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防災インタビューVol.92

企業の災害対策 ~被災前後の対応とBCPの取り組み~

放送月:2013年7月
公開月:2013年12月

掘 格 氏

NEC

「NEC震災パンデミック対応情報共有システム」について

どうしても勤務中に、広い工場や空間で情報を共有するのは非常に難しいのですが、過去にNECが情報を出さなかった年があって、情報を出さないと受け手は自分に都合のいいように解釈してしまいます。「会社から情報が来ない、会社都合の休日に違いない、休んでしまえ」ということになり、誰も働かなくなってしまいます。会社側では、その時点で大切な情報、正しいと思われる情報を皆が不安にならない程度の間隔で出すのが非常に重要になってくると考え、2010年ぐらいにこのシステムを開発して、周知しました。まずは安否を確認することはもちろん大事ですが、この「震災パンデミック対応情報共有システム」は被災状況がどうなっているのか、その復旧を今どこまで進めているのか、SOSを出した拠点にどこまでそれに対応する部材や人を送り込めているのか、そういう情報を皆で見られる形にしていました。これは携帯などに直接送るのではなくサーバーに蓄積しておいて、それを携帯から見にいってもらい、それを携帯に映し出すという形にしていました。ただ、自発的に会社の情報を非常時に見にいくきっかけをつくるために、最初のうちは情報を出すときは、例えば「この地域には生鮮食料品を売っている店がこことここにあるよ」「2時間ぐらいだったら並んでもいいよと、就業時間中とみなすよ」、あるいは「どこどこのガソリンスタンドには一般車にもガソリンを出してくれているよ」という情報を出すことによって、徐々に引き込んでいく、皆が見てもらえるようにしていくという工夫をしました。社員も多いので、社員の方々が「あそこだ、ここだ」という情報をもらってくるので、3人同じ情報をくれると「うそは言ってないだろう」ということで掲載しました。行ってみたらもう売り切れていたということはあるかもしれませんが、災害時のそういう生活の情報を流すことで引き付けて、今度は対策本部として「被災状況はどうなっているか」「いつ会社に来ればいいのか」「物流のルートはどうなっているのか」などの情報を見てもらって、「ああ、これなら仕事できるぞ、これなら復旧できるぞ」という形に持っていったというのが今回のやり方でした。

この方法は割と機能しており、大体は情報を共有することができました。ただ、会社の人たち皆に「情報がない、情報が少ないというのも一つの情報だよ」「安否確認にしても安も否も分からないならば、それも一つの情報だよ」とよく言っています。分かったからといって何かできるのであればどんどん追求するけれど、それができないのであれば、来ているままの情報をどう読み込んで、どう行動していくか、そちらのほうが重要だということを多くの人たちが分かってくれたのかなと思います。

「BCP」について

NECでも東日本大震災が起こる1年ぐらい前から「BCP」については考えていましたが、「BCP」という言葉が、ちょっと先行した感じはありました。確かにBCPができているところのほうが余裕を持って仕事をしているというのはありますが、ただ震災前のBCPというのは、割と「自分たちがどうしていくか」ということばかり考えて、「周りとどうつながっていくか」「周りとどう物事を共有していくか」ということが考えられていなかった点は、ちょっと残念でした。

私が講演に行った先でも、BCPがうまくいかなかったという話が出ていて、400以上の場所を見せてもらいましたが、それらの多くの場合は欧米型のBCPをそのまま日本に当てはめていました。欧米型とは何かというとテロを標的にしているので、一つのビルが駄目になっても1ブロック、2ブロック離れたビルでは電気もガスも水道もつながっていて、仕事もできます。しかし日本の場合は地震なので、1ブロック2ブロック離れても同じように駄目だったということになります。BCPに書いてあるのはそこまでなので、その後どうしていいのか分からず、なかなか知恵を働かせたり想像を働かせることができなくて、今回の地震を乗り切るのは難しかったのかもしれません。

このようにNECでは自然災害に対するBCPを考えてはいたのですが、それでもBCPをつくってしまうと、そのBCPがスタンダードになってしまいます。それと違う地震が起こってしまうと「どう当てはめていけばいいんだ」ということになります。実際、BCPの本にも「BCPというのはある面、理想ですよ」ということが書いてありますし、実際起こるときは、それまで考えていた人、物、金、情報の施策と現実とのギャップが生まれます。そのギャップを詰めていくのがBCPなのですが、実際に起こってしまったら、ギャップが詰め切れていないところは人、物、金、情報の、今あるもののベストエフォートでやらなければいけないといったところが、いまひとつ全員には伝わっていなかったというのが反省点です。言葉としてのBCPはあるけれども、それをどうやって書物から実践につなげていくのかというのは、非常に難しいところではあります。災害も地震にしても、その時によって被災の仕方は違うので、どうやって災害時にBCPが機能するかを常に考えて、「災害が起こったらこんなふうになるんだ」ということを常に想像していた人がうまく動けたのではないかと思います。

実際に東日本大震災の時には私自身は、来るもの来るものをこなしていくという形でしたが、皆よく動いていると思いました。私自身は皆が動いている中で足りないところに随時入っていって仕事をするはずだったのですが、皆が自発的に動いてくれているので、自分の仕事は見ているだけという形になったところもあって、よくこれだけ皆自分から想像して、それに対応する動きができていると感心していました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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