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防災インタビューVol.149

イメージして実践する 災害への備え

放送月:2018年2月
公開月:2018年8月

矢守 克也 氏

京都大学 教授
人と防災未来センター 上級研究員

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

プロフィール

私の活動の舞台は主に関西で、京都大学の防災研究所、人と防災未来センターに勤めています。こちらは100人ぐらいのスタッフが勤めている大きな研究所ですが、私だけが例外ということが一つあります。それは自分が文系の研究者だということです。具体的に言うと心理学ということになりますが、どちらかと言うと、災害情報や防災教育など、文科系の立場で防災について研究したり、あるいは地域の方と一緒に地域防災に取り組んだりしています。
地震に対する備えの大切さ
まずはじめに、2016年4月に発生した熊本地震についてお話しします。この熊本地震で、私の家内の母、義理の母が被災しました。自分の家族が実際に災害に遭うという経験をしましたので、そのことを通じて「地震に対する備えの大切さ」ということをお話ししようと思います。
母は80代で、熊本市内で1人暮らしをしていました。心臓にペースメーカーを入れており、高血圧、糖尿病などの持病もあり、結構大変でした。熊本で4月16日に2回目の震度7を記録する大きな地震があり、その時、夜の9時台だったのですが、幸運にも電話が通じました。電話先でしきりに母は、「床が水浸しだ」と言っていました。マンションの9階に住んでいるし、水害でもないのにどうしたのかなと思っていたら、水道か下水道の配管系が全部やられて、水浸しになっていると言うのです。この地震で母は動転してしまって、腰が抜けて歩けなくなっていて、幸い家具などが上に倒れてくることはなかったのですが、リビングルームのソファーの上で、どうしていいか分からないという状態でした。ここで、大きなポイントがあるのですが、それは母が懐中電灯を入れた非常持ち出し袋を準備していたことです。その2日前に大きな地震があったこともあり、母は手元にその非常持ち出し袋を持っていて、その懐中電灯が母の命を救ってくれたのです。
普通は懐中電灯というのは暗いところで何かを照らしたり、何かを見るためのものと思っている方が多いと思いますが、母の場合は違っていました。この時は停電していて、夜9時台の地震なので真っ暗な中で皆さんは避難を始めていました。母は腰が抜けて身動きができなくなっていましたが、近所の方がマンションの外から、真っ暗な部屋の中で何か光がゆらゆら動いているのを見つけてくださったのです。母は懐中電灯の光を持っていたために、自分を見つけてもらえるという経験をしました。身動きができない時に、自分がここにいるということを知らせるために笛を持っていると良いとよく言われます。それと同じで、懐中電灯もただ周りを照らすだけでなく、光で居場所を知らせるということもあるのだと知り、大変勉強になりました。

被災から避難所までのストーリー

もうひとつ、義理の母が熊本地震で被災をしたことから学んだことがありました。皆さん大きな地震に出会うと、避難所に行くというイメージがあると思います。母ももちろん、結局は避難所に行くことになるのですが、ちょっと信じられないかもしれませんが、4月16日の夜9時台に熊本地震があった後、その後24時間の間に4カ所も場所を移動しているのです。これは母だけに特有のことではなくて、この頃、多くの災害の被災地で起こっていることです。つまり「大きな災害があったら自分は近くにある中学校の体育館に行って、そこで暮らすんだな」というようなワンステップの避難の物語だけを考えている方は多いと思いますが、実際にはそうならないことも多いというお話です。
母の場合は、腰が抜けてしまっていたので、マンションのバルコニー側の窓を破って助け出されましたが、その後マンションの近くの駐車場の車の中で、ご近所の方が朝まで過ごさせてくれました。これが1カ所目です。その次は、「車の中ばかりにいたのでは体に良くないよ」ということで、日が明けてからは駐車場の横のちょっとした芝生のスペースにテントを建ててくださった方がいて、そこで翌日のお昼ぐらいまでいたそうです。この頃被災地ではソーシャルメディアなどで、いろんな情報が行政以外からも入ってきていました。母の元にも親戚から携帯電話で、「熊本市内のあるホテルがすごくいい条件だよ。ホテルを開放してくれていて、電気も通っているし、温かいご飯まで出ている」という情報が入ってきたので、親切な近所の方が、またそちらに車で運んでくださいました。これが3カ所目です。でもそんな良いことは長く続かず、ホテルの方にも人が殺到して、これ以上は受け入れられない状況になったのですが、ホテルも「一部の方だけ出てください」とは言えないので、「全員出てください」ということになりました。そして、その時たまたま居合わせた親戚のつてで、熊本市内にある私立の学校の体育館の武道場に4カ所目の避難場所として移動しました。私は関西から母の救援に向かって行き、熊本地震が起こってから24時間後にようやくここで母に出会えました。ご近所の方も親切で、ご近所の力を感じました。このような経験を通して、被災してから避難所に行くまでのストーリーもいろいろあるのだということを学んだのが、この熊本地震でした。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。