1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. まちづくりと建築土木
  6. 地震で人が死なない構造を求めて
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.15

地震で人が死なない構造を求めて

放送月:2006年4月
公開月:2007年10月

五十嵐 俊一 氏

構造品質保証研究所 代表取締役社長

耐震強度

最近は、よく耐震強度100%とか50%とかいう話がありますが、耐震強度が50%を切ると、取り壊しとか、退去命令ということになりますので、実際この数字がどうやって出てくるかというのは、とても大事なところです。耐震強度は、公定機関が認証したコンピュータープログラムで計算しています。ただ、同じプログラムでも、人によって入れる数字に違いが出てきたり、当然違うプログラムであれば数値も違います。もう一つ大事なのは、時代によっても違ってくるのです。旧耐震と言われている、1980年以前の建物は、ほとんど耐震強度不足と疑われていますし、2000年にそれまでの保有耐力法から限界耐力法が出てきて、計算方法が変わりましたので、それでやると、また2、3割違うといいます。阪神大震災の被災地を歩いて、同じ年代の同じような構造でも、倒壊した建物と無傷な建物があります。ですから、例えば、ある計算で、耐震強度が80%といわれても、あまり悲観することはないということです。それは、計算法を変えればひょっとしたら110%くらいになるということもあり得ます。また、実際の大地震で被害がないかも知れません。逆に自分の家の耐震診断をご用命になって、建築士に150%ありますと言われて、安心してもらってもちょっと心配です。つまり、数字はあくまでも目安です。それで右往左往するのではなく、それをどうやって計算したか、どこが問題かというのを、専門家に問いかけられて、その辺を詳しく考えられてから、補強するか、場合によっては立ち退かれるか、そういう判断をされても遅くはないと思います。

今、耐震強度が50%とか100%という話をすると、すぐ、絶対スケールが50、100とぴったり分かれるような感じですが、決してそうではないです。診断する方とかプログラムとか、時代によっても違ってきますし、そもそも大地震のときの、地盤と建物揺れ方や被害というのは、そんなにはっきり分かるものでもありません。

阪神大震災のその晩から、地震の調査に入ったのですが、三宮の駅からちょっと行ったところに神戸市役所がありまして、6階がぺちゃんこにつぶれてしまって、ひどい被害がありました。6階に水道局があったので、図面とか資料が全部つぶれてしまって、水道の普及が遅れたということです。その市役所の裏通りに大変古い、築60年くらいの建物がありましたが、決して頑丈には見えないのですが、ガラス一つ割れていませんでした。名前は、ストロングビルと言います。それほどに耐震、地震の強度というのは、地盤にもよりますし、建物自体の揺れ方も違うので、一律には分からないものです。耐震強度は、専門家がその時代の英知を集めて計算したものですが、絶対ではないと考えていただければいいと思います。

地震の震度とは

ビル壁施工

震度というのは、地震と構造物を考える上で、大事な言葉です。まず、揺れの強さを数字の段階で示す通称「震度」、正式には気象庁震度階という言葉があります。これは、気象庁が、地震の後に、決める数字です。明治初頭、1884年でしたか、初めて震度階が制定されたときは、4つの段階でした。今は10段階になっていますが、だんだん細かくなってきます。ですから地震の揺れの強さの測り方自体も、時代によって変わってきています。1996年、阪神大震災の翌年に今の計測震度に変わりました。それまでは、気象庁の方が気象台にいて、揺れを実際に体験されて、この揺れは震度5だとか4だとかというように、報告されていました。96年以降、自動的に震度計という計測機械で出てくるようになりました。

96年以前は、家屋の被害が30%以下であれば震度6とか、周囲の物の被害率と関係つけた目安にしたがって決めていました。ですから、今の震度6強というのと、昔の震度6というのは違います。私の感じでは、昔の震度6のほうが遙かに強いです。96年以前は、人間が周りの状況で決めていたのが、それ以後、機械で震度だけが決まるようになったことが根本的な変更です。震度7で、個別の建物が壊れないとか壊れるとかいうことが、何か絶対的なもののように受け取られがちですが、もともとの震度6とか7は、ある割合の建物が壊れる地震の揺れを言いました。

マンションピロティー補強

もう一つの震度で、設計震度というのがあります。これは、地震のときにどのくらいの破壊力を考えるかというものです。地震の揺れというのは、建物、重さに比例してかかりますので、重さの何割の力を地震の破壊力とするかということです。これにどれだけの安全率を見込むかによって柱の太さを決めたり、壁の厚さを決めたりする力を計算しますが、それを設計荷重と言います。戦前の建物のほうが、この設計荷重の強さで言えば強いです。昔、例えば昭和初期に作られた建物で、大変柱も太くて梁も太くて、頑丈そうな建物を見受けられると思いますが、こういう建物は実際に地震に対しても強いと感じています。その設計荷重が、終戦間際の物資窮乏期に3分の2に減らされています。

1980年に新耐震基準というのができまして、設計荷重は終戦間際の値から変えないけれども、大きな地震に対しては、建物の粘り強さで対応するということが決まりました。しかし、粘り強さを計算で求めることに大きな不確定性と計算上の複雑さが伴うことで、耐震強度の計算値がバラつくことになり、結局、耐震偽装と、今でも続いているその後の混乱を招いたとも言えると思います。構造士制度の創設と同様、計算法の根本も考え直す必要を強く感じています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

会社概要 | 個人情報保護方針