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防災インタビューVol.28

防災・福祉を核として地域コミュニティの再構築を

放送月:2008年3月
公開月:2008年10月

金澤 淳 氏

防災まちづくりの会・東久留米代表

猛烈サラリーマンから防災へ

私は平成8年まで言ってみれば猛烈サラリーマンで、地元のことなんて全然知らなかったわけです。退職して何をやろうかと考えたときに、まず自分の住むまちを知ってみようと思い、市役所が主催している市民大学中期コース「東久留米を災害に強いまちにする」という講座を受けました。3カ月間の講座が終わった時、担当者から「せっかく勉強したんだから、もっと続けてやったらどう?」という誘いを受けて、受講者14名で自主防災研究会という名前をつけ約1年勉強しました。勉強してみると、市役所の防災対策にはおかしいところがいっぱいあるということが分かりました。これを直していかなければいけないということで、みんなで勉強したのですが、「市役所が防災を真剣にやっていないのは市民が悪いんだ。防災に関して市民はまったく無関心だ」ということが分かりました。つまり防災というのは、市の行政と市民が車の両輪の関係にあるということに気が付きました。このことがベースとなってその後いろいろな活動を始めることになるわけです。

初めは「東久留米自主防災研究会」という名前で活動していましたが、2年前から「防災まちづくりの会・東久留米」という名前に変えました。これは将来市内の各町が「防災まちづくりの会・○○町」という会を作ってほしいという願いがこもっています。メンバーが大体60人ぐらい。「防災まちづくりの会・東久留米」については内閣府のホームページに出ていますので、ぜひ興味のある方は、そこからアクセスしていただくと、どんな活動をやっているか分かっていただけると思います。

主な活動内容の項目だけご紹介しますと、出前講座、防災まちづくり学校、それから小学校での総合学習「防災」のお手伝いなどがメインです。そのほかにミニコミ誌A4裏表で「防災かわら版」と称するものを作って、会員に配ります。そのほかに市役所の主立ったところ、消防署、社会福祉協議会など関連のところにも配ります。

ボランティアとしての活動

私が現在のような活動をする下地としては、大学生時代からボランティアをやっていたことがあります。立川にある児童養護施設に行っていましたが、当時は、まだアメリカの基地で生まれた2世というのか、捨て子がたくさんいて、その施設に入っていました。そこで童話を読んだり影絵をしたり、それから野菜を一緒に作ったりとか、そんなボランティアをやっていました。またサラリーマン時代に、ニューヨーク、ロンドンに駐在していましたが、ニューヨークに赴任した時は、上の子供が幼稚園の時でした。すると近所の中学生がやってきて、「おまえのところの子供に英語を教えてやろうか」と言うのです。「えっ? どうして?」と聞くと、「中学生になったらボランティアをしなければいけないんだ、英語を教えることはボランティアにカウントされ、成績の一つになるのだ」と言うのです。そこで周りの人たちに聞いてみると、高校生、大学生の入学口頭試問に必ずボランティアの項目があるのだそうです。もちろん高校は日本だったら学業だけですが、アメリカやカナダでは「あなたは高校時代に自分のために何をやったか、学校のために何をやったか、地域のためにボランティアとして何をやったか」というのが、重要な試験科目になっているそうです。またテキサスのような金持ちの多い所に行きますと、そのほかに、親はいくら寄付するのかというところまで加味されるという、半分冗談のようなことも聞きました。

日本でも、もっともっとボランティアが盛んになって、ポピュラーになってほしいと思います。最近かなり盛んになりましたが、まだまだ足りないと思います。

2つの大地震を体験

私は2つの大地震を体験しました。1つは、昭和20年1月起こった三河大地震で2300人以上が亡くなりました。この三河地震のことはあまり知られていません。私はちょうど疎開をしていて、この地震に遭い、いとこといとこのじいさんを亡くしています。当時、終戦直前ですので、警察と憲兵が来て、情報を出さないように全部隠ぺい工作をして、住民は誰もほかにしゃべることができなかったのです。蒲郡という所にいたのですが、名古屋に軍需工場がたくさんありましたから、地震で大被害を被ったという情報が敵国に漏れないようにしたのだと思います。

それから阪神大震災です。3日前まで神戸にいて地震のときは私は東京にいましたが、私が勤めていた会社の本社があそこにありました。見事につぶれてしまいました。そこに工場もあったのですが、今はそこに立派なマンションが建っています。そんなことで、本社、工場が見る影もなくなって今では寂しいのですが、これは誠に残念だと思うしかないです。しかし、新しく生まれ変わったのでしたら、それはそれでいいのだと思います。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。