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防災インタビューVol.38

命を左右する災害時避難

放送月:2009年1月
公開月:2009年8月

片田 敏孝 氏

群馬大学工学部教授

HP:http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/

正常化の偏見

(前回の続きより)このように、津波の常襲地域の人たちが、逃げなければいけないことは百も承知しているのだけれども、いざ大きな地震があって、逃げなければいけないときにもなかなか逃げていない、という実態のお話をしました。基本的にこの話というのは極めて人間くさい話です。今大きな揺れがあった、その時に、今が本当に津波が来るその時なのかどうなのか、ということに対しては、ちょっと希望的な観測もあって「前も大丈夫だったから、多分今回も大丈夫だろう」と思いながら、それでも津波が来るのか来ないのか、あまりにも心配だからテレビをつけて、ラジオをつけて、そして津波警報が出るや否や、ということに非常に心配をしながら聞いている。ある意味、心配がゆえに高い情報依存がかえって避難を妨げてしまうという、こういう構造にあるわけです。もっと心の根底のところに、人間というのはこういう危険の情報に対してすごく弱い特性を持っています。僕らはこれを、ちょっと難しい言葉で「正常化の偏見」と言うのですが、いくら津波警報や避難勧告というような、危ないということを知らせる情報があっても、実は、その情報をまともに受けられないという人間の心の特性があります。その例として、非常ベルが挙げられます。皆さんも1度や2度、火災報知器のベルが鳴るのを聞いたことがあると思いますが、その時に即座に逃げられたかどうかを振り返ってみても、すぐには逃げていませんよね。つまり「人間というのは我が身の危険を知らせる情報は1つだけでは逃げられない」という心の特性があります。最初の情報を無視するという特性です。火災警報の時もそうですが、非常ベルが鳴って、加えて煙のにおいがしてくる、2つ目の情報があって初めて「今がその時」と思えるのです。もしくは、非常ベルが鳴って、そして誰かが「火事だ」と叫ぶ、これでもう2つ目の情報が入りましたから、やっと「ああ、今が本当に火事なんだ」と思えるということです。このように、人間は自分の命の危険を知らせる情報というのは、最初の情報を無視してしまうという心の特性を持ちます。これを我々は「正常化の偏見」、つまり「今は異常じゃなくて正常なんだ」というふうに一生懸命思おうとする心の特性のことを言うのですが、そういう作用が働いて、津波警報が出ても「今がその時」となかなか思えないということです。「前の津波警報の時も大丈夫だったから、今回も多分大丈夫だろう」と、希望的にそう思ってしまいます。こういう気持ちの中で、まずすぐには行動を起こせない、だけど心配だからまずはテレビをつける、ラジオをつける、そして津波警報が出るかどうかを注意する。これそのものは防災行動として重要な気もするのですが、実は情報依存で、情報を待つがゆえに避難のタイミングが遅れてしまうという、非常に皮肉な結果を招いているのです。

最近、津波警報が非常に早く出るようになったのですが、それでも1分や2分はかかります。日本の特に危ない所では、津波は3分、4分で来てしまいます。このうちの1分をテレビの前で待っている、ということはとても危ないことなのですが、高い情報依存ゆえに避難を妨げる、というような非常に変な構造が起こってきています。

この「正常化の偏見」のほかに、まだほかの理由もあります。頭では逃げなければいけないことが分かっているのですが、行動の実態は、何がともあれ逃げていないわけです。そうすると分かっていることとやっていること、これに矛盾が生じます。これはとても気持ちが悪いわけです。こういう状態が生じると人間はどういう行動を取るかというと、こういう場合、人間は本当にその行動を取って整合させるか、それとも逃げていない自分を正当化して、それによって心を落ち着かせるか、いずれかしかないわけです。

例えば避難の問題ですと、本当に逃げるということで解消することもできますけれど、もう1つもっと簡単にこのモヤモヤとした状況を回避する方法があります。それは今逃げていない自分を正当化することで、これは簡単にできてしまいます。「だって、前も大丈夫だったもん」「隣の人も逃げてないもん」と、何でもいいわけです。隣は隣でこっちを見ながら「隣は逃げていないもん」と、みんなで出来上がってしまう、その時その場限りのよからぬ安心ネットワークができてしまうわけです。それによってお互いが慰め合うようにみんなで逃げていない、という状況が出来上がってしまう。これを打ち破っていくこと、これが避難の促進の大きな鍵になります。

豪雨災害における避難

津波もすぐに避難しないと非常に危ない災害ですが、最近、地球温暖化の影響と言われておりますが、非常に狭い場所で局所的な予測不能のゲリラ豪雨と言われるような猛烈な雨が降ることが多くなってきました。昨年は非常に多くて、各地で大きな被害が出ました。この豪雨災害に対しても、避難の問題は大変重要でありますし、またここでも逃げていないという実態が明らかになっています。

豪雨災害の場合は全国で毎年何カ所かで避難勧告が出ますが、どこの事例を見ても、きちんと避難をしている例というのは、ほとんどないといって過言ではないと思います。例えば昨年8月の終わりに愛知県の岡崎市で、1時間に150ミリ近い雨が降りました。この150ミリという雨はすごい雨です。車のワイパーを一生懸命動かしても前が見にくい雨というのが、大体30ミリの雨です。その5倍の雨ですから、これがいかにすごいか分かります。この雨によって、岡崎市では相当な被害が出ました。この時に岡崎市役所は全市民37万人に避難勧告を出しました。実際に逃げたのがピーク時で51人という数字が出ております。ほんのわずかしか逃げていないのです。これは特殊な例かというと全然そうではなくて、全国の洪水・豪雨災害にかかわる避難というのは、このように逃げていないのです。

豪雨災害の避難の問題は、ちょっと津波とはまた意味が違ってきます。津波の場合はもし来るということが明らかであるならば、多くの住民は必ずといっていいほど逃げると思います。なぜなら本当に津波が来たら被害が大きく出ることを、皆さんご存じですので。ところが豪雨災害の場合は「水につかっても死にはしない」というような、ちょっとなめた感覚があります。例えば床上1メートルぐらいのかさで水につかるというふうにハザードマップに示されても、床上1メートルだったら立てば首が出ます。とてもそれで自分が死ぬというふうに思えない。つまり自分の命というものが、その水害によってなくなるという危険をひしひしと感じることができないというのが、この豪雨災害の特徴です。実際に避難勧告が出たときにも、水につかるということの事実を知らされても、自分の命は大丈夫と思っている。そうすると逆に心配になるのは、家がつかるということです。床上でつかってしまうのだったらとても逃げてなんかいられません。1階の荷物を2階に上げたほうがいいと考えて、逆に避難勧告が避難の妨げになるというような状況も生じています。

これ以外にも豪雨災害の避難というのは、いろいろな問題を含んでおります。先ほど37万人に避難勧告を出したという昨年の愛知県の岡崎市の例を出しましたけれど、市役所は本当に全員に逃げてほしかったのだろうか。本当に逃げた場合、対応できたのだろうか。本当に全員に避難勧告を出す必要があったのだろうか、という疑問も残ります。例えばマンションの4階、5階のように高い所にいる人に、水につかった町の中を避難所まで歩いて逃げて行ってくださいというのは本当に必要なのだろうか、と思います。豪雨災害の場合、住民の受け取り方も「しょせん避難勧告なんてそんなもんさ」という思いもちょっとあるのです。そのような中で、自分の命は水につかったくらいでは死にはしないし、家財のことも心配、そのようないろいろな要因が相まって結局、逃げないということが常態化してしまっているというのが豪雨災害の避難です。

津波常襲地域となる岩手県釜石市(左)と宮城県気仙沼市(右)

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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