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防災インタビューVol.120

災害に備え、災害に臨機応変に最善を尽くす

放送月:2015年9月
公開月:2016年4月

原口 兼正 氏

元セコム社長

東日本大震災時の現地対応

私は東日本大震災が起こった時はすでに社長を辞めており、別の社長が指揮を執っていたので、表に出る必要はほとんどありませんでした。しかし、被災地の社員はそれまでに相当な経験をしていますので、その経験を聞いて回ろうということで、震災後すぐの3月23日から現地に入りました。その時は既に民間の飛行機が飛んでいましたので、普通のJALの飛行機に乗って、手荷物として真空パックの崎陽軒のシウマイをたくさん持って三沢空港に行きました。空港には八戸支社から迎えが来ていて、会社の車に乗って、まず沿岸の津波の被害を受けた久慈に向かい、気仙沼など、まだ当時は入ることができなかったところもありましたが、3日間でいろいろな場所を回りました。この時はガソリンが極端に欠乏していましたので、私用のガソリンというものを金属のガソリンのタンクに入れて運びながら、事業所を回り、最後に仙台まで戻ってきました。この時にわざわざ真空パックのシウマイを持って行ったのは、1人で行ったので、そんなに多くの救援用の食糧は持っていけないのですが、真空パックのシウマイは賞味期限が常温で6カ月だったので、これだったら何かの足しにはなるだろうと思ったからです。事業所の人数に応じて持っていくと結構喜んでくれました。女子社員なんかは「私は一回崎陽軒のシウマイ食べたかったんです」と言って喜んで食べてくれたので、コミュニケーションをとるのになかなか有効でした。

現地は、最初は食糧事情も悪く何もなかったのですが、地方なので社員がみんな近くに住んでいて、社員とその家族に会社は助けられたようなものです。お米はたくさんあるので炊くことができるし、カセットコンロがあれば大丈夫だということでしたが、その当時、お店で売っていたのはポテトチップスやおせんべいでした。そんなものばかりを食べていると塩分の取りすぎになってしまいます。最初のころは最小限必要な物資があればなんとかなるけれど、持久戦になるわけですから考えないといけません。これも実際に現地にいってみないと実感が湧かないと思いますので、これも非常に勉強になりました。

被災地でなくて困るもの

現地を回ってみて、まずはどこに行っても「何に困っている、何が欲しい」と聞くと、必ず「ガソリンが足りない」と言われました。それ以外では、コピー機がダウンして困っているという話が多くありました。パソコンなどは、停電した後で通電して過電流が流れても大丈夫なように対策がしてありますが、コピー機になると、1回停電して、長い所では5日間も停電したところもありましたが、その後一生懸命復電工事を電力会社がやって、急いで立ち上げてくるので、停電後に電気が流れる時に相当大きな一時的な過電流が流れて、いろんなものが壊れてしまうことがあります。コピー機は突然強い電気が入って壊れてしまいました。コピー会社のサービスマンも震災直後は来られないので、みんなコピー機に困っていました。応援チームが来ても、リストのコピーや何かができないというので、この時も慌てて会社に電話を入れて、次に物資を運ぶ時にとにかく小さいコピー機でもいいから持って来いと伝えて、各事業所にコピー機を配りました。これは意外と大事なことでした。今は何でもコンピューターに入っていて、打ち出せばいいと思っているのですが、実際にコピーできなくて困ってしまうわけです。

また、地方に人を派遣しても、なかなか泊まる所がありません。地方ですから知り合いのお家で空いている所を借りたりもしましたが、最後には泊まる所がなくなって、キャンピングカーはどうだろうかと仙台の本部に電話して、キャンピングカーを当たってみてもらったところ、東北電力が全部借り切ってしまっており1台もありませんでした。気が付くのが遅れたなと思っていたら、向こうも借り過ぎたらしくて、その後キャンセルが出たということで慌てて借りに行って、それを搬送したのですが、アメリカ製の大型でハンドルが左で、みんな運転したがりませんでした。若手の課長がなんとか持って来ましたが、その後もずっと今に至るまで宿泊する所は足りていません。実際沿岸地域に宿泊所がなければ、内陸にちょっと戻ればいいのですが、当時はガソリンがないので、無駄な往復はしたくないため結構苦労しました。そういうことで結構長いこと応援チームが行くには行けたのですが、1日、2日は何とかなりますが、応援社員は1カ月とかそういう単位で入れていますので、きちんと寝る場所もなければ困るし、お風呂にも入らないといけないわけで、入った人間の生活をきちんと整えることがなかなか大変でした。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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