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防災インタビューVol.120

楽しく、明るく、元気に 防災情報発信

放送月:2015年10月
公開月:2016年5月

石川 淳哉 氏

ドリームデザイン社長

東北での活動 ~「助け合いジャパン」~

最初は1年、東北で活動すると皆には言いましたが、都合2年半ぐらい、ずっとではないですが、ほぼ心は東北にありました。最終的に言うと、2015年の3月まで、岩手、宮城、福島で緊急雇用事業として30人ほど雇って、現地の人が現地の情報を取材して日本や世界に発信をする「助けあいジャパン」というウェブサイトを運営していました。

いわゆるボランティア活動というと、お金を送る、毛布を送る、食糧を送るという直接的な支援もありますが、われわれが行っているコミュニケーション支援というのは、いわゆる中間支援と言われるものです。このコミュニケーション支援というのは、割とみんなに放っておかれてしまいがちですが、これがないとものもお金も人も生きないんです。とてもこのマッチングというのは重要で、やらないと駄目だし、やってよかったなと今でも思っています。この支援を進めるために、まずは3月11日の震災の翌日に、会社の中ではなく、ツイッターで「プロボノ」の募集をしました。「プロボノ」というのは、通常皆が考えるボランティアのやり方ではなく、プロフェッショナルでボランティアをするというもので、自分のプロフェッションを、毎日少しずつ時間を割いて、みんなでつながっていって助けていくというものです。

この時期は、ちょうど日本でもツイッターやフェイスブックが始まったあたりで、いわゆるクラウド、インターネットで人が集まって、会議をして、エクセルのシートで消し込みができたり、いろいろなことを直接人が会わなくても進められる状態になってきていました。そこで1回こっきりの編集会議を翌日に行い、その1週間後に、随分立派なポータルサイトが出来上がりました。「いやすごいな」と僕も実は思いました。皆、仕事の時はウダウダ言うのですが、この時ばかりは皆の力はすごかったです。その後、実を言うと今でも続いていて、そのクラウドの300人の人たちが、ネット上で休まずに運営し続けてくれています。それが「助けあいジャパン」です。

地域の人々による「情報レンジャー」

「助けあいジャパン」というポータルサイトが出来あがり、ネット上に存在する情報を貼り付けて巨大なリンク集を作っていきましたが、8月の中旬、お盆を過ぎたあたりで避難所が閉まり、仮設住宅に皆が入り始めて、それぞれの生活が始まった頃に、問題が被災者個人の家庭で少しずつ起き始めました。この問題というのはひとつではなく、立ち上がっていくときの悩みは、個々の家庭によって、個人の状況によって、地域によって、全く別のことが起こっていました。そこで、直接個々の問題を取材しなければ、情報はもう続いていかないだろうと思いました。この時期は、あらゆるマスメディアが割と沈静化してきて、現地から引き上げ始めた頃です。その頃に逆に家族の課題や個人の課題は深まっていっていたわけです。

震災の年の夏過ぎから、現地の情報をきちんと取材して、きちんと出していく、それも現地の人が情報を出してくれるといいなと思い、「情報レンジャー」というものを立ち上げました。そのために地域の人たちを募集し、育てて、地域にそのまま置いてくるという試みを自治体にしていきました。トヨタやアドビなどの企業が協力してくれまして、車両、コンピューター、ソフトは用意できて、あとは人材とお金を集めるだけになった時に、岩手県、宮城県、福島県で事業をつくっていただき、それに公募して一緒につくっていきました。ビデオとパソコンとを持って、自分で電気を生みながらどこまでも走れるエスティマハイブリッドという車で、被災地の隅々を回って、課題を聞き出し、ビデオを撮って、取材をして編集をして、その場でアップして上げていくというのが「情報レンジャー」です。今でも3分ぐらいの短い動画が2500本ぐらい上がっています。「助けあいジャパン 情報レンジャー」と検索していただければその動画を見ることができます。

その情報レンジャーの研修の時に、一緒に岩手県の連中とともに、私は被災地の何人ものお母さん方にお話を聞きました。「われわれは情報レンジャーと言いまして、皆さんが悩んでいることを言っていただければ、それを日本中、世界中に展開できます。全員に伝わることはできないかもしれないけれど、興味のある方にきちんと伝わって、何らかのレスポンスがあるコンテンツを作れますので、ぜひご協力ください」という形で取材をしていきました。きっと「あれが足りない、これが足りない」「ここに悩んでいるよ」「悲しい」というような、いろいろな話を本当に言われるのかと思っていたのですが、岩手県のお母さん方は、皆口々にこう言いました。「石川さん、来るって分かっていたけれど、私たちは用意できていなかった。もっと用意していたら、お友達や親戚や、いろんな人たちが助かることができたんだ。今足りないものはない。命があるんだから。これから起きるであろう首都直下とか、南海トラフとか、富士山。いろんな危険があるよね。そっちの人たちに、何か起きる前にとにかく準備をしておくこと、それを伝えてほしい」と言われて、びっくりしました。僕もその時にお願いをされて、すぐに「分かりました」とは言えませんでした。

最速の復興のための事前の準備

震災から2年が経って、にわかに東京やこちら側も、次への備えを考え始めた気運を感じました。その時にもう1回被災地のお母さん方に聞いたことを思い出して、そろそろ「助けあいジャパン」、3年目を迎えるにあたり、「復興ってなんだろう」ということを考え始めました。復興というのは被災地のことですが、被災地以外の人たちにとっては、やはり事前の準備をすることが「最大の復興なんじゃないかな、最速の復興なんじゃないかな」と思いました。そこで、ここは「防災」「備える」ということを、とにかく分かりやすく皆さんに伝えていきたい、どうやったらできるかなということを考え始めました。

僕も実を言うとそんなに防災一生懸命派では正直なかったので、まず皆さんがどう取り組まれているのかということ、広告で言う「調査」ですが、その調査を徹底的にしようと思いまして、まず自分が住んでいる大田区が主催するもの、住んでいる町が主催するもの、町内会が主催するもの、避難所で行われるものという4つに出てみましたが、「あれ、ここには75才以上しかいないぞ」と感じました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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