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防災インタビューVol.142

地に足着けて地球を考える

放送月:2017年7月
公開月:2018年2月

桜井 愛子 氏

東洋英和女学院大学
国際社会学部 准教授

フィリピンのスーパー台風による被害

災害というのは日本だけで起こるものではありません。近年では気候変動が進んで、台風もどんどん大きな規模になってきています。気候変動のせいで、昨年は東北に上陸するという、今までにないことが起きています。今日はその中でも、フィリピンのスーパー台風による被害を受けたタクロバン市の話をしたいと思います。
スーパー台風というのは、今までの台風よりもさらに強力な被害をもたらす台風で、2013年11月にスーパー台風ハイエン、現地ではヨランダと呼ばれるスーパー台風がレイテ島にあるタクロバン市に大きな被害をもたらし、非常に多くの方が亡くなりました。台風なのに高潮が巨大化して、津波のように沿岸部の地域を襲って家々を流してしまったことで、多くの子どもたちを含む住民が犠牲になりました。その後、学校がどのように復興しているのか、あるいは台風で被害を受けた経験を学校でどのように教えているのだろうか、という調査を今やっています。高潮は英語で「ストームサージ」と言いますが、フィリピン人は「ストームサージ」という言葉をよく知りませんでした。フィリピンの気象庁から「非常に強いストームサージが起こる」という予報が出ていたにもかかわらず、逃げ遅れた方々が亡くなりました。ストームサージは津波のように15メーターの高さにまでなって沿岸部を襲い、多くの人々が亡くなったのですが「あの時、津波が来るって言ってくれれば逃げたのに」と言う方がいたことが、その後のインタビューで明らかにされていました。「現在は、ストームサージという言葉を子どもたちが知っているのかどうか」「子どもたちがその時、何が起きたかをきちんと理解しているのか」ということについて、学校で調査をしました。いろいろ聞いてみた結果、学校では一般的な台風については習いますが、この2013年11月のハイエンと呼ばれる台風がどういうものだったのかについては、特に学習はしていませんでした。「ストームサージが津波と同じような現象を起こすのだ」ということを学んでいない子どもたちのために、私は同僚の先生方と一緒に、台風の防災教育教材を作りました。台風が来ることは、事前にある程度進路や規模が分かるので、事前に情報を収集して、そして定められた避難場所に逃げることが大事で、逃げないと今はどんどん台風の規模が大型化しているので甚大な被害をもたらすということを学ぶような教材を作って、授業でやっていました。子どもたちにも、スーパー台風がやって来ら早めに逃げないといけないということを、あらためて教える機会ができてよかったと思います。

震災から10年後の姿

2004年にインド洋大津波で大きな被害を受けたインドネシアのアチェの調査を行うことになったのは、東日本大震災の調査中のことです。震災から10年後に、今やっていることが子どもたちや地域に、どういうふうに定着するのかを考えるに当たって、参考のためにアチェに行って見てみようということで行き始めたのがきっかけです。
日本でも今は震災から6年が経ったので、だんだん人々はあの時あった津波のことを忘れつつあります。新しい人々が入ってきたりして、震災を直接経験していない先生たちや子どもたちがどんどん増えていきます。そのような中で「大災害の経験を次の世代にどうやって伝えていくのか」が、非常に重要なテーマになっています。
今から13年前に起きたインド洋大津波の被災地では、あの時の経験が12年、13年たってどれくらい残っているのかを調査してきました。その中で分かったことがあります。大災害が起きて、しばらくの間は国際的な関心も高いですし、人々の関心も高いので、いろいろな防災活動や取り組みが行われるのですが、10年たつと外からのお金や、外から人がやって来て、行ってきた防災活動はほとんど続いてないことが確認できました。そうすると、そこに住んでいる人たちが続けていけるような防災のための活動というのは、どのようなものがよいのだろうかということを、あらためて考えさせられる機会になりました。インドネシアの場合は日本と違って、文章や石碑にして津波の経験を残すということはあまりしない文化です。イスラム教の国なので、大きな災害というのは神様からの罰だと思う人たちもたくさんいて、そういう経験をあまり思い出したくないという人たちも多いところです。そのため、あの時あれだけの被害が起きたのですが、あの時の被害を語り継ぐということが難しいのが現状です。東日本大震災の被災地でも、今年になって荒浜小学校が震災遺構としてオープンし、津波でダメージを受けた建物などを残しておいて、次の世代に伝えるための施設として活用していくことが行われていますが、州都のバンダ・アチェ市内にもそういう場所がたくさん造られています。その一つが津波博物館と言われて、津波がなぜ起こったのか、どういう被害があったのかということが過去のいろいろなデータや情報とともに収められている場所になります。また日本でも残すのか残さないのかが議論になった、内陸まで流されて残ってしまった船がありますが、そういうものも残されていたりします。このように震災遺構はいろいろ残ってはいるのですが、実際に学校の教育の現場でそれを活用することが難しいことが確認できました。
これから東日本大震災でも、いろいろな遺構がどんどんオープンしていきますが、どうやって子どもたちの学校教育の中で活用していくのかが課題として示されていることが、このバンダ・アチェの実情を見て確認できました。

防災のために「地に足着けて地球を考える」

防災をめぐる国際的な議論がありまして、2015年3月に仙台市で、国連による「国際防災会議」が開かれました。そこで「仙台防災枠組み」が採択されまして、2015年から2030年までの間に「防災や災害からの被害を軽減するために、何を達成したらいいのか」ということが示された枠組みができました。この枠組みに沿って国際社会は皆で協力をしながら、いろいろな防災活動に取り組んでいくのが、地球という観点から見たときの防災の大きな枠組みになっています。私の話の中で石巻や仙台市の取り組みの話をしてきましたが、このような日本の学校や地域で取り組んでいることも、この大きな仙台防災枠組みの活動の中に位置付けられていて、我々の日常的な防災活動が、実は国際的な枠組みにもつながっているということです。
そのような中で、私がずっと取り組んで専門としてやっている学校教育について言うと、今とても重要視されていることがあります。それは「災害に強い学校を造る」ということです。日本では、ほぼ100%の公立の学校の建物では耐震化が進んでいますので、大きな地震が来ても学校の建物がつぶれて子どもの命が失われるようなことはなるべくないように、限りなくゼロに近づけるような努力はされています。実はそのような日本でも、東日本大震災では「学校建物が丈夫でも学校の立地が海に近い所にあったら危険である」ことが確認されたように、学校の建物の耐震化だけでなく、立地を含めて災害に強い学校づくりが必要です。もう一つ重要なのは、避難訓練です。日本では避難訓練はよく行われていますし、関東圏では関東大震災のあった9月1日前後に、必ず地震・火災の避難訓練を行っています。このような避難訓練も、本当にその土地、土地に合った災害に対してきちんと役立てることができる避難訓練を行うことが重要です。それから、もう一つ大事なのは防災教育です。一般的に地震や津波がどう起こるかを知識として学ぶだけでなく、自分たちの暮らす地域では、今までどのような災害があったのか、どのような災害が起こりやすい地形をしているのかということを含めて、地域に根差した防災教育活動が必要です。
この災害に強い学校の建物、その地域に合った避難訓練、そして地域に根差した防災教育、この三つを合わせて包括的に取り組んでいかなければ、本当の意味では、災害時に学校で子どもたちの命が失われるという危険を減らすことができないということが、あらためて確認されています。今、世界的にそのようなことを推進するための支援活動がたくさん行われていますが、この三つが全体としてバランスよく取り組まれないと、災害の危険性は削減できないのだということを、今後も日本の経験も踏まえて世界に発信していきたいと思っています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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