1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. まちづくりと建築土木
  6. まちづくりとは「地域力を高める運動」
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.16

まちづくりとは「地域力を高める運動」

放送月:2007年3月
公開月:2007年11月

宮西 悠司 氏

神戸市長田区・真野地区、まちづくりプランナー

都市計画学会 石川賞受賞

平成14年度に、都市計画学会の石川賞を受賞しました。もらった本人が話すのも、ちょっと気恥ずかしい感じもしますが、ちょうど14年度は2人が受賞しています。1人は私ですが、もう1人は個人ではなくて法人で、多摩田園都市を造った東急電鉄です。本当はそういうビッグなプロジェクト、都市計画、日本の国を造り替えるというような大きな仕事をした、その業績に対して贈られるのが、都市計画学会の石川賞です。それを、私は個人でもらったわけです。

私は、大学は建築学科を出ていますが、建物を建てたことも設計したこともありません。なぜか建物を造るところから、どんどん離れていってしまいました。その間、何をしていたかというと「まちづくり」です。東急電鉄のように、新しい街をつくるということではなく、現在、人が住んでいるところを「このままの町でいいのか」ということを考えたり、「今は公害で傷め付けられているけど、もう少し元気出して生きていこうよ」ということを提案したり、そういう町を相手にしてきたわけです。

石川賞受賞の記念写真

私は、もともとは関東出身で、都立大学を卒業して、神戸に移り住みました。その時に、表参道ヒルズの設計で有名になった大建築家・安藤忠雄と、なぜか一緒に生活していました。彼は今、世界を股にかけて飛び回っています。それまでは僕もまだ建築に未練があって、建築を設計しようかという思いもあったのですが、安藤と会ってから建築家になるのをやめました。安藤が建築をするのなら、私はプランニングをしようということで、はっきり仕分けをして、安藤とも生き別れになってしまいました。それから30年たって、石川賞をもらったことを知った安藤は、びっくりしました。安藤も当然、大きな賞だというのを知っていますから、宮西個人がもらえるわけはないだろうと思ったようです。

本当のところは分かりませんが、私の30年ぐらいにわたる活動が評価されて、この賞をもらえたのだと思います。都市計画という法律ができた時に、私たちは、地区計画という新しい分野を開きました。この都市計画法を即座に活用したということが評価されて、それに対して賞をくれたというのが事実のようです。

阪神淡路大震災後、「まちづくりプランナー」として

私は、都立大学を卒業して、神戸に行きました。そのころはまだ、今よく言われているような「まちづくり」というようなものは、ほとんどありませんでした。まだ実体化していなかったといったほうがいいと思います。建築を設計するように、町を設計するという仕事があると、その時は考えていましたが、実際には、なかなか仕事にはなりません。なぜ、ならないかというと、建築に関しては企業なり個人なり、家を造りたいという人が建築を発注するわけですが、「まちづくり」というのは、発注する人がいないのです。だから、お金がどこからも出てこない。「まちづくりプランナー」というのは、一般には見えづらいために、それまでは知られていませんでしたが、震災後、実際に仕事がありました。

それは何かというと、今回、地震が起きて、家がつぶれ、家が焼かれました。それも1軒、2軒ではなく、数十ヘクタールが丸焼けになってしまいました。家の倒壊率90%の町が累々とつながっている、そういう現場だったわけです。そこを復旧するということは、がれきを片付けて、新しい道路を造り直したり、新しい公園を造るときに防災を考慮したり、二度と災害が起きないような町につくりかえなければいけないということですので、大規模なまちづくりの計画を作らなければなりませんでした。そのために「まちづくりプランナー」というのが脚光を浴びて登場し、とても活躍したわけです。

長田区南部の被災状況

神戸の場合は、2段階でまちづくりの復興計画が立てられました。最初は行政、神戸市、芦屋市、西宮市という自治体が、大まかな計画を発表しました。それに対して、住民が身近な部分の計画をし、細部を検討して意見を出します。その細部を検討する際に、住民は素人ですから専門的な知識が必要なので、「まちづくりプランナー」というのが神戸市なり、他の自治体から派遣されました。私は、そういう仕事をしてきました。それには大体1年かかりましたが、検討段階で、いろいろともめたところもあり、検討から実際に事業をやるまでに4年ぐらいかかったところもありました。

私は30年前、20代のころから、「ぜひ、これはやらなければいけない」という思いで、ずっと神戸のまちづくりに携わってきましたが、今や「まちづくり教の教祖だ」というような、そんな戯れ言を言いながら、昔話に花を咲かせているところです。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。