プロフィール
私は東京三鷹にあります消防科学総合センターに勤務して22年になる黒田です。消防科学総合センターは設立されて35年ほどになりますが、消防や防災に関する調査研究、統計などを業務としています。名前からすると火災や消火といったイメージが強いかもしれませんが、私自身はもともと文化系で社会学を専攻しており、主に防災のソフト面、例えば自主防災組織の活性化や防災知識の普及、あるいは市町村などの防災計画の作成や図上訓練の実施などに携わっています。
学生時代から災害や防災について関心があり、卒業論文では「日ごろの近所付き合いの程度が、災害で被害を受けたときに、どれくらい立ち直りの役に立つのか」ということで、水害に見舞われた住宅地に住む人たちに対してアンケートを行いました。その結果は言うまでもなく、日頃の近所付き合いが活発なほど早く援助を受けることができて立ち直りも早い、という傾向が見られました。これは30年ぐらい前の話ですが、当時は「近所付き合い」と「防災」が何で関係するのかが、なかなか理解してもらえませんでした。アンケートを配った時に「災害の調査ならば協力するが、近所付き合いについて聞くのであればプライバシーの問題だから協力しない」ということで、アンケートを突き返されたこともありました。30年前は「防災」というと堤防や水門などのハード施設のことだと、一般の人には理解されていたのではないかと思います。今は阪神淡路大震災や東日本大震災を経験し、多くの人がハード面だけではなく、いつでも助け合える隣近所との顔の見える関係づくり、情報の収集伝達、あるいは災害対策本部の運用といったソフトの充実も大事だということが理解されるようになったのではないかと思っています。
このように防災におけるソフト面の重要さは、ますます増しているわけですが、やはり扱うのが橋や道路とは違って生身の人や組織の話ですので、なかなか一筋縄ではいきません。これはゴールのない永遠のテーマだと思っております。私自身は、そのような状況の中でいろいろな問題を抱えながら、防災をどのように発展させていくのかを考えていきたいということで、日々関わっています。
頭でっかちの防災、精密機械の防災
現在、防災についていろいろやっている中で、日々私が思っていることが幾つかあります。そのうちの一つが「頭でっかちの防災、精密機械の防災に気を付ける」ということです。これはどういうことかと言いますと、現在、国の防災機能というのは、少し前よりも随分強化されています。2001年に中央省庁の改革が行われ、それまでは1府22の省庁だったものが1府12省庁に再編成されました。その時、中央防災会議とか各省庁、さまざまな活発な動きが出てきました。その中で、防災に関わるさまざまな検討会も立ち上がって、東日本大震災後には次から次に、多くの提言や報告書が出ているような状況です。また公的な機関の情報だけではなく民間団体からも、防災に役立つさまざまな情報がインターネットを通じて発信されているのは、皆さんもご承知の通りかと思います。この状況を考えると、その受け手である防災の最前線に位置する市町村にとっては、受験生が次から次に参考書を与えられて四苦八苦している状況にも似ているように思います。こうした情報は、現場レベルでうまく機能するようにかみ砕いたり、変換して生かしていく必要があるのですが、あまりにも情報量が多くて、全体でどのような情報が発信されているのか、またその中身をなかなか消化しきれていないというのが現状ではないかと思います。発信されている情報は非常に鮮度もいいし、確度の高いものが多いのですが、その受け手の立場に立つと情報ばかりが氾濫していて、そういう意味で言うと現在の日本の防災は、頭でっかちな形で展開されているのではないかと思います。私はこれを「頭でっかちの防災」と呼んでいますが、私自身も気を付けていきたいと思っています。
頭でっかちの防災に関連し「精密機械の防災」というのも気に掛けています。例えば土砂災害警戒情報が発表されたら「どこどこ地区の住民は土砂災害用の避難所である、どこどこに避難しましょう」などと、災害時の対応について事細かにマニュアルに書き込んで、避難の勧告や指示の内容が緻密化していきます。これはこれで進化の一つの形だと思うのですが、人間の動きは精密機械のようにはいかないので、これらの情報に対して、普通の人がどれだけ付いて行っているのだろうかと疑問に思っています。恐らく、もっと多くの人にこれを受け入れてもらうためには、頭でっかちの防災とか精密機械の防災ということを克服するような対策、対応を考えていかないといけないと思っています。
今は東日本大震災の後で、たくさんの情報が入ってきている段階ですので、しばらく立ち止まる時間も必要なのではないかと思います。いったん立ち止まって、まず状況をきちんと整理して、それを基に今後どうしていくのかを考えていかないと、いろいろな情報があちらこちらから出てくるような形では、一般の人からすると何が正しくて、どうすればいいのだろうという思いが強くなるのではないかと思います。