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防災インタビューVol.16

まちづくりとは「地域力を高める運動」

放送月:2007年3月
公開月:2007年11月

宮西 悠司 氏

神戸市長田区・真野地区、まちづくりプランナー

震災後、2日目

妻の母を家に連れてきて、しばらく家にいるということになったので一安心した私は、2日目に、家族の心配はもうしなくて済むということで、空いた単車で山を下りていきました。その時はまだ何かするという感覚ではなくて、慰問をするというか、病院にお見舞いに行くとか、何かそんな感覚でした。カメラとテープレコーダーを持っていって、単車に乗りながら写真を撮ったりしていたのですが、被災地に入った途端、500メートルぐらい走っている間に、あまりに悲惨で、頭の中がパニック状態になり、カメラを向けることもできず、何もできなくなってしまいました。家がつぶれて死んだ方もおられ、そこに立ちつくしている家族がいるわけで、とても正視できる話ではありませんでした。

建物の道路側への倒壊

その後、まちづくりで付き合っている町があるので、そこに入りました。一番最初に「宮西先生来てくれたの?」というようなメッセージが飛び込んできました。彼らが何をやっていたかというと、人命救助です。3階建ての鉄骨の建物がクラッシュして、その中に19人生き埋めになっているのを助けていました。その時は、地震から2日目の2時すぎくらい。ですから、もう生きているか生きていないかというのは分からないような状態で、それでも彼らは徹夜で作業をやっているわけです。そういう現場だったのです。

私は、町を確認しないといけないので、単車で一巡して、どんな状況かを確認しました。当然私は、テレビで町の様子を見ていますから、他の地区と比べてこの町はどうなのかという判断が利くわけです。そのときに、5軒に1軒は全壊しているという判断をしたわけです。2,400軒ぐらいありますから、600軒ぐらいは家がつぶれているという判断は、当然していました。火事で焼けたところに行って、どんな状況なのかを確認したり、19人生き埋めになっているという現場もありましたが、そのほかに家がつぶれて下敷きになっている人が、どのくらい救出されたのかとか、今、避難している状態は、どんな所に、どういう格好で避難しているのかということを確認したのが、一番最初でした。

地震に対する備え:人と人との支え合い

当然、大きな地震がきたら、家が壊れるというのが事実ですが、それがどのくらいかということを、震災の15年前ぐらいに、街の調査をしました。その時に、3軒に1軒は壊れる、約1,500戸ぐらいの建物がやられるだろうという予想を立てていました。それをなんとかしなければいけないということを15年前に、頭の中では思っていたわけです。ただ実際に、何らかの対策を打てるかというと、打てなかった。ただ、少しずつ対策を立ててきて、70軒の建物は安全なものに造り替えました。しかし実際には、私が15年かかって70軒の建物を安全な建物に造り替えたのですが、地震はたった20秒で700軒をつぶしてしまいました。そんな悲惨な思いを私自身は経験しています。

真野地区のイベント

地震でつぶされた建物の中で、何人か亡くなって、ものすごくつらい思いをしていますが、比率からすると、それでも比較的、死んだ人が少なかったのです。なぜかというと、私が関わってきた真野地区というのは、戦前の木造の長屋が多く残っている地域です。長屋というのは家がつながっているわけです。人が手をつないで仲良く一緒に生活しているのと同じで、建物も支え合っているから、クシャっとつぶれてしまうということはなかったわけです。

また、この真野地区というのは、人が人として、隣の人、近所の人、自分たちの身の回りの人、そういう人たちと仲良くできる環境があり、言い換えると、下町的な触れ合いの深い町だったわけです。地蔵盆だとか、盆踊りだとか、花祭りだとか、いろいろな行事を持っていまして、普段から住民は、お互いに顔見知りであり、コミュニケーションが取れている町です。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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