プロフィール
私は、渋谷区役所の危機管理対策部防災課長の田山宗昭です。よろしくお願いします。区役所には平成2年に入りまして、最初は図書館の勤務でした。その後、区の企画部門で地域の交流やイベントの仕事をやっておりまして、その後は税金の徴収の仕事をしました。次に、放置自転車の対策をやっているうちに、ある年、係長試験に合格しました。そうしたら、公務員だと珍しいことなのですが、年度の途中、平成19年11月1日に「防災に来てくれ」ということで呼ばれました。そこで最初、防災計画主査として「地域防災計画」の担当をしました。「地域防災計画」というのは、国や都道府県、各自治体でつくる、言わばバイブルのような防災の対策をしっかりと書き込んだ計画のことです。それが防災のスタートでしたが、気が付いたら横滑りで今度は災害対策係長になり、訓練や、地域の人たちとのお付き合いや、地域防災計画にも携わる災害対策のトータル的なことをやっていました。そして、平成25年1月25日に前任の課長が急きょ代わりまして、私が課長を命ぜられ、課長としては駆け出しですが、渋谷区民の安全、安心を支えるための仕事をしています。
渋谷区民は20万人いますが、昼間人口は50万とも80万とも言われています。その中で「渋谷という街は安心、安全なんだ」「いざ何か起きてもきちんと守っていけるんだ」と思えるように日々頑張っております。
渋谷駅周辺帰宅困難者対策協議会
災害対策課では、災害に備えていろいろな対策を立てていますが、一言で災害対策といっても、場所によって違います。特に東日本大震災では津波の被害が大きかったのですが、渋谷区は多分、津波の心配というのはさほどないと思います。しかし、3月11日の東日本大震災の時には電車が止まりました。大勢の帰宅困難者がやはり出たのですが、渋谷駅の周りの混乱は比較的少なく終わりました。当然、当日は渋谷も混んではいたのですが、渋谷にはこれを支える仕組みができていたのです。
渋谷には「渋谷駅周辺帰宅困難者対策協議会」という協議会があります。平成21年5月14日に結成されたのですが、これは実は渋谷区の組織ではありません。渋谷駅の周りには駅もたくさんあり、路線も八つあります。バス会社もたくさん乗り入れていますし、デパートや企業、ホテルなどもたくさんあります。また、国学院大学、青山学院大学などの大きい大学や専門学校もたくさんあります。このような団体が一緒になって「帰宅困難者対策を自分たちの手で何とか解決していこう」という気運が高まっていました。ちょうどその時、渋谷区でも、平成21年にもともとあった条例を改正して、帰宅困難者対策に関する条例を作りました。そこで、帰宅困難者対策を地域の事業者や学校でしっかりやっていこうということで、協議会が結成されました。
協議会の中で話し合われたのは、まずは「帰宅困難者を受け入れること」と「情報を発信していく」ということです。特に災害の時に一番困るのはトイレなのですが、災害時にトイレを使わせてあげようということ、それと救出、救護、案内、誘導、こういったことを地域の力で自主的にやっていこうというものです。実際の災害時には、行政においては区でも都でも、その場に直接職員が出ていくというのは、できるようでなかなかできません。実際には地域の自助、共助が必要ですので、この協議会では自分たちが寄り合って、渋谷駅の周りのことは自分たちで責任をもってやっていこうとしているのです。
東日本大震災の時の渋谷
東日本大震災の時には、電車は止まってしまったものの、渋谷駅の周辺の混乱はそれほどではなかったとお話ししましたが、それは、この協議会の対策がうまく稼働したことによるものです。このような状況が起こった場合、各場所での受け入れをしていこうということで、事前に皆で約束をしていたのですが、各場所が即断で受け入れをしてくれました。例えば、青山学院大学では当日1万人を受け入れてくれましたし、国学院大学もそうでした。セルリアンタワーやエクセル東急、そして周りに大きな体育館もありますので、代々木競技場や参宮橋のオリンピック青少年総合センターでも受け入れをしていました。また、東急百貨店の本店でも、遠くから来るお客さんが多いので、帰れない方を店の中で翌朝まできちんとお守りしたり、東急建設でも社屋の待合室でBCM推進室の皆さんが本当に一生懸命、帰宅困難者対策のことを考えて協力していました。そういう一つ一つの事業所、学校、施設が皆で力を合わせて、渋谷駅の周りの帰宅困難者の居場所をつくったということで、混乱が少なく終わりました。事前に各企業で協議会をつくって対策を話し合い、訓練などもやってきたことにより、実際のときにはうまく機動しました。これは本当に素晴らしいことだと思います。