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防災インタビューVol.53

いのちを守るために ~首都圏災害からの危機管理~

放送月:2010年5月
公開月:2010年11月

瀧澤 一郎 氏

東京いのちのポータルサイト理事長

東京e大学

葛飾区で2003年に、内閣府主催の「タウンミーティング」をやりました。当初、小泉首相が来るということでしたが辞められて、結局、平沼大臣と竹中平蔵さんが来ましたが、その時に大きなテーマとして、葛飾、江戸川、足立、墨田、台東の城東地区には東京芸術大学はありますが、ほかに大学がないということが挙げられました。人口は全部で300万人ぐらいいる所に、大学が1校しかない、ほとんど真空地帯だということで、これでは知的レベルはどうなるのだということが問題になりました。そこで「取りあえず本物の大学が来る前に、インターネット上で何か仮想大学ができないか」ということを提案して、当時、経済産業大臣だった平沼さんに相談しましたら、経済産業省の助成金でインターネット上で授業を進めながら実際の大学と連携して、リアルとインターネットと組み合わせた教育講座を開くことになりました。それが東京e大学です。ここでは中小企業のためのいろいろ必要な知識である経営講座などを、2年間にわたり続けました。
今で言いますと、YouTubeなどでいろいろなセミナーがありますが、当時はそういうシステムがありませんでした。そこで富山のインターネット市民塾に協力を依頼してスタートしました。インターネット市民塾は、その当時でも受講生が1万人ぐらいいるという巨大なシステムでしたので、実際に我々がゼロからスタートするのではなく、富山のシステムを間借りして、いろいろな講座を作りました。当初は中小企業のための講座でしたが、せっかくシステムがあるので、生涯学習のような楽しい講座も作りました。また、その中で耐震補強について興味を持ってもらいたいということで「耐震補強のススメ」という講座も作りました。これは当時のいのちのポータルサイトの理事長の安井さんが全国各地で「なぜ耐震補強が大事か」ということについて話をしていていましたが、これは貴重な話なのでネットに載せようということになり、それが今でも残っています。
現在でも講座は10個ぐらい残っていますが、この東京e大学の最大の目的が、このエリア内への大学の誘致でしたので、ちょうど去年、東京理科大が来ることが決定したので、ほぼ使命が終わりました。先駆け的にやってきましたが、このNPOもぼちぼち解散しようかと思っています。

身近に1枚「耐震補強運動推進手拭い」

私の会社、東京和晒株式会社では手拭いを作っているので、いのちのポータルサイト、あるいは耐震補強に何か協力できないかということで作ったのが、この「耐震補強運動推進手拭い」です。このデザインのコンセプトとしては、これまでに常識として考えられていた標語を基に、いのちのポータルサイトのスタッフの皆さんに考えてもらいました。例えば一番よくあるのは“地震だ、火を消せ”という標語ですが、やらなければいけないのは火を消すことではなく、まず生き延びることです。その意味では、昭和55年以前に建てられた建物は、もうほとんど危ない状態ですので、防災訓練よりも何よりもまず耐震補強が必要だということですが、これを1枚の布でどうやって伝えるかということを考えました。この手拭いを見ると必要なことが全部書いてあります。家の絵と一緒に、家具の転倒防止をしっかりしよう、耐震補強の簡易工法を活用しようということも書いてありますし、NPO法人東京いのちのポータルサイトという名前やアドレスも入っています。これはイベントなどでも配るときもありますが、当社のホームページでも400円で売っています。これは和手拭いで、最初はリアルな絵になっていましたが、それでは怖いので、鳥獣戯画風のデザインにしました。災害時には包帯の代わりにしたり、煙が出たときに口をふさいだり、ほこりよけにもなりますので、ぜひ身近に1枚おいていただければと思います。

他の企業と連携で町を守る

立石にはタカラトミーという、おもちゃの会社があります。当社とは目と鼻の先で、同じ立石の町の企業です。以前から何か関わりが持てたらいいなと思っていたのですが、何しろあちらは大企業で、なかなか接点がありませんでした。その時、ちょうど東京いのちのポータルサイトの安井潤一郎さんが、葛飾区の防災課で耐震補強の話をしてくれまして、その帰りに「昼飯を一緒に食べないか」ということになり、早稲田のボーリング部の安田さんの後輩のタカラトミーの富山幹太郎社長にお会いして、社長室でうな重をごちそうになりました。当時トミーとタカラが合併する最中でした。合併して都心に移るのではないかといううわさもありましたが、最終的に立石に本社を置くということでした。その理由は、社長が立石という町を愛していて、この町の名前を世界に知れ渡らせるためにも、ここを本拠地に置くのだということを熱く語ってくれました。ついては地元の企業ともっと手を組んで、いろいろなことに取り組みたい、という発言をされまして、うちの会社でお年賀の手拭いを作ってくれと言われました。それまでお年賀と言いますとタカラはチョロQのお年賀バージョンを作っていましたし、トミーはトミカというミニカーのお年賀バージョンを作っていました。ところが両社が合併するので折り合いがつかなくなり「じゃあ、手拭いにしよう」ということで、当時トミーの理念だった“夢”というデザインをあしらった手拭いを作りました。それが非常に受けて、今日に至るまで5年連続で作らせていただいています。これもNPOをやっていて全然関係のないようなところから、今では結構なお仕事を頂戴するところまで至ったという例で、ちょっと挙げさせていただきましたけれど、仕事のみならず、その件以来、タカラトミーは町のイベントに参加してくださっています。例えば「立石フェスタ」という、町を挙げてのイベントがありますが、そこにも積極的に会社を挙げて協力してくれており、今までにない関係ができています。またタカラトミーの方針として、社員食堂を社内につくらないということで、千人近くいる社員は立石の食堂やレストランに行っています。これは非常に経済効果を立石の町にもたらしていますので、とても素晴らしいことだと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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