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防災インタビューVol.68

自分の命は自分で守る ~自助のための対策~

放送月:2011年10月
公開月:2011年12月

齋藤 實 氏

元東京都総務局総合防災部情報統括担当課長

プロフィール

私は3月末まで東京都の総合防災部で仕事をしていまして、ちょうど東日本大震災が発生した時も都庁におりました。3月末に都庁を辞めまして、現在は危機管理勉強会で、いろいろな方々と一緒に危機管理に関する勉強会をやったり、また防災、危機管理の仕事が長かったので、そういう経験を生かして地域の人たちと一緒に、地域の防災力を高めるために、BCPと言われる事業継続計画の策定の研修を行ったり、いろいろな取り組みをやっているところです。

東日本大震災のその時

3月11日14時46分、私は都庁の11階、総合防災部で仕事をしていました。珍しく大きく、これまでに体験したことのない地震でした。窓ガラスがギシギシギシという音を立てて揺れていました。揺れが収まってから早速、防災センターに駆け付けて、直ちに自分の業務である広報班の業務を行いました。当日は東京都では災害対策本部会議を3回行い、3回の記者レクに対応し、被害状況などのプレス発表を当日8回出しました。

災害対策本部には、たくさんの情報が集まってきますので、いろいろな機関の方々に対して指示をします。東京都では総合防災部というのは、災害対策本部の事務局機能を担う部署です。そのうち私が担当したのは広報でしたので、被害情報を速やかに公表したり、新聞記者などからのお問い合わせに応えたりというのが私の業務でした。ですから、当日はほとんどプレスの関係者からの電話の応対に追われているか、時間を区切って記者に今の状況を説明するためのレクチャーを夜中までずっとやっていました。その後、本部の中に詰めていて、いろいろな意味で交代ができたのは翌日の午前11時でした。この間、うちの部のすべての職員は、都庁に置いてあった職員用の乾パンと水だけで対応していました。

本当は何もなければ3月31日退職ということで、退職の準備をやろうとしていたのですが、その日に実際に大震災が起きたわけですから、その後は3月31日ぎりぎりまで、その業務に追われていました。総合防災部は災害対策本部事務局機能のトップ機能を担うわけですから、いざ何か大震災などの事案が発生すれば全ての業務をストップして、そちらに集中するというのが本来の業務ですので、この業務が私自身としては都庁の生活の最後のお務めだったということでした。

都内での東日本大震災の被害情報

この震災で残念ながら亡くなった方が、都内で7名います。千代田区の耐震化がされていない建物で、天井が落ちて2名が亡くなりました。町田市のスーパーで、駐車場のコンクリートの塀が車の中に落ちてきて亡くなった方が2名。江東区にある作業所で、作業中のトリクロロエチレンの中毒死で2名。もう1名は八王子市の方ですが、たまたま階段を歩いていて余震が起こり、階段から落ちて、打ち所が悪くて亡くなったということで、7名の方が亡くなっています。このうち千代田区の会館の方は、建物の耐震性がなかったために貴重な生命を失われたということで、私は耐震化というのは大変重要な課題だと思っています。

その他負傷者は都内では今回は少なかったと思います。また建物の倒壊も比較的少なかったと思います。火災の発生は都内で当日33件ありました。地震が起きると真っ先に心配をするのが火災です。延焼して大規模火災になると、東京の場合ですと、いまだに木造密集地がありますので、被害の大きくなる恐れがあります。今回はたまたま33件の火災がありましたが、早い段階で鎮火しましたので、大きな被害にはならなかったということです。

また液状化の問題については、ディズニーランドのある浦安のひどい状況をご覧いただいた方もいると思いますが、ここでは道路が曲がったり、マンホールが噴き上がったり、あるマンションでは約1カ月ぐらい水道が使えない、下水が使えないという状況がありました。都内でも江東区、中央区、江戸川区などの幾つかの区ではあったのですが、幸いなことに水道管の破裂があって使えないということもなく、ライフラインにはそんなに影響がなかったということで、今回の被害状況を見ると、東京はそんなに大きな被害がなかったというふうに思っております。

それ以上に実は大変な事態が発生したのは、地震によって通信手段が輻輳して、電話がつながらない、携帯電話も全然使えないということでした。また夕方から交通機関が全面的にストップしてしまったために、多数の帰宅困難者が発生したということで、都心では車が渋滞して緊急車両も動かず、道路上に多くの方が歩いて帰宅されていたというような状況がありました。当日は金曜日の午後で翌日が休みでしたし、またお子さんが小さい方は、とりわけ連絡がつかないということで、どうしても自宅に帰りたいというような状況で、多数の帰宅困難者が発生したというわけです。

家族との連絡が取り合えない状況の中で

都内で帰宅困難者が多数出たというお話をしましたが、交通機関がストップしている中で、帰宅せざるを得ないという状況はどういうことかというと、やはり家族と連絡が取れないということです。とりわけ、保育所に子どもを預けている方や小学校の低学年のお子さんをお持ちの方は、現実問題として、どうしても自宅に帰って子どもたちの安全を確かめたいというのが、一番大きな要素だったのではないかと思います。地震が発生すると当然のことながら電気が使えないとか、通信手段もなかなか取れないという問題が起こりますし、今回は伝言ダイヤルの171も一定時間輻輳して使えない状況が発生しました。

このように連絡が取れなくなってしまうこと自体が、実は危機なのです。そういう時に家族がどこで何をしていてもいいから、どういう状況でもいいから、お互いに自分が安全だということをまず発信することが大事です。私は都庁の総合防災部で家族と離れていますが、家族には「何かが起これば3日間は家に帰らない」と事前に言ってあるのですが、まず、それぞれ自分が生きるということと、通信手段が整ったら、どこに連絡をするというのをあらかじめ決めておくことが大事なのです。連絡がつかないこと、それが危機ですので、家庭内で、あるいは仕事の関係で、通信手段がついたときにどういう方法で連絡をするかということを、お互いに決めておくというのがいいと思います。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。