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防災インタビューVol.16

まちづくりとは「地域力を高める運動」

放送月:2007年3月
公開月:2007年11月

宮西 悠司 氏

神戸市長田区・真野地区、まちづくりプランナー

阪神淡路大震災、自宅で遭遇

私は、阪神淡路大震災の時は神戸に住んでいましたが、実際には被災することはありませんでした。神戸の地震は、震源地は淡路島で、直下型の地震でした。まるで竜がビューッと飛んだような現象が起こったようで、私が住んでいたのは、竜が突き進んだところから6キロぐらいずれていたわけです。ですから、震度7というような強烈な地震が起こった地域から比べると、震度5弱ですみました。

たかだか6キロの違いですが、その差はものすごく極端に出ます。何十メートルか離れているだけで、片方は高速道路の橋げたが落ちているのに、こちらでは古い家が自立してちゃんと建っている、そのような状況でした。地震というのは、土の中がどうなっているか、その状態によって地上での被害が変わってきます。本当に近くても、ひどいところはひどい、大丈夫なところは大丈夫だという状況が起こります。私は、本当に激しい所からずれていましたので大丈夫でした。

現地調査による震度7の分布

地震が起こったのは1月17日5時46分、真冬の早朝でした。ちょうど前日は振替休日でお休みでした。この日、自分の家の新年会がありまして、16日の晩は、お酒を飲んだので、かなり早く休みましたが、FAXを送らなければいけないということに気が付いて、3時ぐらいに目を覚ましました。机に向かってFAXの原稿を書き上げて、FAXを送ろうと思って立ち上がったときに、地震が起こりました。ですから、きちっと覚醒していたわけです。さすがに僕は建築家ですから、机の周りにある本箱とかは、きちっと壁に留めてありました。それくらいの備えはしていたわけですが、自分の家の中は、ガラス食器ひとつ壊れていませんでした。方向にもよったのでしょうが、隣の家は食器もだいぶやられましたが、僕の家は幸運なことに、やられていませんでした。

私は、団地の中の建築委員ということで、建築に関することは、私が責任を持っていました。ですから、すぐ懐中電灯を持って、建物を点検に参りましたが、建物は大丈夫でした。200メートルぐらい離れたところの戸建ての家の屋根瓦が少しずれているというのが確認できたくらいで、直接的な被害はあまりなくて、大丈夫だと思っていました。けれども、携帯テレビを持っていたので、受信できるところを探して、6時すぎくらいに携帯テレビをつけると、西宮のほうで高速道路が落ちているとか、三宮でビルが倒れているという状況を放送していました。震源地の淡路島は、西宮や三宮よりも私の家に近いのですが、こちらはそれほどひどくはないのに、西宮や三宮の様子を知って、信じられない思いでした。

震災後、1日目

僕は、東京から神戸に流れて行っているので、僕の身内・親戚は神戸にはおりません。大学や高校の同窓生もいないわけです。だから僕は、ほとんど誰も他の知り合いの安否を心配しなくてもよかったわけですけれども、妻の母が一人暮らしをしていました。その彼女の確認を取るのに、1日かかってしまいました。なぜかというと、当然、電車もバスも動いておらず、単車しか使えなかったからです。私は自分の家族を守らないといけないので、次の余震が来るのにどう備えるかということを第一に考えており、妻が自分の母親を単車で確認しに行きました。しかし、行って帰ってくるのに半日ぐらいはかかりました。実際に義母の家は、半分やられていて住めない状況でした。そうすると、私の家に来るのか、妻の弟の家に行くのか、その判断をしなければいけない。そういうのが最初の日の話です。

震災後の大火災

それと、もう1つは、被災地は停電になっていましたが、私の家は被災していなかったので、いったんは切れたものの、朝7時に電気が通っていました。ですから、テレビは見られました。さすがに神戸のサンテレビはダウンして、テレビは映っておらず、青いテロップだけがチカチカしていました。しかし、他の大手の局は中継を流していたので、それを私はずっと見ることができたんです。

その時、被災地は当然、電気、ガス、水道はすべて止まっていました。ですからテレビも見られませんでした。それなので、彼らには何が起こっているか分からない、しかし私は、被災はしているけれども見ることができたわけです。どこがやられているか、テレビに映る画面は、場所はどこか全部分かる。だから、あっ、ここもやられている、あそこもやられているというのが皆、分かるんです。私が関わっている町に、真野という地区があるのですが、そこの状況を確認したくてテレビをじっと見ていました。すると時たま、この真野地区が映るわけです。煙が上がって、火事が発生している。それが気になって仕方がないのですが、小さい火事は、テレビのヘリコプターは追い掛けてくれない。大きいところしか映さないから、ほんの瞬間だけでも映るのを見ていました。12時ごろ映像を見ていると、火事の煙が白い煙に変わりました。「あっ、消えた」、そういうようなことを思いながら、ずっとテレビを見ていました。知識として、全体を1日かけて見ていたというのが、次の行動に多分、大きくつながったと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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