1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. 命を左右する災害時避難
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.38

命を左右する災害時避難

放送月:2009年1月
公開月:2009年8月

片田 敏孝 氏

群馬大学工学部教授

HP:http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/

百年に一度の大災害

日本の防災はこれまで行政を主体に進めてきたというような背景の中で、住民の皆さんが防災について災害過保護と言ってもいいような、自分の命を行政に委ねてしまっているところがあるのではないか、ここが日本の防災の大きな問題点だというようなところからお話をしてみたいと思います。

日本の防災は基本的に、行政を中心に進めてきたというのが昔からの伝統です。災害対策基本法というような法律の中にも、国民の命を守る責務は行政にあるのだ、というようなことが書かれておりますから、その中でそれが進められてきたということは間違いはなかっただろうし、法律もそれを支援しているのだろうと思います。

ただ本当に行政が国民、もしくは地域の人々の命を完全に守れるのか、守りきれるのかといったことを考え始めると、どうも行政に任せておけばいいという話では片付かなくなってきています。私はもともと土木屋だと言いましたけれど、日本の防災というのは洪水を例に考えますと、国管理の大きな河川の場合、百年に1回降るか降らないかの大雨に耐えられるくらいのレベルで堤防を造ってきました。それによって確かに洪水の頻度は減ってきました。ですから昔は防災施設が整っていなかったので、小さな水害がいっぱい起こっていました。大きな水害も時にはあるけれど、基本的には小さな水害がいっぱいあったという状況がどんどん改善されて、昔であれば人が住まなかった所にも今は都市が展開している、というような中で町づくりが進んできました。でも基本は百年に1回の堤防を造っているということ、つまりそれを超えるものについては初めから対応していないということ、ここに大きな重要なポイントがあります。

実際に最近、地球温暖化の影響ですごい雨が降るようになっています。そうしますと、その堤防を越えるような水害というのが起こります。では、その時に住民はどうなっているか。堤防などができたおかげで、つまり百年に1回よりも、もっと頻繁に起こるような小さな水害、これを全部取り除いてもらったおかげで、住民の側が災いをやり過ごす知恵、災害から難を逃れる知恵が、昔であればおじいちゃん、おばあちゃんから伝わってきた話がいろいろあったものが、全部なくなってしまって、守られた中で災いをやり過ごす知恵をなくした住民が多くなってしまいました。襲ってくるのが百年に1度もないような大きな災害だけ、という中で、無防備な住民に大きな災害が襲い掛かり、そして被害が大きくなるのが最近の災害の特徴です。こういった問題、行政の対応の限界を明確に意識した対応をしないと、全部任せきりの今の一般市民の皆さんの意識のままだと、大変危ないことになるのではないかということを、私はとても心配しております。

全国で講演をしたり、地域で住民の皆さんの防災力を高めるような取り組みをやっております。基本的にこの問題を指摘して、「自分の命は自分で守るんだ」ということの本当の意味合いというのはどこにあるのかと、なぜそうなのかということをちゃんと分かっていただくように、各地で防災の取り組みを展開しています。地球温暖化の影響などで防災のレベル、つまり行政が想定している災害のレベルというのを超えるような災害が起こっていて、その中で被害が大きくなるという問題点を指摘したのですけれど、これは非常に重要な問題として自覚を持っていただきたいです。

自分の命は自分で守る

最近、自助、共助、公助というようなことをよく聞くようになりました。自助は自分の命は自分で守る、ということですね。公助は行政がやることですね。共助は命は自分で守るといっても守りきれないようなおじいちゃんやおばあちゃん、そういった方々の地域での助け合いみたいなことを指しているのですけれど、なぜ自助が必要だと言われるようになってきたのかということ、この意味合いをよくよく考える必要があると思うのです。つまり、防災というのを行政に委ねていたのでは、自分の命を守りきれないという、そこに大きな要因があります。従来、行政中心の防災というものの中に委ねてきて、ある程度は大丈夫であった。確かに百年に1回のレベルまでの洪水は防げるようになってきておりますので、「任せきりでいいや」というような意識ができてしまって、ある意味、災害過保護の状態の住民が出来上がってしまったのです。でも、それを超えるような災害というのは当然、自然ですからあるわけです。その時に「行政のせいだ」と言いながら死んでいってもしょうがないわけです。そこで自分の命はやはり自分で守るというこの原則、その中で危険を察知し、自分で対応するという力をいつも持っていないと、最後、自分そして家族を守りきることはできないのだということ、そこの自覚を皆さんには持っていただく必要があると思います。

最近、全国各地の被害の現場を歩いておりまして、とても気になることがあります。よく聞くのですが、例えば2004年、平成16年の新潟豪雨の時などに現場に行きますと、「避難勧告がなかったから避難できなかった」というような情報の不備というものを指摘されることが非常に多くなってきております。いわゆるゲリラ豪雨のような事態が急展開する場合、避難勧告がちゃんと出せないということが大変多くなっております。そのような中で、避難勧告がなかったから逃げられなかったという住民の不満ももっともなのですが、ただよく話を聞いてみますと、堤防が切れて水が町の中に氾濫し始めた、だけど避難勧告がないからといって家にとどまっているのですね。水がどんどん入ってきて、床上浸水し始めた。「避難勧告はまだ出ていないの?」と隣に確認に行っている。だけど避難はしていない、なぜならば避難勧告が出ていないからだということです。これは、もう完全に自分の行動を行政に委ねてしまっている、情報に委ねてしまっている、という中で、あまりにも自助の意識が欠落してしまっているということだと思います。

このように「委ねてしまった防災」が大変気になる状況が各地で見られるようになってきました。ある意味、防災に関してちょっと大きな政府でありすぎたのかもしれない。もしこれで守りきれるならば、それでもよかったのですけれど、相手は自然ですから、それでは守りきれないことがいっぱいあるわけです。その時に無防備になってしまった住民が厳然としているというこの状態。大変大きな危険を残したまま今、地球温暖化の影響などで災害の規模も大きくなろうとしているし、頻度も高くなろうとしている、非常に心配な状況が出来上がってきていると思っています。

津波常襲地域となる岩手県釜石市(左)と宮城県気仙沼市(右)

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

会社概要 | 個人情報保護方針