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防災インタビューVol.48

阪神大震災から学ぶ耐震対策の重要性

放送月:2009年3月
公開月:2010年6月

隈本 邦彦 氏

江戸川大学教授

阪神淡路大震災からの教訓

大地震の発生直後には、多くのメディアもそうですし、私自身もそうなのですが、ものすごい地震があって、ものすごい災害が起こった、ということしか分かりませんでした。だからある意味、その当時は阪神大震災の教訓などについては考えたことがなくて、本当に目の前で家がつぶれているし、たくさんの人が亡くなって、火事も出ている、大変だ、高速道路まで倒れている、ということを伝えるので精いっぱいでした。地震直後のメディアというのは阪神大震災がいかにすごい災害だったか、ということは伝えているのですが、それが防災の教訓というようなところまではとてもいきませんでした。
14年たった今、阪神大震災の教訓をメディアは伝えきれているのかな、ということが僕にとっては非常に引っ掛かっていまして、恐らく一番大事な教訓が伝えきれていないのではないかと思っています。阪神大震災の報道といえば、イメージは高速道路の倒壊があります。その前の年にアメリカの西海岸でやはり地震があって高速道路が倒れたのですが、その時に日本の関係者やお役人は、皆そろって「あんなのは日本では起きないよ」というふうに言っていました。しかしその丸1年後に、阪神大震災で高速道路が倒れて「安全神話が崩壊した」というふうに言われました。また一面に広がる大火災を見て「ああ、もう災害の時の消防力が今、日本には足りないんだ」という議論がされました。それからあの時、自衛隊の出動が遅れたので「自衛隊が出動していればたくさん助かったはずなのに」というふうに言われました。また災害時の医療が駄目で、実際には病院に運び込まれたけれど全然治療ができず、そのおかげで亡くなった人がたくさんいたのではないか、というふうに報道されました。実はそれはすべて、安全神話の崩壊にしても、自治体消防力の不足にしても、自衛隊の遅れにしても、災害医療の不備にしても、それはそれなりに全部正しいのですが、阪神大震災で、ものすごくたくさんの人が亡くなった主な理由はそれではなかったのです。
地震から何カ月かたって、いろいろなデータが集まってきて、その真実をもう一度見つめ直すと、それぞれ安全神話の崩壊や自治体消防力の不足、そういうことは重要な問題で、それぞれ解決すべき問題だけれども、それはあくまで地震の死亡者がちょっと増えた理由であって、ほとんどの死者が出た理由は、そういったメディアが伝えた理由ではなかったということです。一番大事な問題は、実は建物の耐震性だった、ということです。しかし、それは地味ですし、それが確信を持って言えるようになったのは、データが集まってきて、被災から1カ月後、2カ月後のことですから、どうやらその時のたくさんの報道の中でかき消されてしまった、というふうに感じています。

死者が多かった本当の理由

約6,400人と言われている死者の中の8割が、建物がつぶれて、あるいは家具の下敷きになって、地震発生から15分以内に亡くなっているという事実を、多分メディアは震災の発生直後には分かっていませんでした。そして火災などはものすごく絵になりますので、燃えている家をカメラマンがズームインするのは、いわばメディアの本能です。それから壊れている家があったらそこをずっと撮影するのも、これはメディアの本能です。ところが一番大事なのは、同じ揺れなのに壊れていなかった家、燃えていない家があった、ということです。その比較がきちんとできれば、なぜこの家は壊れたのか、なぜここで火災が発生したのかという本質的なところに気が付くはずだったのですが、どうしてもメディアというのは、壊れた家、燃えた家だけを映します。そうすると「火事が消せない、大変だ」ということや、壊れた後の人間ドラマ、亡くなった人たちや、そこから復興する人たちの涙ぐましい努力、そういうものをずっと伝えるのがメディアの仕事だと、つい考えてしまいました。もちろんそれも重要なメディアの仕事ですが、災害の再発防止、同じような被害が出ないようにするためには、壊れなかった家のほうもちゃんと取材すべきだったということです。
私もその地震の発生直後は、そうやってメディアらしい取材の仕方しかできず、大量の報道がされましたけれど、その中にかき消されていた、実は阪神大震災の真のデータというのを、その後取材してきました。震災後、私は科学文化部から静岡放送局と名古屋放送局のデスクをやりましたが、そこではしっかりと「阪神大震災の真の教訓」ということを伝えようというふうに頑張りました。特に阪神大震災から10年たった時は、僕は名古屋放送局で、放送を統括する立場でニュース報道のデスクをやっていましたので、いろいろな情報があるけれど、一番大事なのは耐震性だということを訴えました。

地震から時間がたって分かる教訓

地震直後には分からなかったのですが、6,400人の死者のうちの80%が地震発生から15分以内、午前6時までに亡くなっているということが警察庁の調べで、死亡推定時刻から分かってきました。死因を調べたデータを見ると、6,400人のうち半分以上が窒息によるものでした。圧死、ショック、打撲まで入れると8割です。これは皆、自分の住んでいた場所、自分のたまたま居た場所で建物が倒れたり、家具が倒れてきて、その下敷きになって亡くなったということです。物が首に落ちてきてもおなかに落ちてきても窒息してしまいます。亡くなった人の死因を調べたら実は建物の倒壊によって、その下敷きになって8割の人が死んでいる、しかも地震の直接の死者の中でいえば9割の人たちが亡くなっているということが分かりました。
先ほどメディアは壊れた家しか取材しないと話しましたが、学者たちは震度7で揺れた地域のすべての家を、壊れた家も壊れていない家も調べました。その結果、分かったことは、昭和56年以降、新耐震基準で建てられた木造家屋は、震度7で揺れているのに9割がた大丈夫でしたが、昭和47年より古い建物は同じ揺れの中で6割も壊れていました。これによって、この地震によってこれだけの被害が出たのは結局、神話の崩壊でも何でもなく、耐震基準の重要性であることが分かりました。実は昭和40年代から50年代、特に56年の時の耐震基準の改正では、日本の建物は随分強くなりました。だからそれ以降に建った建物は震度7で揺れても、耐震基準の考え方から言えば壊れても仕方がないのに、壊れないで9割がた残っています。つまりこれによって、阪神大震災の教訓として、耐震基準の重要性が再認識されました。
悲しいデータですが、亡くなった方を年齢別に調べたデータがあります。それには、20歳ぐらいのところにピクンとピークがあります。実は私の人生を振り返ってもそうですが、ちょうど20歳のころというのは、学生で古い家に住んでいました。年齢別に見るとお年寄りと20歳ぐらいの若者が亡くなっている。それは耐震性の低い建物に居ながら、その補修、改修に踏み切れないか、その重要性に気付かなかった方が亡くなっているという事実ですね。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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