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防災インタビューVol.63

被災地域 復興への道のり

放送月:2011年5月
公開月:2011年9月

田中 保三 氏

神戸市御蔵通5,6丁目まちづくり協議会会長

生業を再開するために

漁師の皆さんや農家の皆さん、生業として一次産業をやっておられる方々にとって、仕事を再開できる見込みがなければ、本当に夢も希望もなくなってしまうわけです。ですから、それができるような仕組みをつくらないといけないと思っています。僕が漁業組合の組合長だったら全国を駆け回って、沿岸漁業、遠洋漁業をやっているところに船を買いつけ付けにきたいぐらいです。日本は周り全部を海に囲まれていますので、船を持っている人はたくさんいると思います。漁師をやっている人もたくさんいるけれども、もう高齢化してきて船に乗らないという人も出てくるだろうし、途中で辞めようという人も出てきていると思います。そういうところの船を集めてきて、三陸の漁師さんに渡すことができればと思いますが、ここにはちょっと難しい問題があって、船を持っていないと漁師の権利がなくなるという話が当然出てきます。これは保障が必要なので、漁業補償が出てきたときに船を持っていないからできないということにならないように、船をリースするということでもいいと思います。使わない船を安くリースするというような形で「船を使ってください」という申し出を、どんどん出してほしいと思っています。被災地の人が船を造るるには時間もお金も掛かりますが、余っている船を寄せ集めてきてレンタルでもリースでも安く、要するにただ同然にでも貸してもらって操業できる仕組みをつくって、水揚げを何とかしないといけないと思います。そして、揚がってきたものを水産加工場で加工したり、水揚げした魚を卸屋さんに渡して全国に発送したりという形で生業を再開させることができないと、希望がなくなってくると思います。また農家の方に対しても、少なくとも来年から米を作れるようにしよう、というような形にしないといけないと思います。1カ月たっても船も自動車も田んぼの中に入っているような状況では、本当に気持ちがなえるばかりです。チャップリンではないけれど、希望と勇気とサブマネーがなかったら何もできません。

復興への希望

神戸の場合でも、何だかんだ言って、なかなか行政はお金を出さなかったのですが、もっともっとオープンにして、お金も早く出さないといけないと思います。お金はたくさん集まっているけれど「どういう配分にしようか」「皆平等にいかなきゃ駄目だ」と言っていたら、いつまでたっても金の分け前なんて来ない。取りあえず集まったうちの半分でもいいから、配ったらいいと思います。そのような形でも、何か希望のあるところがなかったら話にならないと思います。10万やそこらもらったって話になりません。「仮設を建てる」と言っていますが、本当に困っているお年寄りや弱者には、今すぐ仮設住宅は必要かもしれませんが、本当のことを言えば、戦後すぐに市営住宅や県営住宅として今の仮設より、もうちょっとましなバラックが建ち、20年30年もったので、そういう形で建てさせたらいいと思います。どこかの町が間伐材か何かで仮設住宅を建てたけれど、それは仮設と認められないから金が下りないという話も聞きましたが、そんなことを言ったらきりがないので、どんどん半永久的なものまで建てさせて、それを仮設と認めて、そのくらいの金を渡してもいいと思います。

被災者の方の今後の仕事

被災者の方の今後の生活を考えたときに、従来の仕事を再開するのが最善の策だと思われます。漁業者には漁業を、農業者には農業をしてもらうのが理想的な形です。そういった面でも、皆が助け合いながら希望を持てるようにしていくべきです。一刻も早く、農業者にとっては田んぼのがれきや材木を片付け、ヘドロを取っていくことが大切ですが、あの広い平野の中を1人でやってもできるわけはないですし、いつまでも自衛隊にばかり頼ってもいられないので、ぜひ大勢のボランティアの皆さんの力で、農業者が種をまけるようにしていければと思います。農業者はやはり種をまいて、芽が出たら、芽が出たときの喜びがあるのです。花が咲いたら、花が咲いたときの喜びが、実がなったら、実がなった喜びがあるのです。その喜びを味わいながら人生を経ていくわけですから、そういうことを繰り返し起こさないことには、なかなか元気が出てこないと思いますので、その下地をどんどんこしらえていくために、ぜひとも全国の皆さんに、そのお手伝いをお願いしたいと思います。

原発の影響

今、日本全体で復興に向かっていこうとしていますが、これに多少水を差しているのが原発だと思います。神戸の場合は1月に震災があって、3月にサリンの事件が起こりました。その間2カ月間は余裕があったわけです。2カ月間、必死になって復興に向けて日本全体で頑張ってきたものの、サリン事件が起こって神戸が忘れ去られてしまって、中央との温度差も随分出てきました。今回の震災では、とにかく範囲が広いので、すぐに忘れることはないと思いますが、時間がたつと気持ち的に薄くなってきますので、これを皆の力でいかに継続させるかが大切になってきます。

原発の影響は、被災地だけでなく東京周辺や関西でもありました。買い占めが起こって、単1の電池や懐中電灯がなくなったりしました。東京や神奈川から神戸の方に避難された方もたくさんいらして、昨日も同業者の嫁が赤ん坊を抱いて来たり、ボランティアグループの知り合いの住職の奥さんと子どもも我々のところに逃げ込んできましたので、こんなに原発に過敏なのかと思ってびっくりしました。ホテルも泊まる所がないぐらいになってしまって、あふれて、うちの家にも泊めたこともありました。

海外でもメディアに取り上げられ、台湾に行ったときには、災害どころか原発の話ばかりされていました。海外での報道は話が10倍ぐらいに膨らんでしまっていて、私たちは今ここで生きていますので、別に人体にそれほど被害があるわけでもないのに汚染された国みたいに言われて、日本人としてもちょっと嫌な気がしました。こういうことが起こると情報が独り歩きしていきますので、「想定外」ということだけは、これからは言わないようにしてほしいと思います。情報化社会の中で、きちんとした情報が伝わらず、何か隠していることがあるのかと思われるので、政府がきちんと発表したほうがいいと思います。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。