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防災インタビューVol.143

経験を生かした防災 ~避難所生活からの学び~

放送月:2017年8月
公開月:2018年3月

柄谷 友香 氏

名城大学 教授

被災現場のリアリティ ~東日本大震災の現場から~

2011年に東日本大震災が起こってから、もう6年がたちます。私はその時、名古屋にいましたが、被災してから3日後には東北に1人で車を走らせて入りました。その後、道路の啓開されるのを確認しながら、上は青森から日本海側を通って、道路が開通するごとに南下していくというような形で、研究活動を続けていました。その際に、混乱している現場を見ながら、ふと自分自身の阪神淡路大震災での経験を思い出していました。壊れた防潮堤の上に座っていたら丸一日がたっていました。ぼぉーとしていて、何を考えたかと言うと「また繰り返してしまったな」と思いました。ハードで守ろうと思って、わが国の高い技術で頑張ってきていても、それを上回る津波が来てしまったということを実感しながら、もう一度、被災されている方々と共に暮らして、それを理解して共感した上で、そこからもう一度考え直してみようと思い立ち、岩手県陸前高田市という、大変大きな被害を受けた所の避難所で暮らし始めました。
陸前高田市のボランティアセンターに伺った際に、「どういった所でボランティアをしたいですか」と聞かれ、私は迷いなく「行政の手の届かない、住民の方だけで運営している避難所がないですか」と言いまして、陸前高田市の地区公民館を紹介されました。そこで水汲みや子どもの世話、高齢者の方との話し合いなどをしながら、そこが閉鎖するまでの3カ月間、ずっと皆さんと一緒にいることになりました。
今後来るであろう首都直下型地震や南海トラフ地震を想定しながら避難所についても考える中で、実際に大きな災害時には、避難所で助けに来てくれるのを待っていても、行政はなかなか来ることができません。そうすると、行政が支援する側で、被災した住民が助けられる側というような、その考え方自体がもう成り立たなくなってしまうのです。今回、私自身が現場で紹介された避難所に行った理由は、行政の手が届いていない場所で、どうやって被災者同士で避難所生活を乗り切るのかを学ぶことで、きっと私たちの将来への知恵やヒントがあるのではないかと思ったからです。それで避難所で生活を始めて、調査研究をさせてもらいました。
被災をしていない私自身を避難所に置いてくださったこの公民館では、毎日の日課は、自衛隊の運んでくる水を汲んだり、食事の準備をしたりということでした。避難所に送られてくる物資というのは皆さんご存じだと思いますが、食べたいものが送られてくるわけではなく、トマトが大量に来たり、あるいはうどんが大量に来たりします。それを目の前にして、みんなで「今日の献立を何にしようか」ということを考えていくのですが、結構皆さん楽しんで考えていけるような避難所でした。しかし、開設してから閉じるまでの3か月間、順風満帆に過ぎていったことばかりではなく、時には、やはり皆さん苛立ち、避難所にいる避難者と支援される方との間での諍いもありました。支援する側も、実は陸前高田市民で、お家は残っているけれども被災者で、被災者が被災者のために支援を続けている状況でしたので、これはすごく美しいことなのですが、やはり限界があります。支援する側もみんな疲れてきた頃、避難所に避難をしている方たち自身が、「やはり自分たちも何とかしなければ」ということで、自分たち自身で避難所の運営をしていこうという機運が出てきましたが、それまでには、やはり1カ月ぐらいかかりました。
その間、陸前高田の場合は大変たくさんの行政の方が命を落とされていて、みんな被災者なのですが、やはり避難者の方の苛立ちから、時には「早くここを出たい」「仮設住宅はどうなっているんだ」というぶつかり合いもたくさんありました。私自身は被災者ではなく、調査者としての立場で入っているのですが、被災された皆さんが、私に対して「とにかく被災するってこういうことだよ」ということを理解させようとしてくれたことがたくさんありました。そのうちの一つをご紹介しますと、例えば安否確認の遺体安置所に一緒に連れて行ってもらって、一緒に探しながら「これが現実なんだよ」ということを言ってくださったり、あるいは、被災地における現場、自衛隊の仮設風呂も一緒に入らせてくれて、「経験した方がいい、これが現実だから、でもあなたたちは絶対にこういう目に遭っちゃいけない」ということを毎日のように教えてくださいました。
また、この公民館では、女性たちがとても元気でした。ここは、東北の中でも沿岸部の気仙語という特有な言葉なのですが、正直に言って言葉がまず分からないことが多くありました。皆さん、わざと分からない言葉を喋って、私をネタにみんなで笑うということがよくあって、避難所にいる女性たちが、紙切れに気仙語の意味を書いた気仙語集を作ってくれて、今でもそれが手元に残っています。このように被災をしていない私を受け入れながら、「次にどこかで何かあった時に、この人はきっとその現場を支える人なんだ」ということを認識してくれて、普段私たちではできない経験をたくさんさせてくれました。そのことを深く理解し、共感し、次につなげることが私の使命であるということをこの避難所で教えられました。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。