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防災インタビューVol.56

被災地に生協あり ~生協ネットワークを生かした災害支援への取り組み~

放送月:2010年8月
公開月:2011年2月

亀山 薫 氏

日本生協役員

プロフィール

日本生活協同組合連合会、略称日本生協連の亀山薫と申します。日本生協連に入ってから、コープ商品の開発・製作、組合員活動に関する業務・教育などの仕事をしてきました。その後、北海道支所で営業の仕事をした後、地方の生協の会員の交流や連帯の場である九州地連での仕事、そして理事会や総会などの機関運営をする仕事を経て、現在の防災担当をしています。
私が防災に関わったきっかけは、機関運営の部署で事務局をやっているときに、ちょうど新潟中越地震が発生しまして、そのことからその後、防災担当になったというわけです。

防災ボランティアの先駆者:日本生活協同組合連合会初代会長 賀川豊彦

日本生活協同組合連合会初代会長の賀川豊彦は、ノーベル平和賞やノーベル文学賞の候補者にも挙げられたキリスト教の社会運動家です。今から百年前、賀川は神戸神学学校を卒業後、日本最大のスラムと言われた神戸市新川に住み込んで、下層の貧民者の救援活動を続けていました。彼は1923年9月1日に発生した関東大震災の際に、発災翌日には船に乗り込んで神戸から横浜港に向かい、汽車と徒歩で9月5日には東京に入って、東京市役所の災害救援事務所を訪れ、そこで救援活動を始めました。賀川は、被災地ではお金や医療や食料が不足しているということを知って、一度神戸市に戻り、西日本で講演会などを開いて義援金を募ったり、自ら持っている蔵書を売って、今のお金でいう1億円ぐらいを集めて、再び東京に戻って救援活動に入りました。救援活動では東京深川のYMCAに合流して隅田川の東側にテントを張って、東京市庁、日本赤十字社、キリスト教連盟などと連絡を取り合いながら衣類や寝具、食料の配給、行方不明者の調査、法律相談、建築相談などに当たりました。まさにボランティアの先駆者として活動したわけです。ちなみに賀川は1926年から「ボランティア」という言葉を使い、日本に初めて「ボランティア」という言葉を持ち込んだ人であるとも言われています。
賀川豊彦は、その後、貧しい人たちを救うために労働組合をつくったり、あるいは農民組合を結成して農民運動を指導したり、労働者の生活安定のために生活協同組合を結成するというような、社会福祉運動を次々と起こしていきました。こうした社会福祉に懸ける情熱もあって、賀川は戦後日本の社会に生協が大きく発展する基礎を作りました。
こうしてつくられた生協は「暮らしを良くしたい」「安全な商品が欲しい」という人たちが集まった相互扶助の組織であり、「一人は万人のために、万人は一人のために」というスローガンを掲げ、日頃から人と人が協力し、助け合うことを理念としてきた組織です。大規模災害などで被害を受けられたら、協力し合い助け合うという理念が生協の中に息づいているということが言えます。

「被災地に生協あり」

「被災地に生協あり」、この言葉が使われたのは、1995年の阪神淡路大震災のことです。阪神淡路大震災では、全国の生協から神戸に支援に駆け付けました。この地震では神戸市のコープこうべ本部の建物が完全に倒壊するという被害に遭いました。また生協の店舗・事業所も全壊・半壊が11事業所、一部損壊を含めると70%の事業所が被害を受けたというような大きな被害がありました。「日本で一番大きな規模の生協が大変なことになった」ということで、全国の生協から、店舗や宅配事業の再開を支援するために駆け付けました。
ところが生協の支援部隊の仕事は、生協の店舗や宅配の事業の再開という支援ばかりではありませんでした。被災地の行政のお手伝いなどもありました。東灘区役所では遺体安置所が足りなくて困っていて、「生協の施設を遺体安置所として使わせてもらえないか」という要請があり、また「遺体を運ぶ車両もないので、ぜひお願いしたい」ということもあって、コープ神戸はこの要請に応えて、遺体の搬送や遺体の安置に取り組みました。棺おけは、神戸市が発注しましたが、組み立てのくぎがないということで、コープこうべは大阪市や堺市の問屋、またゼネコン各社まで問い合わせて、くぎ5万本も調達しました。さらに棺おけを組み立てる人手も足りないということで、各地から来た生協の支援者が3日間、生協施設の広場で、棺おけの組み立て作業を行ったということもあります。また物資の集積所には、救援物資が全国から集まってきていますが、避難所に運ぶ運搬手段がないということで、行政から「生協の宅配用の小型トラックをぜひこの運搬手段にお願いしたい」という要請もあり、それに応えて神戸市内を生協の車が走り回ったということがあります。
生協という同じ理念を持ち、平和と安心できる社会を求めて活動している全国の生協からの救援部隊は、被災地生協の支援だけではなく、阪神間の各自治体に入り込んで、救援物資の受け取りや仕分け、遺体の搬送、炊き出し、棺おけの組み立てなど、多岐にわたっての活動を行いました。こうした生協の取り組みを取材した東京新聞の記者が「被災地に生協あり」という見出しをつけて報道したというのが「被災地に生協あり」の話です。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。