プロフィール
私は山本正典と申します。年齢は55歳になりました。定年も近くなってきたという感じですが、若いころ大学では地球物理学をやっていまして、特に地震のことを勉強していました。勉強といっても怠け者だったので、あまり大したことは学部の時代はやっていませんでしたが、当時マスコミでも話題になっていた地震予知が今後どうなるかということを、先生の指導を仰ぎながらやっていました。また当時、別の先生から新潟の地滑りの現地調査に誘われて行った際に、助手の方といろいろ話をして「研究も重要だけれど、やはり現場、社会に役立つことをやっていったほうがいいのでは」という示唆を受けて、学部を終えた後、先生の勧めもあって「応用地質株式会社」に入社しました。
そこでは地震防災という分野の仕事で、地盤調査、被害想定などを行っていました。私も「今後ある地震が起こったら、どこの地域でどれくらいの被害が起こるか」ということを想定する作業を行っており、それが7年ぐらい続きましたが、その頃になると被害想定を踏まえて「その結果を使ってどうしたらいいか」「どんな対策をすればいいか」ということを考えるようになり、それを実現するためには少し行政に近いところの仕事をしたほうがいいのではないかと考えだしました。
たまたま、あるシンクタンクで研究員の募集があり、そこでは防災関係の仕事もやっていたので、これは自分の志向にマッチするのではないかと思いまして、応用地質を辞めてシンクタンクに移りました。シンクタンクではもちろん防災もありますが、そのほかにはいろいろな社会の問題を扱っていました。地域開発系の仕事、リゾートの問題、消費動向の問題、人口の長期予測、あるいは、これは私のその後の仕事の方向を考える上でのポイントになったのですが、ある自治体の長期総合計画というものを担当することになりまして、そこからだんだん仕事の視野が広がっていきました。自治体における最上位の計画である長期総合計画は、その自治体で行ういろいろな分野の施策、事業などを総合的に10年、20年というレンジで方向付けしていく計画ですので、それを作成するに当たっても1年、2年かかったりもしました。
その頃、このような長期総合計画や、施策事業の評価を考える学問的な動向がありまして、それはニューパブリックマネジメントなどと呼ばれますが、そちらに非常に関心を深めまして、公共政策系の大学院に進むことにしました。もちろん社会人大学院で、夜、勉強をすることになりますが、仕事で得た知識などを生かしながら、そういう方向の勉強を2年間させていただきました。
大学院から再度応用地質へ
私が大学院に行ったのは1998年のことでしたので、それより少しさかのぼって1995年に阪神淡路大震災が起きました。このことを期に、急に防災関係の仕事が増えました。特に地域防災計画をお手伝いすることが多くなりました。そもそも私がやりたいと思っていたのは防災関係の仕事だったので、その頃、もう一回、防災に特化した仕事をしようという気持ちも強くなっていました。そこに、たまたま応用地質の以前の同僚から「戻ってこないか」という話がありまして、その誘いを受けて転職させてもらいました。
もともと防災を志していた私にとって、この阪神淡路大震災は非常にショックでした。それが一つの契機になって、こういう仕事につくきっかけになったのかと思っています。このような過程を経て、2002年に応用地質にまた再就職しました。
応用地質という会社はご存じない方が大多数だと思いますが、地質という言葉が付いているように、いわゆるジオロジーです。応用地質は、もともとは地盤のこと、地面のこと、地下のことを調べる会社だったのですが、今は少しその領域が広がっていまして、地質だけでなく建設関連のコンサルタント、防災のコンサルタントなど手広くやっています。仕事の流れとしては、いろいろな情報を提供し、調査し、モニタリングを行い、そこから予測を行って、リスクマネジメントをやったり、対策を提案するというようなことをしています。大きく分ければ、分野的には、私が今やっている防災という領域、その他の領域では環境という領域、建設という領域、それからエネルギーというのも一つの柱になっていまして、あとは少し変わったところでは危機事業などもやっています。防災の領域では地震防災、土砂災害、洪水などの問題がありますし、環境では土壌汚染の問題、生態系の問題とか廃棄物、今はがれき処理の問題、放射線の探査もやっています。建設領域ですと地盤の調査、いろいろな土木構造物を造るための基礎調査、造った後の施設の維持管理もやっています。エネルギー関係ですと、いろいろ話題はありますが、原子力関連施設の立地調査、活断層の問題、メタンハイドレートの開発研究などもやっています。危機事業としては、今までお話ししたようないろいろな領域の調査研究を行うための測定機器の開発製造や、災害発生時にがれきの下に埋もれた方などの人命を探査するレーダーを作ったりしています。このように応用地質では、さまざまなことをやりながら、いろいろな領域で防災に貢献させてもらっています。