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防災インタビューVol.21

子ども達への防災教育と実践

放送月:2007年7月
公開月:2008年3月

諏訪 清二 氏

兵庫県立舞子高校教諭

海外交流を通して

カトマンズの町並み

舞子高校の海外交流の1つの中心は、ネパールのカトマンズを訪れて、防災の交流をすることです。カトマンズは今から70年ほど前、大きな地震に襲われましたが、それからは同じような規模の大きな地震には襲われていない、非常に脆弱な町です。日干しれんがで家を造るという習慣がありますが、その家が50年、60年たつと、日干しれんがが土に返りそうな、そんな弱い建物で、しかもそれが4階、5階と上に伸びていって、前へ前へ、せり出してくるのです。ですから、震度5ぐらいの地震がきたら、ひとたまりもなくつぶれてしまうだろうと言われています。

ある専門家に聞きますと、神戸の地震に対する弱さを1とすると、東京は4、カトマンズは200だろうと言われているのですが、実はその町で地震防災を進めているNGOがあります。NSET-Nepal(National Society for Earthquake Technology in Nepal)というのですが、そこでは知恵を働かせて地震防災を進めています。どこでも地域の中心には学校がありますから、学校の脆弱な建物を改修することで、地域の人たちに防災の大切さを知ってもらおうとしています。

これには3つほど原則を持っていて、1つはアカウンタビリティー(Accountability)、説明できるということ。ネパールは識字率がまだ低くて、学校に行っていない方もいますから、難しい説明ではなかなか分からないのですが、テーブルの上に補強した模型の家と補強していない家を置いて揺すってみます。そうすると補強していないほうはつぶれてしまい、補強したほうは残るという実験を見せます。それで地震防災の大切さを教えています。これがアカウンタビリティーです。それから、この国は貧しい国ですので、外から大金を持っていって耐震補強しても駄目なのです。自分たちの村で取れる材料で、村で集められるだけのお金で補強をしようとしています。これが財政的にいかにうまくやっていくかというアフォーダビリティー(Affordability)です。最後に持続可能であるということのサステイナビリティー(Sustainability)。今はNGOが支えていますが、NGOがいなくなったらノウハウがなくなるというのでは駄目なので、家を建てる人、石工さんに耐震補強のトレーニングをします。そのトレーニングを受けた石工さんが別の建築現場で今度は先生となって、別の石工さんにトレーニングをします。そういうふうにしてノウハウを代々引き継いでいく、広げていくわけです。そんな原則がそこでは学べます。そこに行って私たちは逆に震災の教訓や、つらさや助け合いについて話し合ってくる、お互いにメリットのある交流をしています。

カトマンズの学校で交流

また、インド洋津波の被災地のスリランカにも行きました。現地で支援活動をしている労働組合の人にいろいろ支えてもらい、地震や津波で夫を亡くした女性たちのグループと交流をしたり、トタン屋根やテントだけしかなく、政府が閉鎖するということで水も電気も止めらてしまっているキャンプと呼ばれる劣悪な仮設住宅にも入りました。神戸から友好に来たということで、サッカーボールを持ち込んで子供たちとサッカーをしたり、あるいは大人の人に心のケアをしたり、トラウマ・カウンセリングの講義をしたりして交流しています。

卒業生とも行きましたが、バンダ・アチェという20万人が亡くなった町に行って、同じようにトラウマ・カウンセリングをしたり、現地の子供たちと話し合ったりもしました。もちろん楽しい文化交流やホームステイもあります。ネパールでは田舎の家にホームステイしました。そのような交流を通して、高校生の目を途上国の防災の支援に向けようという取り組みをしています。

災害ボランティア活動

災害ボランティアというのは、2つの形態が考えられますが、1つは被災地へ行くというボランティアと、もう1つは遠くて行けない場合や学校の都合で行けない場合に、どう支えるかというボランティア、この2つを学んでいます。

1つ目の例として、2004年10月20日に兵庫県で台風23号という災害があり、県内の大きな川がたくさん決壊して洪水になった時に、その土日に豊岡にボランティアに行きました。その前日の木金が中間テスト、明けて月火も中間テスト。中間テストのど真ん中ですが生徒たちがたくさん来てくれて、バスに乗ってボランティアに行って、泥かきをしました。翌週の土日も、豊岡と淡路島の洲本という所に行きました。これが現地に行って、実際に支援するボランティアです。そういう所に行きますと、良い話をたくさんもらうことができます。例えば、ある児童館の館長をされているお年寄りが、「私の人生で一番つらい災害だった。でも若い人たちが助けに来てくれて、私の人生で一番素晴らしい日になった」と、そんな話をしてくれるのです。ですから、やはり被災地に行って支援するということで、いろいろ教えられることもあるだろうと思います。

石川県の門前町でも、ニーズ調査という仕事をさせてもらいました。高校生が家をノックして、「困ったことはありませんか」と聞いていくのですが、どうみても困ったことしかないのです。家が傾いたり屋根が落ちたり。その時でも門前町の人たちは「あんたら、わざわざ神戸から来てくれたんか、ありがとう、頑張ってね」と逆に声を掛けられるのです。生徒はそれがとってもうれしくて、「自分らは励ましに行ったつもりが励まされた、人の温かさっていいな」と、そんなことを言っています。僕はこれが、いわゆる現地でのボランティアの副産物だと思っています。副産物という言葉を使ったのは、間違ってもこれを目的にしてはならないだろうということです。現地に行く以上は支援であるべきです。現地の人たちの自立のために支援に行くというのが目的ですが、高校生が行ったということで喜んでもらい、高校生も高校生なりに、何か良い土産を心の中に持って帰って、そして自分たちの帰ってからの勉強のエネルギーにできます。そういう意味での副産物だと思います。

もう1つは、遠くて行けないところでできるボランティア。それはまず募金です。新潟のときも石川のときも、高校生が街に立って100万円集めてきました。それを現地に持って行きます。インド洋の津波のときもたくさん集めて、僕がスリランカに2回、バンダ・アチェに3回行きましたが、その時に「高校生のボランティアが集めたお金ですよ」と持って行きました。スリランカでは千ドルだけだったのですが、それが現地の家を無くした子供の奨学金になっています。たった3人ですが、現地に行ってその子たちに会わせてもらいました。集めたお金がどう使われているかが見えて、とってもうれしかったです。バンダ・アチェに持って行ったお金は、現地の高校で理科の教材を買ったそうです。津波で学校中が浸かってしまい、教具、教材、コピー機、全部駄目になってしまったので、その教材にしたということでした。お金を送るにしても、それがどう使われているかが見えるような支援ができると、それによって「自分たちが頑張ったかいがあったんだ」と分かるので、これも副産物になっていると思います。このようにボランティアというのは本当に良い副産物がたくさんあると思います。

災害時の自助・共助・公助

これまで、災害時の「自助・共助・公助」というのは、学校でも大切な言葉として教えていますが、実は最近、教えながら「こんな教え方でいいのかな」という疑問が出てきたので、そのことをお話しします。

自助というのは、自分で自分の命を守るということです。震災のとき、9割の方は地震発生直後に命を落としましたから、「前もって備えて自分の命は自分で守ろう」ということは正しいことだと思っています。しかし、そうではない場合もあるのではないかと感じ始めました。それは、生徒たちと一緒に徳島県の美波町に呼んでもらった時のことです。生徒たちとともに、1946年の昭和南海地震を体験したお年寄りの家を訪ねていって、体験談を聞かせてもらう機会がありました。いろいろ話を聞きながら、舞子高校の生徒がストレートに「次に津波が来たらどうしますか」と聞いてしまいました。彼らは足の弱いお年寄りの夫婦で、家は一番海沿いにあります。避難する場所まで、大人の元気な足で駆けていっても数分かかるのですが、そこでは地震発生後12分後に津波が来ると言われています。ところが、地震は約4分間揺れ続けると言われていますので、差し引き8分しか時間がありません。そのお年寄りの夫婦2人は、顔を見合わせてニコッと笑って、「どうしようもないな」とおっしゃったのです。つまり、彼らには自助ということを押し付けることができないのです。あの人たちは、地震発生直後から共助の中で生きていかなければならないのです。実は災害時要援護者という言葉がありますが、そういった自助と共助が同時発生するような場面もたくさんあると思います。

そういう場面もあるのに、「自助って大事だよ」「自分の命は自分で守るんだよ」ということを、学校の先生が生徒たちに気楽に押し付けていいのかなと疑問に思いました。もちろん自助はとても大事ですが、同時に人を助ける力も身に付けてほしいと思っています。ですから、僕も初めは「自分の命は自分で守れ」という言い方をしていたのですが、最近はちょっと変えて、「自分たちの命は、自分たちで守れ」というように複数形にしました。それが今、自助・共助・公助を教えていく上で考えていることです。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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