倉敷市真備町箭田地区でのヘルプカード作り ~2年目~
1年目で避難場所と避難のタイミング、また避難場所までは車で移動するということが決まりました。後は、誰と逃げるか、どのような支援を受けるかなど、手伝ってもらうことや自分が出来ることをそれぞれが書き込んでいきます。
車での避難は、防災の現場では嫌われている避難手段ではあります。というのも、避難時に渋滞が発生してしまうと、逃げ遅れの原因になるかもしれないということもあり、車避難は緊急避難には使わないと決めている地区も数多くあります。ただ、この箭田地区に限っては車でしか避難ができないようなところにしか避難場所を設定出来ませんでした。そのため、どの道を選択して移動するのかなどの避難行動をもっと具体的にみんなで共有するためにどうすればいいのかを考えました。
そこで、私の師でもあります澤田先生にお願いして、この地区の地図を使ったワークショップをやっていただきました。地図を使うと自分の家から川までの距離感や、避難する場所までの距離感が分かるだけではなく、そこまでにどんな道が通っていて、どこに何があるかということを、みんなで同じタイミングで共有することができます。
「平成30年の水害で何が起きたのか」を再認識するために、澤田先生から4つのことを地図上にまとめていきましょうとお話しがありました。「水害では何が起きたのか」、水害以前も含めて「その場所はどんな土地なのか」。また、「どんな場所、あるいはどんな人に災害が起きたら心配か」、「どんな場所、どんな人が災害発生時に助けになるか」の4つについて地図に落とし込んでいきました。
すると、とても面白いことを共有することができました。例えば、100年前に同じような水害があったとことをご存知の方、「その時にはここまで水が来たらしい」と100年前の記録をしっかり勉強されている方もいらっしゃいました。また、あまり知られていない専門的な言葉の共有や、山の上にある避難場所までのルートについて、「実は竹林の中に幅は狭いけれど、地区の古い人しか知らない抜け道がある」「この道は軽自動車でしか通れないけれど、この道を使うといい」などの知識を地図で共有することもできました。
この平成30年の水害ではたくさんの人の命が奪われましたが、自分たちは箭田地区という地区が大好きであること、他の地区と違って素晴らしいふるさとだと感じていることを再認識していくようなワークショップになりました。
それぞれの強みが活きた議論
この箭田地区でのヘルプカードの取り組みですが、先にもお話ししたように様々な立場の方に集まっていただきました。箭田地区には、土砂災害警戒区域もありますが、何が問題で土砂災害警戒区域として指定されているのかなど今更聞けないことも、参加者の国交省の職員さんから分かりやすく説明していただけました。また、同様に学校の先生方からは小学校の防災計画について説明していただき、災害が発生した後に子供たちが帰宅するルートでの見守り方の共有をすることができ、多様な参加者の強みが活きるワークショップになりました。
箭田地区で避難場所に設定した場所は、車移動でしか避難ができないのですが、避難所までのルートは限られており、渋滞が起こるような場所です。渋滞を避けるために竹林の間の小道を使用し、一方通行にしたらよいのではないか、緊急時には避難先へ向かうための道として特別に整備したい、などの現実的な避難のルールが議論されました。
今までと同じ対策では以前と同じ結果しか出ないという強い思いがあり、このワークショップの中では「そんなことできない」というような何かを否定するような言葉がほとんど聞かれませんでした。可能にするためには、誰とどんなことを話し合ったら良いのか、今度は誰にワークショップに参加してもらうかなど、話がどんどん先に向かっていきますし、終始、現実的で身の丈に合った、自分たちで実現できる可能性を探るような議論が行われていったのが特徴的でした。
この2年目の地図を使ったワークショップを通じて、参加者には避難行動が動画でも見ているかのように具体的にイメージができるようになったのではないかと思います。その成果の1つとして、自主防災会が管理をする30戸程度の小さな地区の中で、「1度集まってから避難場所に逃げた方がいいのではないか」という意見が出ました。集合場所を考えた際に「地区の真ん中にあるからゴミの集積場だとありがたい」と、具体的な話がすぐに出て来るようになりました。それからは、「ゴミの集積場ならば、誰が逃げ遅れているのかを自分たちで十分に把握できる」「ひとりで逃げられない人は私たちが迎えに行きます」と福祉施設の職員さんから提案が出るなど、それぞれの強みを活かして議論が進んでいきました。