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防災インタビューVol.63

被災地域 復興への道のり

放送月:2011年5月
公開月:2011年9月

田中 保三 氏

神戸市御蔵通5,6丁目まちづくり協議会会長

ボランティアの初動動員の遅れ

この状況を見ていると「なぜボランティアを最初からたくさん入れなかったのか」と疑問に思います。行政がまひしているから駄目だという話もあるのですが、行政のお手伝いをできる人もいると思うし、日本全国の行政マンもいるわけです。全国が一つになって、もっと早くに東日本を助けに行かなければならなかったのではないかと思いますが、ちょっと後手になってしまっています。道路も、あれだけ長い間、一般車を通行止めにしてしまうのではなく、ガソリンがない、灯油がないというのなら、もっと早く東北自動車道を開通することができれば、関西からもタンクローリーをどんどん出せてよかったのに、と思います。

阪神淡路大震災のときにもそうでしたが、最初に入ってくるボランティアは、自己完結できるボランティアが多いので、人がいれば、もっと早く道路も開通できたと思います。地形がくしの歯みたいになっているので、三陸に行くのは難しかったかもしれませんが、それでも東北自動車道を見たら、それほどむちゃくちゃな被害ではなかったので、行ける所までは行けば何とかなったと思います。

今回の東日本大震災においては国のほうでも規制していて、なかなかボランティアが現地に入って行けないというような話がありましたが、これは理解できません。あれだけの被害があって、ボランティアの力は絶対必要だと思います。阪神淡路大震災でも130万人のボランティアが入ってきたと言われていますが、特に最初に入ってきた人たちはものすごい覚悟をして入ってきているので、とてもレベルが高かったです。見ている限り、ほとんどが自己完結している人ばかりでした。何よりも初動が大事です。今回も意識の高い人たちがもっと活動することができたはずなので、それまで全部断る必要があったのかと、今でも疑問に思っています。

役場がやられているから役場からの要請がなかったと言えばそれまでですが、そういう所にこそボランティアが要るのです。それがなぜ入れなかったのか。入れないような現状がかなりありましたし、識者からもそういう話が多く出ていましたが、僕はそれは間違いだと思っていますし、今でも入れるべきだと思います。

ボランティアに支えられる復興への一歩

ボランティアの仕事ですが、これからもまだまだあると思います。特に平野部のごみを見ていたら、農業者は嫌になります。田んぼの中に入った木を切って外に放り出す。そういう作業をどんどんしていって、少しでも片付いている様子を見せれば、農業者も「さあ、やるぞ」という気になってくると思います。まずごみを取り除いて、機械を入れて、表土を30?ぐらい取らないと、どうしようもないと思いますので、その除去作業の手伝いも十分あると思います。そのためにも意識の高いボランティアに入ってもらうべきだと思っています。

昭和13年に阪神で水害がありました。そのころの話を、僕が学校を出て土建屋に入ったときに聞いたことがありました。長雨のせいで山崩れがあって、土砂を除去する作業がありましたが、その際に慶應大学に行っていた人が呼び戻されて、6月の終わりから7月にかけて、その作業をずっと手伝ったという話がありました。今も「大学を4月いっぱいは休講にして、ボランティアに行こう」という話が出ていますので、どんどんそういう形でボランティアに参加して、日本を支えてもらえればいいと思います。4月までと言わず夏まででもいいと思っています。

大学生のボランティアというのは、阪神淡路大震災のときもありました。白鴎大学の福岡政行先生がゼミ生を連れて来て「ボランティアするなら単位をここで渡す」と言ってくれました。関大の先生に対しても「おい、どうだ?」という話がありまして、関大の先生のほうがたじたじになってしまったという場面があったのですが、大学生に単位を与えてでもこういうボランティアをさせるべきだと思います。「若いうちに、こういう経験をしないことには将来役に立たないよ」と学生に言いたいです。大いに学生が奮い上がって、この手伝いをしたら、きっと将来どこかでまた、こういう災害が起ったときに十分応用できる知識を身に付けることができると思うし、人と接するということも自分を鍛え上げる要因になるので、ぜひとも出ていってボランティアをしてほしいと思います。

震災後の町の様子

阪神淡路大震災で私の地域は8割方焼けてしまったので、区画整理地区に入ってしまいました。神戸市の区画整理は、新興開発地と同じようなタイプのやり方になってしまっています。我々の町の6割強は借家権者が住んでいたので、結局、区画整理のために借家権者が元に戻って来られなくなりました。今は8割少し人口は戻ってはいますが、この8割を超えたということは長田区が8割を切っているので、区画整理が行われた所にしては優秀ですが、実際、元居た人たちは3分の1戻ってきたかどうかというぐらいのところです。土地を持っていて、家を持っていて、そこに住んでいたという人は大体戻って来ていますが、中には商売の関係で区画整理を待っていられないということで、外に出て行った人もおられます。やはり権利の弱い人が戻ってこられなかったという現状があります。ですから本当は、東京都がやっているような事前復興という考え方で、こういう災害があることを事前に予言しながら、あらかじめ図上なり現場を見て、それを踏まえながら事前に計画を考えていたら、割とスムーズにいくだろうと思います。

ただ、このたびのようにいきなり大震災が来て、津波が来て、全く更地のような状況になってしまったときにどうするか、というのは非常に難しいと思います。実際には、3分の1の人が戻って来て、3分の1の人がもうちょっと高台に上り、あと3分の1の人は戻ってこなくて、この地域を放棄するという形になるのではなかろうかと、我々の町づくりの流れを見ていても、そのような感じがしています。

しかしながら漁業者、水産業者、水産加工業者、あるいはそこで養殖されている方、魚の卸をやっている方は戻って来ると思います。多分、漁師さんはそれを生業としていたら、「俺は漁師しかできない」という形で戻って来るし、農家の方も、あの仙台平野の中で、おいしい米やイチゴをこしらえているので、同じだと思います。そのためには何か手立てが必要だと思います。

仙台飛行場に着く前に上空から見た何とも言えない良い雰囲気の所、仙台平野を、もう一遍ぜひとも再興させてほしいし、あの三陸沿岸の風光明媚な所も、人がいなくなってしまったら寂しいと思います。日本人の魂の故郷のような所なので「ぜひともあそこにもう一度」というのは勝手かもしれませんけれど、我々の願いです。やはり郷愁がそこにあるような気がするのです。そのためには全国民、そして政府なり行政なりが皆で支えてあげなければいけないと思います。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。