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防災インタビューVol.20

来るべき災害に負けないように、足下を見て我が身を正そう!

放送月:2007年8月
公開月:2008年2月

福和 伸夫 氏

名古屋大学大学院教授

地名と防災

家の耐震化というのは、家族を守り、財産を守り、地震後の生活を守るためには絶対必要です。世の中では、木造住宅だと地震に弱いのではないかという誤解が多いようですが、きちんと造った木造住宅は、とても強いです。むしろ、家が建っている地盤の揺れの方が大事かもしれません。鉄筋コンクリートジャングルの東京は、一体どうなっているのか考えてみたいと思います。

東京で思い当たる地名にはどんな地名があるでしょう。例えば田園都市線の終点の渋谷。渋谷といのは渋い谷と書きます。あの場所がどこにあるでしょう。実は、渋谷川という川と宇田川という川が出会った場所が渋谷なのです。そう考えると、渋谷から西へ行くと世田谷、渋谷から東へ行くと千駄ケ谷、四谷、市ケ谷、飯田橋、御茶の水、神田、日比谷、神谷町と続きます。みんな水とか谷とかにかかわる地名ばかりです。ドラマなどで見ていると、よく分かりますが、東京の駅がある場所は皆、低い場所にあり、住宅地は丘の上です。どうして谷の所ばかりに駅や繁華街があるのでしょう。それは電車を通すのが簡単だったからじゃないでしょうか。そういう意味では、繁華街は意外と危険な場所かもしれませんよ。

東京で一番のビジネス街はどこかというと大手町、日比谷、新橋です。大手町から新橋にかけての場所は、かつて、神田川が流れていた所で、その昔は入江になっていた場所です。関東地震の時には、大手町、日比谷、新橋、この辺りがかなり揺れました。このように東京の都心を考えてみると、例えば竹橋の隣の良く揺れる場所には東京消防庁や気象庁があります。いざというときに大事な役割を果たす建物が良く揺れる場所にあるのは変じゃありませんか? 日本の一番のビジネス街、大手町も一番よく揺れる所。現代社会では、昔、大変な被害を受けた所に集中して大事なものを造っているわけです。昔は日本人の人口を考えてみましょう。戦国時代は1千万人ぐらいでした。江戸時代の最後は3千万人ぐらい。今は1億3千万人です。田舎からみんな都会に飛び出して、三大都市圏に人口が集中しました。それを収容するため、かつては人が住まなかった場所に街を広げてしまったわけです。そういう場所は災害時には弱いです。例えば中央線の駅名を見てみると、荻窪、大久保、千駄ケ谷、四谷、市ケ谷、飯田橋、水道橋、御茶の水。これは随分怪しいです。その怪しさをきちんと理解した上で、敵が強ければ自分の家も強くするぞというのが、賢明な日本人です。

ちょっと土地が安いからといって、揺れが強くなる軟弱な地盤には家を構えないほうがお得です。日本の法律では、どこに家を造っても殆ど同じ耐震性でいいということになっています。実際には、どこに住むかによって家の耐震性を変えるべきです。そういう意味では、東京の方々は、ちょっと要注意なのかなと思います。

東京の地形とバス停の名称(茶色は良い地盤、赤の点は良い地盤の名前のバス停、青の点は軟弱な地盤の名前のバス停)

災害、昔と今

少し、昔と現代社会とを比較してみたいと思います。戦前は、軟弱な地盤には家を造りませんでした。軟弱な地盤は川が氾濫して肥沃だったので田んぼにしていました。人間が住む場所は、比較的災害に遭わない場所が多く、そのことを地名に残していたのです。戦前までの約1500年間、僕たちはどういう場所に住むべきかということを、先祖代々地名を介して伝えてきたのです。それを戦後、忘れてしまいました。だから、敵が強くなっています。それからもう1つは建物です。昔はあまりたくさん人が住んでいなかったので、建物はまばらでした。1軒燃えても燃えうつりません。延焼危険度が少なかったわけです。しかし今の東京や横浜は、軒を連ねて建物があります。いくら耐震性が上がり、燃えにくい建物になったからといっても、こんなに密集して家を建てたのでは、なかなか大変です。ところで、今、この時点に横浜で何人ぐらいの消防士さんが働いていると思いますか? 多分、千人ぐらいです。救急車も50台ちょっとぐらいだと思います。いざというときに助ける力はあまりないんです。それからもう1つ、昔の建物は多くは、平屋でした。平屋というのは屋根しか支えていないので、簡単には壊れません。平屋の建物であれば当然、寝室も1階です。1階ということは、地面と同じ揺れになります。昔の人は、いい地盤の上の壊れにくい平屋の建物に住んで、しかも揺れにくい1階で寝ていました。さらに、家具もそんなにはありませんでしたから、家具の下敷きになる人は殆どいなかったでしょう。良く揺れる地盤に、良く揺れる背の高い建物を密集して作り、家具に囲まれている生活をしている現代とは随分違います。

そして今や、この東急電鉄もそうですけれど、電車も皆、高架になり、2階を走っています。地面を走っているのに比べると、よく揺れます。昔はゆっくり走る都電で地面の上を走っていましたので、揺れも小さくすぐ止まれました。三軒茶屋から出ている世田谷線を思い出して下さい。急行電車はスピードで走っています。地面が震度6だったら、レールは震度7。それを時速100キロで走っていたとしたら、強く揺れたらどうなるでしょう? 脱線ということもあるかもしれません。宝塚では、1両編成が脱線して107人が犠牲になりました。もし、こういうことがあちこちで起こったとしたら、先ほどの横浜の消防力で救えますか? ちょっと無理ですよね。

僕たちは今、電気、ガス、上下水道に頼りっきりです。電話、携帯にインターネットにも頼っています。戦前は、まだ電気がない所も多かったですし、かまどで料理をし、井戸水やくみ取り便所を使っていました。だから地震が起きても、翌日から普段と同じ生活ができたわけです。ライフラインには頼っていなかったわけです。でも今や、もし電気が止まってしまったら何もできません。もしも首都直下地震がきたら、ものすごい数の人たちが田舎に疎開しないといけないかもしれません。

たくましく生きる力の欠如

多くの人たちは、昔に比べて今のほうが耐震技術もあるし、いろいろ情報もあるから安全に違いない、公的にも助けてくれるに違いないと思っているようですが、実は全く逆で、昔より随分脆い社会を作ってしまったのかもしれません。

現代社会の弱点

昔に比べて私たち自身の「生きる力」を減らしてしまっています。「たくましく生きる力」が弱っています。昔の人は毎日を生きるのに精いっぱいでしたが、逆に生きる力をいっぱい持っていました。今は生きることを考えるより、楽しむことばかり考えていますよね。なかなか難しい時代になってきています。子供たちも部屋の中でゲームの一人遊びをしていて、外で友達と逞しく遊ぶ姿を見なくなりました。

「生きる力」が弱ってきているのだったら、何が何でもまちや建物が壊れないようにして、生き延びるしかありません。今更、子供たちが戦前と同じような生活をすることはできないでしょうから、「今持っているものを守り抜く」という気合が、僕たちに必要なんだと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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