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防災インタビューVol.53

いのちを守るために ~首都圏災害からの危機管理~

放送月:2010年5月
公開月:2010年11月

瀧澤 一郎 氏

東京いのちのポータルサイト理事長

「JCネット」での情報交換

阪神淡路大震災が起こった時、私は日本青年会議所で、メディアコミュニケーション委員会に携わっていました。青年会議所は日本全国には750カ所あります。全員が一堂に会するのはかなり厳しいので、パソコン通信システムを使って、何とかリアルタイムで情報交換ができないかということで「JCネット」というネットワークをつくりました。それを統括している部門の責任者が私でした。ネットワークの会員は地震の3年ぐらい前から徐々に増えており、地震が起きた当初で5,500人ぐらいいました。
このようにネットワークはあったものの、阪神淡路大震災の時には、やはり想像以上に情報が混乱しまして、ある人はヘリコプターで、ある人はトラックで重機を持って行ったり、またある人は体一つで、日本中の青年会議所のメンバーが神戸に支援に押し掛けました。しかし個々ばらばらに動いていたので、実際には現地で何が起きているかも分からず、支援するにしても、どういう物が必要で、どういう物は要らないかということが分かりません。これを何とかしなければいけないということで、2週間に1度、日本青年会議所本部で毎月会合をやっていたので、そこに災害対策本部をつくって、決まったことをJCネットで5,500人に情報を流しました。またメンバーから上がってきた情報を、災害対策本部にフィードバックするようにしました。実際にパソコン通信でいろいろやりとりしていると「ああ、こんな人がこういう事をやっているのか」「ああ、そういう支援の仕方もあるのか」と、今まで見えなかったことが見えてきて、これは今後、地震以外でも使い物になるのではないかと、あらためてパソコンネットワークの威力を感じた次第です。

阪神淡路大震災のその後

震災当時、私は地元の小学校のPTA会長をやっていまして「このような地震が東京で起きたときにどうしようか」「どうやって次の東京の地震に備えるか」ということを皆で議論しました。その中で出てきたのが避難訓練や防災訓練の話でしたが、PTAで防災訓練をやったとしても、それだけだと面白くないし、皆、興味がなくて集まらないのではないかということでした。そこで楽しみながら防災訓練ができないかということで、その翌年に花火大会をやりました。
ご存じの通り、なかなか町中で大きな花火を上げるのは危険なのですが、そこは防災訓練ですから消防車や消防団、地元の防災スタッフが集まって、その中で屋上より高い花火を上げて、子供たちも非常に楽しんでくれました。しかし、それも1年で終わってしまいました。阪神淡路大震災の時は防災に対して関心が高く、その後も避難所運営会議や避難所訓練などを行政、学校、地域の人たちで行いましたが、翌年、翌々年と年がたつにつれて「喉元過ぎれば」ということで、だんだん関心が薄れていってしまいました。
防災訓練は、いろいろな企画をしていますが、それほど面白いものでもなく、非常に難しいです。また実際、「避難訓練をやっていれば、災害時も大丈夫だ」と思ってしまう人が多いのですが「訓練をしているから大丈夫」というのは、ちょっと違うと思います。本当の意味で震災に備えるためには、単に避難訓練やイベントを行うのではなく、もう少し考えていったほうがいいと思っています。

「立石防災生活圏検討会」

私が住んでいるのは葛飾区の立石という町ですが、ここは非常に密集地で、いわゆる倒壊危険度で言うと東京都の中でもベスト20に入るという所で、危険地域に指定されました。その当時、東京都に「防災生活圏検討事業」として指定地域内で防災に取り組むと、都の予算がかなり出るという制度がありました。この予算は10年間使えるということで、立石でも区役所が声を掛けて「立石防災生活圏検討会」をつくり、関連の14の町会から防災担当者が集まって、年に3、4回会議をしました。最初は非常に景気のいい話で「防災だったらいくらでも使える」ということで、皆、意気込んで行ったのですが、だんだんトーンが下がってきて、最近ではなかなかお金も出なくなってきています。
この活動を8年間やりまして、具体的には「消火設備を何とかしよう」「耐震補強を推し進めなければいけない」ということなどの提案が出ましたが、行政としては形が欲しいということで、このエリア内に防災公園を2つ造って結末を迎えました。
この時に座長をやっていて感じたことは、行政の補助金を当てにして、それを何とか有効に活用しようと思っても、それが限界で、その会が引き続き防災意識の向上に結び付くかというと、そうでもないということです。
一番具体的に違うと思ったのが、耐震補強の進め方です。例えば、既存不適格住宅と言って、昭和55年以前の木造住宅の家は大地震の際には、ほぼ倒壊すると分かっているので、対象の家屋の人を一堂に集めて説明会をしたり、ポスティングをして「お宅は本当に危ないので、何とかしなきゃいけませんよ」と呼び掛け、非常に積極的に動きました。しかし行政サイドは「あおるだけあおっておいて、何してくれるんだ。とてもじゃないけれど、そんなことはできない」ということになり、非常に温度差を感じました。ミッションとしてはやらなければならないことですが、具体的に進めると課題が大きいと思いました。
実際に耐震補強を進めていくと、結局は経済問題にいってしまうので、それをどうやって乗り越えるかが問題です。東京いのちのポータルサイトも各区の耐震協議会も一生懸命やっていて、徐々にではありますけれど環境はよくなってきているという感じです。
現在は無料耐震診断や地域からの補助金も出ます。補助金額も徐々に上がってきていまして、例えば渋谷区ですと300万まで出ますので、助成率もかなり高くなってきています。葛飾区も金額は少ないのですが、今までは耐震診断と耐震解析だけしか助成が出ませんでしたが、現在では耐震建物の設計費も助成が出るということで、少しずつ環境は良くなってきているというところです。
自分自身の命、周りの命を守るためにも耐震補強は必要です。例えば私の家は工場をやっていますが、周りをぐるりと不適格住宅が囲っています。結局、隣近所が倒れて火が付いてしまったら、うちはひとたまりもありません。もうちょっともうかったら1軒100万ずつぐらい差し上げて、耐震補強ができればと思っています。例えば10軒あったとして、1軒100万ずつでも1千万で済むわけです。1千万でうちの会社が助かる、うちの家族も建物も助かるというのであれば、これは非常に有効なので、そういうこともできたらやりたいと思っています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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