1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. 災害情報とボランティア
  6. 災害支援の現場から見た防災
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.127

災害支援の現場から見た防災

放送月:2016年4月
公開月:2016年11月

阪本 真由美 氏

名古屋大学減災連携研究センター特任准教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

効率的な被災地の支援について

東日本大震災の時は、私もすぐに宮城県庁の災害対策本部に入って災害対応のお手伝いをしていました。災害が起こると実際のところ、自衛隊や消防、医療救急のためのDMAT、自治体間や民間企業、ボランティアによる支援など、日本全国からたくさんの支援が、被災した自治体に集まります。宮城県庁の災害対策本部には、17都県から支援がありまして、多い時には1日に50名近い各県の方が宮城県庁に行って災害対応に従事しており、このような外部から来る支援を受け入れて、それを被災者支援に充てるというのは被災した自治体の役割になっています。ところが宮城県では県内の市町村がたくさん被害を受けて、被災者支援に追われていて、外部からの支援に対応する余裕はとてもありませんでしたので、支援に来た県の方々は、自ら被災地の状況を調査し、必要だと思われる支援を独自に提供し始めました。そうすると今度は、宮城県では、どこの県がどこの町を支援しているのか、どんな支援をしているのかという情報がつかめなくなってしまい、県内の市町村から「どこの県がうちの町に入っているか教えてください」という問い合わせがあっても、残念ながら県は回答を持っていませんでした。このような外部からの支援の受け入れについて、東日本大震災の時は考えられていなくて、それ故に混乱が起こってしまったということが大きな課題になりました。

東日本大震災の後に「支援の受け入れ態勢をつくりましょう」「受援計画を作りましょう」という動きが起こっていますが、受援計画を作るというアイディアはあるのですが、受け入れ自体は、相変わらず被災自治体にかかっていて、どこかがその業務を支援するという体制はできていません。これをしっかりと考えていかないとこれから先起こる災害の際に、また同じことの繰り返しになってしまうと思います。

東日本大震災だけではなくて、同じような問題は実は関東大震災や阪神淡路大震災、伊勢湾台風など過去の大きな災害でも見られました。その都度「体制をつくらなければ」という話はするのですが、残念ながら時間が経過するにつれて意識が下がっていって、実現できなくなってしまいます。東日本大震災の後に「災害対策基本法」が改正されまして、災害時の自治体間の支援を促進するようにという項目も災害対策基本法の中には入れられましたが、残念ながらまだ具体的な仕組みづくりには至っていません。これは自治体の問題というよりは、自治体間の支援を総括して見る機関が国にはないというところに課題があります。
自治体間の動きをどこが集約して、どこが調整するのか、これは総務省の仕事なのか、内閣府の仕事なのかというのを巡って、いまだに答えは見られていません。

被災地に確実に物資を届けるために

大きな災害が起こると、ライフラインが寸断されてしまい、被災者にはなかなか食糧や物資なども届かなくなります。これをどうやって解決すればいいのかという課題について考えてみたいと思います。東日本大震災では、やはり被害が大きくて、宮城県、福島県、岩手県の広範囲の地域が被害を受けていました。ライフラインもストップして、道路もがれきで埋まってしまったという状況の中で、なかなか現場に食糧が届きませんでした。地震津波があって2週間たった時点でも、食糧は配給が1日に1回だけ、それもおにぎりが1個とか、パンが1個、2週間温かい食事は食べられないという地域がありました。この問題は深刻に受け止められ、「何とか解決しなければ」と皆考えていたのですが、なかなか解決の糸口がありませんでした。当時20万人の自衛隊員が被災者支援に取り組んでおり、各地で炊き出しなどもやっていたのですが、自衛隊の力を持っても炊き出しは十分には行き届きませんでした。一方ボランティアも被災地に入って炊き出しをやってくれてはいたのですが、現地の情勢に詳しくないボランティアもいましたし、また3千人近く避難している避難所で、3千人分の炊き出しをするというのはとても大変です。3百食ならできるけれど3千食は難しいというボランティア団体もいました。食糧を被災者に届けるには、ボランティアだけでは難しいし、自衛隊でも難しかったので、なんとかこの2つを調整できないのかということを考えて、自衛隊とボランティア、そして行政が共に被災者支援を考えるという会議の場を設けて、調整をすることにしました。

最初は気仙沼市でこの調整を始めまして、自衛隊がどこに支援に入っているか、ボランティアがどこに支援に入っているのかという支援のマップ作りをやって、互いの支援がうまく調整されるような工夫をしました。その結果、気仙沼については4月の頭には被災者に食糧が届くようになっていきました。難しかったのは石巻です。ここでは1万人を超す人が避難をしていました。避難所の数というのも百カ所を超していました。大変多くの避難所が設置されて、そこで食糧が行き届いていないということで、これについても何とか自衛隊と調整できないかという会議を繰り返して調整を行って、ようやく4月の中旬ぐらいに食糧を届けることができました。この自衛隊、行政、ボランティアの連携は、実は今まであまり行われていませんでした。今回の災害をきっかけに、自衛隊、行政、ボランティアが連携して被災者支援を行うことの重要性が改めて認識されたと思います。

行政による支援の中には、制度がなくて、なかなか支援が難しいものもあります。例えば東日本大震災の時に、ランドセルや制服をなくしてしまった子どもたちへの支援を行う際に、ランドセルも制服も行政が支払っているものではないので、行政から支援をすることは難しいです。そこで、ボランティアの方々が日本全国から支援を集めて提供されたというのは、大変大きな役割を果たしていたと思います。災害の際には、行政による支援だけでは救えない部分がたくさんあります。ボランティアの支援はそういう行政による支援から漏れてしまう支援を救うセーフティネットのような役割を果たしていると思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

会社概要 | 個人情報保護方針