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防災インタビューVol.120

災害に備え、災害に臨機応変に最善を尽くす

放送月:2015年9月
公開月:2016年4月

原口 兼正 氏

元セコム社長

非常時の備え ~衛星電話と乾電池~

セコムの場合は、要所要所に衛星電話が置いてあります。これは直接衛星に向けて発信するもので、電気が来なくても電話がだめでも使えるものですが、使わない時でも毎月お金が掛かるので、そんなにたくさんは持っていられません。東日本大震災の時には、第一便で入った車が全部の事業所に衛星電話を1つずつ置いてきました。これは窓の所で、南の空にアンテナを向けて、あとはダイヤルすると普通に話せます。何も連絡網がないときにこの衛星電話というのは必ず役に立つと思います。私が社長だった5年間は、自宅に必ずこれが置いてあって、もし何も通じないときはこの電話で話してくれということでしたが、幸いに私の社長の期間には電話がつながらなかったことは一度もなかったので、使わないで済んで、そのまま次の社長にバトンタッチで渡しました。

それからもう一つ気付いたのが、懐中電灯も乾電池もあるという状態でも、人間はどうしても「電池がもし切れたらどうしよう」と不安に思うらしくて、ロウソクを使いたがります。夜になると最初の頃は停電していますから、電池をできるだけ節約してロウソクを使おうということで、ロウを垂らしてその上に立てておいて火を付けている場面がありましたが非常に危険です。キャンプ用のランタンのようなものでしたらまだいいのですが、ロウソクは危険なので「電池を大量に送るのでロウソクは使うな」と伝えました。

阪神大震災の後に、実際に即して、うちも危機管理マニュアルをだいぶ書き直しました。阪神大震災は大阪が無傷で、国道2号線の渋滞だけが問題で、物も入ってきていましたが、東日本では物資が入ってきませんでした。まず東北高速道は規制されていましたし、離れているので大変でした。今までは、災害が起こっても3日間持ちこたえられれば大丈夫だと思っていたのが、東日本大震災は3日では全く駄目で、電気がやっと通じるのに5日ぐらいかかっています。まあまあになったのが10日ぐらいしてからで、私もその頃にようやく行くことができました。このように考えると災害が起こる場所、あるいは皆さんが住まわれている場所によっても震災の後の時間経過の感覚が全く違うと思います。

それぞれがそれぞれの場所で最善を尽くす

この東日本大震災で一番感動したのが、ひとりの女性社員の話です。家は流され、ご主人がヤマト運輸で宅配便をやっていて忙しいのに、親戚に子ども2人を預けて、その上お腹にもお子さんがいるのに、毎日きちんと会社に出てきていました。たまたま地震の前日に軽自動車を満タンにしていたらしく、片道10キロ走って自宅から通ってきているけれど、ガソリンがなくなったら来ることができないので、早くガソリンを用立ててほしいということを言われました。このように事務員1人しかいない事業所でも頑張っていたり、地元の責任者や営業所の所長の奥さんたちが鶏のから揚げやカレーを作って持ってきてくれて、それをみんなで食べたりもしていました。私も被災地に行くわけなので、自分の食べる分は持って行っていましたが、「これ新米ですからぜひカレーライス食べてください」と言われました。そういう感じで、本社から指示がなくてもそれぞれの地域で、現地で工夫をして災害を乗り切っていました。

セコムでは、災害が起こった際には、自分が所属しているところではなく、自分が行ける事業所に行くことになっています。例えば、大阪は明石あたりから京都までが通勤圏内です。その中で転勤しても元の家に住んでいる人も多いので、大阪に勤務していても神戸に住んでいる人も結構います。大阪まで行けない場合は、みんな自分の家から行ける事業所にやってきて、それぞれ連絡を取るわけです。それぞれが行ける所に出てきて安否確認をして、その場所の仕事をするということで、阪神大震災の時は非常に有効に働きました。そうすると元技術課長経験者や上層部の人間などもいますし、いろいろなことをできる人がいるので、これはこれでうまくいきましたし、逆に違う所に行った人もそこの仕事を一緒にやってくれました。こういう時にやはりセコムの現場、セコムのフィールドというのは本当に一体的によく動いてくれますので、ご家族も含めて非常に感謝しました。これは、システマティックにしているわけではないのですが、自然にみんなが動いてくれるということです。普段なかなかマンネリ化していても、うちの社員はいざことが起きると非常にみんな積極的に動いてくれます。

震災の際に全国から応援に入った人全員に、うちの創業者が自分の字で「常在戦場」という置物を配りました。その心は「いつでも戦場にあるように緊張してやれ」ということですが、実際に震災の際にはそれができたのだから、それを忘れないでこれからは平時も一生懸命仕事をしなさいということです。私たちセコムの社員はこれを胸に、それぞれが日常の仕事を進めています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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