事前の準備をされると、非常に円滑にいくと思います。

(注:内閣府の「防災ボランティア活動検討会」の概要は内閣府ホームページに掲載されています。http://www.bousai.go.jp/volunteer/index.html

内閣府のホームページ「防災ボランティア活動検討会」

三宅島の避難生活について

4年前の8月に三宅島で大きな噴火があり、全島民が避難して、ちょうどまる4年になります。三宅島自体がまさに火山そのもののような島ですが、その真ん中の雄山の頂上から噴火が起こり、有毒な亜硫酸ガスが大量に噴出し、人体に影響があるため、帰れないということで、三宅島の島民の方は、4年間も避難生活を送っています。現在は、23区内の都営住宅などにそれぞれ皆さん点在されている状態です。三宅島というのは、本当に島が大好きな人たちの集まりで、お互いに支えあって生きてきた、そういうコミュニティでしたが、現在はばらばらになってしまい、本当に大変な避難生活を送られていました。実はこの三宅島ですが、いよいよ帰島が見えてきました。

火山ガスは、以前のピークの時に比べればずいぶん収まりましたが、最近はずっと横ばい状態です。まだたまに急にガスが濃くなったりすることもありますが、避難生活がかなり長引いて、島民の方の疲労感がかなりピークに達しているということで、内閣府と東京都三宅村とが相談をして、いろいろな安全対策を施すことで、三宅の村長が決断をいたしました。来年2月をもって、避難指示を解除するという方針が、7月に出されたところです。島の大部分は、普段は安全ですが、一部ガスが非常に濃いところがありまして、そこは立ち入り禁止にし、急にガスが来るときには、警報を流して、皆さん窓を閉めたり、場合によってはガスマスクをつけたりという形の対策を取るという前提でお帰りいただくということになりました。三宅島の方はようやく希望かなって島に戻れるのですが、たぶんそこから先が非常に大変だと思います。まず、住宅が、ガスでやられてかなり壊れた家がありますが、そうではない家も、4年も空けていますから、かなり傷みがあるようです。農家の方も、すぐに帰って収穫ができるかというと、降り積もった火山灰を全部取り除いて、1から種まきを始めるということですから、最初の生活は大変ですし、観光客もしばらくは、昔のようには来ないということで、皆さん大変な生活を送られることになると思います。そこで、皆さんにお願いなのですが、ボランティアとして現地に行かれる方もいらっしゃるかと思いますが、それ以外にも三宅の島民の方を、いろいろな形で応援をしてあげていただきたいと思います。

(注:その後、2005年2月に避難指示が解除され、島民の帰島が4年半ぶりに実現しました。2005年5月からは、観光客の受け入れも再開されています。)

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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