1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. まちづくりと建築土木
  6. 地震災害に学ぶ-地域の絆と防災-
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.36

地震災害に学ぶ-地域の絆と防災-

放送月:2008年11月
公開月:2009年6月

荏本 孝久 氏

神奈川大学工学部建築学科教授

プロフィール

私は昭和26年に横浜で生まれ、それ以来ずっと横浜に住んでいます。東京の大学を出た後、1年半ぐらい民間の建設会社で働いておりました。その後、大学に戻りまして、あとはずっと神奈川大学で仕事をしております。専門は地震工学、耐震工学などの都市防災工学をやっております。所属は工学部の建築学科というところで、建築学科というと皆さんは建物という印象を持たれるかもしれませんが、私はその建物の下の地盤の研究をしております。特に、地震の時に地面がどういうふうに揺れるのかということについて勉強しています。

防災に取り組むきっかけ

私は大学を出て大学院に入りましたが、そのころから防災の研究をやり始めました。特に東京の大学でしたので、東京都が自治体として防災に取り組む最初のころから、その活動に入らせていただきました。もともとは物を造る、構造物を造るということに興味があって大学院に入ったのですが、ちょうど卒業するころに伊豆半島沖地震が起こりました。物が壊れるところをきちっと見ないと、なかなか設計に結び付かないという印象を持ちましたので、大学の恩師の先生にお願いをして、災害の現場に連れて行っていただきました。それ以来、どんどん防災のほうに入り込んでいきました。それから、都市がどんどん広がっている中で、地盤の様子によって揺れ方が違う、被害の出方も違うということに非常に興味を持ちました。たまたまその時に、東京都の地震時の被害の想定や地震に対する災害危険度の評価の仕事を先輩の先生方がやっていらっしゃったので、そこに加えていただいて、どんどん防災のほうに入り込んでいったというのが私のバックグラウンドであります。

防災というのは日本全国どこも同じような状況がありますし、もっと広げれば世界といいますか、いろいろな国でも状況は深刻で、どこでも同じようなことが起こっており、どんどん広がっていったというのが現状です。スペイン、アメリカ、中米メキシコ、南米のベネズエラ、インド、トルコなど、地震の災害が起こったら、すぐ飛んでいって現場を見て、それを我々が住んでいる東京や横浜の対策に役立てるにはどういうことをやればいいのかということについて話を進めていったということです。

1995年1月17日阪神・淡路大震災の発生(小林郁雄氏提供)

阪神大震災に遭遇して

私は大学を卒業するころから長い間、防災の勉強をやらせていただいていますが、やはり1995年の阪神・淡路大震災、これが非常に象徴的な、防災に関わるイベントだと思います。私はちょうど阪神大震災が起こる前日、1995年1月16日に大阪で国際会議がありまして、それに出席するために大阪に行っていました。最初の顔合わせが終わって、ホテルに帰って休みましたが、その次の日の早朝に阪神・淡路大震災が起こりまして、非常に大きな揺れに襲われて、本当にその建物が倒壊するのではないかと思うくらいの揺れを経験しました。

伊豆半島沖地震のころからずっと地震の現場に行ってはおりましたが、こんなに大きい揺れに遭ったというのは初めての経験で、非常にびっくりしたわけです。何人かの人と翌朝すぐに神戸の方に行きましたが、その時点では、とてもそんな災害が起こっているというイメージを持たないで入っていきました。被災の中心地に行くほど、どんどん被害が大きくなっていきまして、非常にショックを受けました。丸一日かかって神戸の東灘区まで行って、それから引き返しました。帰りはもう真夜中で真っ暗なのですが、車で行ったので車のライトを照らすと、避難する方が黙々と大阪の方に歩いて行かれるところでした。これが非常にまた印象に残りまして、災害というのは非常に惨いことだなということを本当に肌で感じました。

その後、何回も何回も神戸の方に足を運んで、横浜の私の大学と行き来をしたわけですが、調べれば調べるほど「本当にこういうことが起こるんだな」ということを実感しました。今まで耐震や地震工学の勉強をしてきましたが、「やはり災害というのは全然違うんだ」ということを肌で感じました。そういうことで、この阪神淡路大震災は、私の災害に対するイメージを本当にその根底から覆してしまったような災害だったと、今でも思っています。

現在は関東地方、特に横浜で防災にかかわっていますが、防災について考え続けていかなければならないと思っています。当時はテレビや新聞でいろいろ報道されたわけですが、しばらくたったらすべて記憶の中から忘れていると思います。特に関東地方といいますか、被災地以外のところでは忘れてきてしまっています。だから、ああいう体験はどこかで語り継がなければいけないし、資料としても残していかなければいけないし、それはやはり興味のある方たちが一緒になって勉強しなければいけないのではないかと思っています。

神戸市役所の建物(中間階)の被害(小林郁雄氏提供)

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。