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防災インタビューVol.41

災害からいのちと暮らしを守るために~災害救援NPOの現場から

放送月:2009年5月
公開月:2009年11月

栗田 暢之 氏

レスキューストックヤード代表

レスキューストックヤードHP:http://rsy-nagoya.com/

災害からの復興

災害直後はどんどんマスコミが入って、どのチャンネルを見ても被災地の状況がよく分かるのですが、1カ月、もう2カ月たってくると報道も少なくなって、被災地がどうなっているのか、分からなくなります。

昨年の6月14日に岩手宮城内陸地震が起きました。あれから間もなく1年がたとうとしていますが、現状の被災地の様子はどのような状態だかご存じでしょうか? 現在もなお避難指示が続いている集落もあり、家に帰れていない方々が今もなおいます。また駒の湯温泉で生き埋めになって行方不明の方も、いまだご遺体が発見されていません(2009年5月現在)。

また能登半島地震から2年以上が経過しましたが、被災された方々に「復興しましたか」と聞くと、8割ぐらいの方が「まだその途上だ」と言われると思います。その方々に対して、復興に向けて外部支援者として一番望まれていることは何かということを、随分これまでの災害でも考えてきましたが、私たちは、もう少し被災地に目を向けて、息の長い支援をしていくことを考えていかなければならないと思います。たまにはそこに行ったり、あるいは「忘れていませんよ」という言葉を掛けるだけでも随分違うと思います。

能登半島地震のときには穴水町商店街を私たちは支援してきましたが、それが現在まで続いています。穴水町商店街は、はっきり言って地震の前からちょっと寂れている所でしたが、地震があって、さらにダメージを受けました。「災害バネ」という言葉があるのですが「地震が起きる前よりも、もっといい町にしていこう」ということに被災者の方が気付いて、「地震があったおかげでこれだけ世間の注目を浴びることができたのだから、これからも頑張っていきましょう」という人たちが、ぽつぽつ増えてきました。これが私は本来の復興だと思います。町が元通りになった、道路が直った、そういうことを復興という場合もありますが、私はやはりそこに生きる人たちが自分たちの力で、もう一度にぎわいを取り戻そうとすることだと思います。しかし、それを被災者の方だけでやるのではなく、外部支援者としては、たまには能登に行って、おいしいお魚、人情味あふれた観光施設など本当にいい場所があるので、そこに行ってお金を落として、復興をちゃんと見届けるという作業を、もう少し長くできないかな、と思います。能登半島地震で当時1、2カ月で約2万6千人の人たちがボランティアに入りました。その2万6千人が今もう一回能登に行ってお金を落とせば、かなり復興の力になれると思います。

これから6月になり、岩手宮城地震から1年という時には、また岩手や宮城のことも報道されると思いますので、皆さんの目をちょっと被災地に向けていただいて、復興をぜひ応援していただきたいと思います。特に東京の市場で1パック5千円で売られたことも ある高級イチゴ”くりこまのいちご”など、これから復興していくための力をぜひ応援していただきたいと思います。

「被災者との復興を考える集い」2008年岩手・宮城内陸地震(宮城県栗原市)

都市型の災害について

昨年の8月末に岡崎をゲリラ豪雨が襲ったという報道がありましたが、実は私が住んでいる名古屋でもたくさん雨が降りまして、内水氾濫が起こりました。この内水氾濫というのは、いわゆる堤防が決壊するという災害ではなくて、行き場を失った水がどんどんたまってしまうようなものです。昔は田んぼであったり畑であったりした水はけが悪い所が宅地化されてしまって、アスファルトで固められてコンクリートジャングルになってしまって、そこに住んでいる人が被害を受けてしまったということです。夜中に、深い所で床上50センチぐらいの水が一気に来て、朝になったら一気に水が引いていた、という状態です。私たち災害ボランティアも、被災地の中にお掃除道具を片手に「お手伝いすることありませんか」というふうにお声掛けして回りました。畳がぬれてしまったところは、すぐにでもお掃除したいに決まっていますので、人手が足りないときには私たちが応援するために地域を練り歩きました。畳が出て、道路に干してあったりすると「ああ、ここは浸かったな」と分かります。しかし一番分からないのは、何も起こっていない家です。名古屋は220万都市です。内水氾濫で大体この辺が浸かったという地図を行政からもらって歩くのですが、多分ここの家は浸かっているのではないかと思われる家が何もしていない。その際には、ボランティアが「大丈夫でしたか」とお声掛けするのですが、玄関が閉まっているとどういう状況か分からない、こういう都市型の課題を目の当たりにしました。

当然名古屋でも地域で助け合う、あるいは町内会レベルで声を掛け合う、あるいは民生委員さんがご担当の独居老人のお宅に行って「大丈夫でしたか」という声掛けは、もちろんやっています。しかし地域からは普段ちょっと疎遠であったり、民生委員にお世話になる年齢にまだ達してない人もかなりいます。私たちが見てきた現場では、50代の男性の一人暮らしのお宅で、テレビの音がするので「お父さん大丈夫でしたか」と入っていくと、お父さんは靴を履いたまま、ぬれた畳の上で生活しています。「大変でしたね。片付けはどうされますか?」と話をすると「ぼちぼち片付けるんでいいわ」と言われました。「今ボランティアが20人ぐらいいますからお掃除しましょうよ。お父さんは我々に指示してくれるだけでいいですから」ということを話しをして、早速片づけをしました。実はそういう家がかなりありました。自分の家が大丈夫であったかどうか、そういうことを隣同士でちょっと話し合える関係は持っておかないといけないと思います。このことに直面して、本当に都会の闇は根深いと感じました。町内会長さんが、必死になって一軒一軒回られるタイプの方と、嫌々当番が回ってきて、やらざるを得ない方もいます。そういう気持ちによっても随分地域の支援の仕方も変わってきますので、とても難しい問題です。

「平成20年8月末豪雨での活動」・名古屋市中川区

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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