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防災インタビューVol.150

想像力を生かした「防災」のための教育

放送月:2018年3月
公開月:2018年9月

岩田 孝仁 氏

静岡大学 教授 
防災総合センター長

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

「南海トラフ巨大地震」がもたらすもの

2018年1月1日付で政府の地震調査研究推進本部が、南海トラフ巨大地震の発生確率を見直しました。今後30年以内の発生確率が70~80%という数字に変えたのですが、これはとんでもない非常に高い確率です。しかしながら、世の中ではあまりそういう認識を持っていません。 私は静岡にいますが、静岡から紀伊半島、四国、九州にかけて、もし南海トラフの地震が起きると、相当大きな被害を受けるわけです。政府の調査会議が以前公表した被害想定でいうと、災害の死者が32万人になっています。静岡県内での犠牲者の予測が10万9千人ですので、全体の3分の1は静岡県内の犠牲者で、和歌山県でも予測は8万人ということで、大きな犠牲者を出すわけです。南海トラフ巨大地震というのは、言葉としては皆さん耳にするようになってきたのですが、具体的にそれが日本全体にどんな影響を与えるのかということは、あまりイメージされていないのではないかと思います。
実は静岡県というのは、東海道新幹線が県内を東西に走っています。東名高速道路もありますし、最近は新東名高速道路も開通しました。その上、もともと国道1号線、JR東海道本線など、いわゆる日本の東西を結ぶ大動脈のかなりの部分が静岡県内を通過しています。もし南海トラフ巨大地震が起きると、この場所が震度7ぐらいの激震に見舞われるわけです。プレート境界の北の延長上の陸に上がった、富士川の河口付近の、この交通が集中しているところに富士川河口断層帯という活断層があります。この富士川河口断層帯は1850年の安政東海地震の時に3mぐらい上下にズレ動いています。こういった所を新幹線は超高速で走っているわけです。今のぞみの本数が増えて、昼のピーク時間では4分に1本ぐらいのペースで上り下りが行き来しているわけです。東名高速道路も、新東名高速道路もそこをまたいでいます。そういった大動脈がまたいでいる所に激しい揺れと断層の変異が生じると、やはりどうしても寸断されます。
静岡には産業が結構あり、実は製造業の出荷額は全国3位です。2位が神奈川県で、愛知県がダントツで全国1位。第4位の大阪を含めて、日本の製造業のかなりのウエイトがひしめいている所が、実は南海トラフ巨大地震が起きると、大きなダメージを受けることになります。南海トラフ巨大地震というのは、ある意味では震源域もある程度想定しながら、被害想定も出てきているわけです。日本の西側半分が非常に大きな被害を受けるというイメージがかなりきちんと構築されてきている一方、現在そういった環境にあるということがなかなか国民全体の中で理解されていないということもあります。もしこの状況で大地震が起きれば、日本の国難になるのではないかと考えています。

来たるべき地震に備えるために

もう1つやっかいなのが首都直下地震です。しかし、この首都直下地震というのは実はよく分かっていないことも多く、何となく「首都直下、都市直下で巨大地震が起きる」と言っていますが、具体的にどこの断層が動くのか、その断層がどうなるのかはよく分かっていません。ただ過去の歴史を見ると何回か江戸の直下や首都圏の直下で地震があったことは事実です。例えば一番近いのは、1923年の関東大震災でこれは相模湾で起きた巨大地震ですが、東京の首都圏だけで10万人を超える犠牲者を出しました。安政2年には安政江戸地震が起こりました。これも震源についてはよく分かりませんが、江戸の直下で起きた大きな地震です。このような地震が現代社会で首都直下で起きるとすれば、大変なことになります。多分これも国難に近いのではないかと思っています。
南海トラフにしても首都直下にしても、いずれわれわれ日本国として迎え打たなくてはいけない非常に最悪な地震災害です。こういう事態に備えて、今頑張らなければいけません。耐震化というのは年を重ねて、経費を掛けてやればどんどん進んでいきます。一方で人を育てるというところは、放っておけばどんどん人の意識というのは低下してしまいます。ここを何とかしていかないと、対策は進んではいきません。そのためにも防災について考えられる人をもっともっと増やしていくということが大切で、これは静岡県だけの問題でも、南海トラフ地域だけの問題でもなく、日本全体で取り組んでいかなければならない問題だと考えています。
東日本大震災の被害を受けた沿岸域では、実は過去の津波の教訓がたくさん残されていました。例えば私たちが支援に入った岩手県の沿岸では、昭和8年の三陸津波の後、昭和10年に建てられた「津波の碑」がいろいろなところにあります。そこには「津波に追われたらどこでも高い所に逃げろ」「ここより下には家を建てるな」ということが書かれており、まさに津波が浸水した場所ギリギリの所に石碑が建っていて、ここより下にはもう家を建てるな、住むなということを記して、教訓を残していきました。実はみんなその石碑の存在を知っていたのですが、実際にはその教訓は生かされてはいませんでした。当時、私がこの町に入った際に、山田町の町長が、「みんな津波のことを知っているんだけれど、なんでこんなにたくさんまた犠牲者を出してしまったんだ。この教訓ってどうやったら後世に引き継げるんだ」ということで本当に悩んでいました。その教訓を後世に引き継ぐためには、「やはり人を育てていかなければならないのだ」ということを強く感じました。
こういった巨大地震を、いずれわれわれは迎え打たなければなりません。その時に向かって今耐震化も重要ですし、防潮堤を造ったり施設整備をするなど、ハードの対策も重要なのですが、それと同時にやはりソフトの対策も重要です。その一番の要は、やはり「人を育てていく」「防災についてきちんと実行できる人を世の中にたくさん育てていく」ということだと思います。それを目指して、みんなで頑張っていかないとこの国難を乗り切れないのではないかと考えているところです。ぜひ積極的に防災について考えられる、それから実行できる人を増やしていただければと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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