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防災インタビューVol.63

被災地域 復興への道のり

放送月:2011年5月
公開月:2011年9月

田中 保三 氏

神戸市御蔵通5,6丁目まちづくり協議会会長

プロフィール

私は神戸市長田区で兵庫商会という自動車の部品の卸をやっています。阪神淡路大震災当時は社員43名でしたが、震災後、LPG部門の開発改造部門を分社して、今現在38名でやっております。大体年商15億少しです。

震災の被害を受けて

当社は昭和21年に創業して、戦後のモータリゼーションの勢いに乗って全社屋が6棟ありましたが、震災のときに長田区は火災のひどかった所で、社屋6棟のうち5棟が燃えて、在庫商品9500万円が灰になりました。車も20台中14台が燃え、コンピューターも全部燃えてしまいました。このように非常に大きなダメージを受けてしまい、1棟残ったところで商売をしようと思ったものの何もない状態で、本当にこれで商売ができるのかという状況でしたが、震災当日の昼に、1人を除いて全員無事だということが分かりました。

「社長は商売を辞めてしまうのではないか」と古参の社員が不安におびえた目で、私の背中を刺すような目で見ていたので、それを見て私は「経営者としては、社員とその家族を食わす義務がある」と感じました。その日のうちに「今日は帰って、明日から1棟残った所を事務所兼倉庫にしてやろう」ということを決意しました。結局、早く決断したのが良かったと思います。リーダーシップの3原則、してはならない3原則というのがありまして、一つは「決断しない」、一つは「問題を先送りする」、一つは「部下に任せて逃げること」です。この三つは何としてもやってはならないと肝に命じていましたので、「よし、やろう」という気になってやったら、何とか3月には前年同月に近い売り上げになりました。

社員は「ひょっとしたら辞めてしまうのではないか」と思っていたのですが、社長が「やろう」と言ったことで、皆が燃えました。それまでは、楽は共にするけれど苦は共にしたくないというのが多かったのですが、紙1枚、鉛筆1本ない、計算機もない、机、椅子もないという状況でしたので、皆で、どこに行けば調達できるのかを考え出して、「そうだ、あそこのメーカーの営業所が今月20日にやめると言っていた、文房具は全部もらってこよう」とか「2年前に営業所を廃止した卸屋がある、そこに行って、机や椅子が残っていたからもらいに行こう」というような形で、あちこちからアイデアが浮かんできて、全員が一つの方向に向かって歩き出しました。震災が起こったのが1月17日で、30日にはもう販売ができるようになったのは、我ながらびっくりしました。

いざというときの女性のたくましさ

震災後は交通の便が非常に悪かったので、大阪や尼崎の同業者から「大阪や尼崎から来ている者がいたら、うちの会社で臨時で雇ってやるよ。給料は同じだけ出そう」という話がありました。大阪から通っている社員が、24日ごろだったと思うのですが、通勤に4、5時間かかっていて、とても疲れると愚痴を言っていましたので、彼にその話をしました。彼は、給料も保証してくれるということで、非常に喜んで行く気になっていましたが、まだ電話が混んでいた時期なので「返事は明日にしたらいいから、嫁さんとよく相談してこい」と伝えました。すると翌日、しょぼんとしてやってきて「社長、あの話は断ってくれ」と言うのです。「なんや? 昨日、喜んでいたのに」と言いますと「家内に相談したら、あんた、会社がしんどいときに自分だけ楽をして、楽できるようになったからと言ってのこのこ出ていけるかと言われた」と言うのです。本当に女性は、いざというときに肝っ玉が据わっています。

僕は震災の時にプレハブを建てる事業をボランティアとしてやりましたが、「うちも建ててくれ」と言ってくるのは、ほとんどが女性です。男性は理詰めで考えて「後でえらい目に遭うぞ、なんぼ取られるか分からんぞ、そんなのやめとけ」と、こんなものです。女性は肝っ玉が据わっていますので「明日からどうしよう」ということをまず考えて行動します。戦後もそうですが、買い出しに行ったのは男ではなく女です。いざというときは女性がたくましいです。震災後も、がれきの状態にある町を何とかしなければいけないということで、やはり女性2人が個別に各戸を回って、町の6、7割の署名を集めてきて、一気にがれきの片付けをやりました。自治会長、連合会長もいるのですが、男は動きませんでした。やはり、いざというときの女性はしっかりしています。その2人は後に、まちづくり協議会の副会長になるのですが、いざというときの気持ちの据わり方というのは本当にすごいです。男は勝ち戦のときは、鼻歌を歌って酔っぱらっていい調子でやって来るのですが、こういう大災害に遭うったときには全然意気地がないと思います。これは長田の話ですが、全国的に言えるかもしれません。

仙台に見る東日本大震災

この間、仙台に行ってきまして、またこれから行きますが、東日本大震災は、被災地の面積も阪神淡路大震災の比ではありません。「手の付けようもないぐらいひどい」というのが事実です。神戸の場合はまだ大阪があったので助かりましたが、今度は基幹都市である仙台もやられてしまっています。政令都市である仙台がやられているというのは、致命的に違うと思います。

今回、名取や亘理を見て、山元町で泥かきをやってきましたが、被害はものすごいです。穀倉地帯である仙台平野の田んぼの中に、自動車が至る所に突っ込んでいたり、2階建ての家の1階がなくなって、2階の部分が流されてきていたり、道路の所で行き止まって、2階の部分が1階になって建っているという状況です。また、海岸にあった松林の大木が、根っこが付いたまま流れてきていました。僕が行った海岸から800mぐらい内陸に入った大きなお寺では、本堂だけは無事でしたが、本堂の上のガラス戸の1m80ぐらいの所まで水が来ていました。本堂は階段があるので、実際には2m40から50ぐらいまで来ていたのだと思います。御本尊さんもひっくり返っているという状況で、位牌堂に戦没者の写真が掛かっている所があるのですが、そこもやられてしまって、位牌などは飛び散っている状況でした。さらに住職の住む庫裏がありましたが、傾いて、引っかき回された跡しかありませんでした。内陸に入った所でもそうなのですから、ものすごいものです。

また仙台東部道路というのがありまして、盛り土の道路なのですが、そこが防波堤になって、そこから内陸、西の方はほとんど被害がありませんでした。それでも水路や道路がある所は津波が押し込んで行って、奥に入っています。道路を挟んで海岸寄りの方は、ごみや自動車がいっぱい入っていますが、奥の方はそれほど自動車も入っていませんでしたし、ごみはいくらか入っていますが、その差は歴然としていて、ほとんど被害のない所もありました。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。