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防災インタビューVol.19

人々の暮らしと命を守る「土木」

放送月:2007年5月
公開月:2008年1月

後藤 洋三 氏

元防災科学研究所川崎ラボラトリー所長、

民間の土木技術者の役割

阪神淡路大震災の後に土木学会では、大学の先生方が中心になった特別な委員会ができて耐震設計を抜本的に改訂する議論が行われましたが、私は民間の立場だったので、大学の先生方の委員会とは別に、民間の技術者もやるべきことがあるのではないかと思い、土木学会に民間技術者中心の委員会をつくってもらいました。大学の先生方がいろいろ考えた最新の方法を、いかに実際の耐震設計に移していくか、そして建設の現場で実現していくか、そういう対応技術の委員会をやろうということで、1年半ほどいろいろ議論させてもらいました。そこで随分勉強もしましたし、大勢の民間の技術者や防災や減殺の専門家の方とのコミュニティーができました。

一方で、土木学会の中にそれまで長年設置されていた地震工学委員会の運営を、阪神淡路大震災を機に見直そうということになりました。そのためには、民間の元気な技術者がどんどん参加して、実際にいろいろな技術的課題の解決に取り組む委員会にしていこうということで、大学の先生方と民間の技術者が一緒になって地震工学委員会の改革をやりました。新しい地震工学委員会には民間の技術者も大勢参加していまして、私が新委員会の初代の幹事長になり、次に副委員長になり、それから2期4年間、委員長をやりました。

神戸の被災地にて

もともと土木学会の学術分野で歴史のある委員会というのは、大学の先生が委員長をやるものだったので、民間出身で委員長をやったのは私が初めてのようです。

わたしが委員長になって4年目が阪神淡路大震災の10周年にあたりました。学術的な内容の記念事業や、10年間にどんな耐震設計の進歩があったかを総括する行事もやりました。さらにもう1つは、これからの地震対策で重要になる防災や減災の技術を現場に適用していくためには、その担い手を志す土木学会の技術者が防災や減災の現場にいる市民と交流する場を作る必要がある。そういう方向へのメッセージを出すような行事をやろうということになり、そのために市民と一緒に作る行事を計画しました。建築学会に相談して、首都大学東京の中林先生をご紹介いただきまして、先生と相談して、「市民とやるなら、いいNPOがある」ということで、活発な活動を始めておられた「東京いのちのポータルサイト」を紹介いただきました。それで一緒なって、「学会が市民とともに、東京の地震防災を考える」という10周年の行事を行おうということになりました。準備の打ち合わせを始めると、非常に活発な市民のエネルギーで、市民と学会が入れ替わり、このシンポジウムは「市民が学会とともに東京の地震・防災を考える」という名前になりました。私はそれで十分よかったと思っていますし、この行事が切っ掛けで、土木学会とNPOの間で継続的な活動ができるようになりました。

地震災害に対する備え

関東大震災の焼け跡にて(サンフランシスコ地震100周年シンポジウム写真集Aftershocksより、当時滞在していたオーストラリア人が撮影したそうです)

私がこの3月末まで4年半、お世話になってきた防災科学技術研究所の川崎ラボラトリーでやってきたことは、自治体が地震の時にいち早く最適な対応をするための情報を提供するシステムの開発でした。それと平行して、地域の方や研修に来られる方の防災教育のお手伝いをしてきました。その様な機会に私がまず申し上げてきたことは、「日本に住む以上、大きな地震に遭遇するのは、絶対に避けられないのだ」ということです。

日本では、この150年間に1000人以上の方が亡くなる地震や津波などの災害が、11回起きています。実に14年に1回、1000人以上の方が亡くなっていることになります。阪神淡路大震災からもう12年たっていますから、あと数年で、1000人以上の方が亡くなる地震災害か津波災害が起きても不思議ではないわけです。

その次に申し上げることは、それに備えて被害を減らすには、まずは耐震性に問題のある古い家の耐震補強をすることです。また耐震補強だけではなく、立派な家や高層マンションなどであっても、家の中でけがをしないことが、非常に大事です。けがをしないように家具を固定したり、ガラスが割れて飛散するようなことがないように、対策を取っていただきたいということです。

それから、阪神淡路大震災は早朝でしたので、ほとんどの方が寝ている時に起きましたが、これが昼間に起きたら様子が随分違います。そういうことも考えないといけないと申し上げています。新幹線や満員電車が脱線して、ぺしゃんこになってしまったら、尼崎のJR西日本で起きたような脱線事故があちこちで起きてしまいます。阪神淡路大震災の時にはオフィスビルがたくさん壊れましたが、実は中にほとんど人がいなかったからよかったのですが、たくさんの人が居る時間に起きたら、どのように助けたらよいかということで、とても大変なことになります。百貨店もつぶれた百貨店があるわけですけれども、そういうところにお客さんがいっぱいいたら、大変なことになります。高速道路も、渋滞していたときに地震が起きていたら、どんなことになっていたのでしょう。もっと風が強かったとしたら、火事の程度もあれでは済まなかったと思います。ですから、時間が変われば別の地獄絵が何枚も描けるわけです。そういうことも考えてみなければいけないことだと思います。

今すぐ起きるかもしれない地震とは別に、30年後、あるいは50年後に確実に起きる地震、東南海・南海の巨大地震が起きたときに、日本はどうなっているか、ということも考えておかないといけないと思います。そのころ人口は減っているわけです。建設業も、恐らく今の半分ぐらい、阪神淡路大震災の時の1/3から1/4の規模になっているだろうと思います。そうすると、なかなか思うように復旧、復興ができない、国が衰退に向かってしまうこともあり得ます。そういうことも考えて、今から住民の力やコミュニティーの力、行政の力を合わせて、壊れにくい街を計画的につくっていくことが非常に重要だと思います。

ぜひ皆さん一人ひとりがこのことについても考えていただけたらと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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