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防災インタビューVol.112

日常の中での防災 ~目的防災&結果防災~

放送月:2015年1月
公開月:2015年8月

定池 祐季 氏

東京大学助教

プロフィール

私は北海道の内陸の剣淵町という絵本で街づくりをしている町の出身で、冬はマイナス30度ぐらいになるような寒い地域で、とても自然豊かな所で生まれました。中学生の時に父の転勤で北海道の奥尻島に引っ越しをした際に、北海道南西沖地震という災害を経験しました。奥尻島だけで198人の方が犠牲になってしまうような痛ましい災害で、私の近所までも津波が押し寄せて、知っている方が亡くなり、友人の家も流され、町の光景が一変してしまいました。これは非常にショッキングな経験で、子どもながらに世界観、価値観が変わってしまいました。それまで当たり前にあった町並みや日常というものが、たった1回の災害で壊れてしまい、それは簡単には戻らないものだということにとてもショックを受けて、研究者の道を志すきっかけになりました。その後、東日本大震災の後に、津波の被災地を歩いた時、その光景や、被災地の泥と砂が混じったにおいや、海産物のにおいとともに、小さい頃に奥尻島で五感で体験した記憶がよみがえってきて、災害を追体験したようなショックを感じました。

現在は、東京大学大学院で防災についての研究を行い、どのようにして防災力を向上させるかを研究したり、全国の災害の事例の調査などを行っています。

災害の記憶から、防災への決意

大学院の修士課程の時に、奥尻島にいた頃の私と同年代の被災者十数人にインタビューをして歩いたことがありました。その時には、夜な夜な津波の夢を見るようになったり、遺族の方にいろいろなお話を聞いて歩く中で「自分はいったい何の役に立てるのだろうか」と思い悩みました。そこで、研究職をあきらめ「本当に自分は何をしたいのか、もう少し考え直してみよう」と思い、一旦防災から離れ公務員として就職をしました。

その公務員として就職をした年が2004年でした。その年には、二つの大きな災害があり、その一つが新潟の中越地震でした。この地震には個人的に非常に衝撃を受けましたが、ただただニュースを見ているだけで、研究の道を離れてしまうと何もできない自分というものに非常に焦燥感を覚えました。またちょうどその年に、スマトラ島で津波があり、津波を知らない大勢の住民の命が失われたということをニュースで知りました。私自身も、奥尻島の地震の際には、それまで山の中で育っていたこともあり、家族全員津波のことを知りませんでした。近所の人の誘導で家族が避難でき、津波から逃げることができました。しかし、スマトラ島では、そのような経験がない方が大勢亡くなってしまったことを知って、防災教育に力を入れたいと決意し、もう一度研究者の道を志しました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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