1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報
  4. 防災インタビュー
  5. 想像力を生かした「防災」のための教育
  1. ホーム
  2. 東急沿線の地域情報
  3. 安心・安全情報

防災インタビューVol.150

想像力を生かした「防災」のための教育

放送月:2018年3月
公開月:2018年9月

岩田 孝仁 氏

静岡大学 教授 
防災総合センター長

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

プロフィール

現在は、静岡大学の防災総合センターのセンター長をしていますが、3年前までは静岡県庁で行政の職員として、長く防災や危機管理業務を担当していました。地球科学系の大学を出まして、それが縁で静岡県の職員になり、それから36年間、日本で一番長いかもしれませんが、ずっと防災行政をやってきました。私が県に入った頃は、東海地震説が出たばかりの頃で、まさに東海地震が明日起きてもおかしくないという状況で、防災対策、特に地震対策をどう組み立てるかという、まさに地域防災計画の地震対策編を作る算段をしている最中でした。
1978年に大規模地震対策特別措置法が制定され、その直後の1979年に私は県に入りました。今でこそ、全国のどこの自治体でも地域防災計画の中に地震対策が入っていますが、その当時は地震対策そのものがない時代でした。全国にお手本が何もない中で、マグニチュード8クラスの巨大地震がいつ起きてもおかしくない、それも静岡県の県民が住んでいる足元直下で起きるということを突き付けられた、まさにそんな時代でした。それもあって、危機管理や防災、特に地震対策行政に長く携わることになりました。

行政の中での地震対策の組み立て

私が静岡県庁に入った当時、地震対策課という課が出来て、18人のスタッフ総出でいろいろなことを考え、協議し、いろいろな機関と話し合いながら、地震対策を組み立てていきました。今でこそ、防災対策といえば、自助・共助・公助という言葉が定着してきていますが、当初はそのような考え方は何もありませんでした。災害対策基本法という法律はありましたが、この法律では、例えば国や県や市町村、防災関係機関などの、いわゆる防災を業務として行う機関が、それぞれどのようなことをやる必要があるのか、どのようなことを計画していくのか、その責任と義務をきちんと書いていくというのが基本的な流れです。それに基づいて地域防災計画が、当時各自治体で作られました。
静岡県には当時360万弱の人が住んでいましたが、東海地震などの大規模地震が起きると、静岡県民全員が震度6~7の真上にいることになります。その当時は耐震性がない家に住んでいたので、多くの被害を受けることになりますし、津波も数分で到達することが予想されます。そういう中にあって、「じゃあ、どうすればいいんだ」ということになりました。当時の災害対策法の概念で言うと、救助をする、支援をするというのは行政の役割ですので、災害で家が流されたりつぶれたりした人を救助するのは基本的に国や県、市町村などの公の機関の役割です。しかしながら、360万人を行政が助けるということはできないのです。そうすると、やはり一人一人、自らが立ち上がってもらわなければいけません。一人一人では何もできないので、地域みんなで助け合うことが必要だということで登場したのが自主防災組織です。そこから、必死になって地域の自主防災組織をみんなで作りました。従来の地域防災計画では、県は何々をします、市町村は何々をしますということが書かれていましたが、それと同じように、地域の自主防災組織を主語にした計画を作っていきました。例えば、初期消火や初期の救助活動は、地域の防災組織がやることにしました。それから被害情報などの情報収集も地域の自主防災組織が情報班を作ってやります。また、大きな災害が起きたときに、避難所を開設するのは市町村の責務ですが、その運営は、市町村の職員がみんなで行ってやっていても間に合いませんので、地域の自主防災組織が協力し合って避難所を運営するというふうに書きました。行政が主語になって書かれていた従来の防災計画と全く違う書き方をしたわけです。それは今でも生きています。

行政からではなく、自らが主体となる防災

熊本地震の際に私も現場に行きましたが、そこでは市町村の職員が一生懸命避難所を運営しており、被災をした住民が市や町の職員に向かって、「早く給食を手当てしてほしい」「いろいろなものが足りないから持って来てもらいたい」と要求を突き付け、それに応えようとしている市や町の職員がいました。しかし、そんなことをしていると、本来、市町村の災害対策本部でいろいろな調整をしなければならない職員が、避難所に手を取られてしまい、被災者の救助活動のために関係機関と調整をしたり、応援を呼んだりというような本来の業務ができなくなります。例えば家が壊れた人たちに対しては罹災証明を出さなければ、先に進めないのに、その罹災証明を出すための事務すらできなくなってしまって、ずっと遅れてしまいました。やはり、まずは地域の人たちが自ら避難所を運営して、炊き出しなどを行っていくことが大事です。
静岡県では地域防災計画の中に言葉で書くだけではなく、そのための資機材を各地域の自主防災組織に準備してもらいました。県や市町村で補助金を出して、炊き出し用の大きな釜や初期消火用の可搬ポンプ、水を確保するための簡易の濾水機などを自主防災組織に整備してもらって、それを使って防災訓練をやるということを常識にしてもらいました。このように静岡県においては、いわゆる共助である自主防災組織が、防災計画の主語になっています。それと同じように県民自ら、市民一人一人が、例えば3日分の非常食などの食糧、飲料水を市民の責任として備蓄するようにしました。家の耐震化、家具の固定などの対策をするのも、一人一人の責任としてやるようにしました。今は一般的に、自助・共助という言葉を使っていますが、住民自らが防災計画上の主語となり、自主防災組織が地域防災計画の中で、県や市町村と並んで主語になるということが、静岡県が地震対策を進めるために一番最初に取り組んだことです。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。