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防災インタビューVol.150

想像力を生かした「防災」のための教育

放送月:2018年3月
公開月:2018年9月

岩田 孝仁 氏

静岡大学 教授 
防災総合センター長

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

「減災」ではなく、「防災」を考える

現在は、防災関係者の間だけでなく、いろいろな所で「減災」という言葉が定着しています。実は、以前私が静岡県の防災行政をやる中で、いち早く行政の主たる目標として「減災」という言葉を使い始めました。そして「減災」という言葉は、阪神淡路大震災の直後によく使われるようになってきました。従来ですと、「防災」という言葉を何となく使っていたのですが、事前にできることをきちんと対処して、少しでも被害を減らすということで「減災」という言葉を使い、全体としてはハードとソフトを組み合わせて被害全体を少なくしていくという考え方で、その最終目標はやはり被害をゼロにするということだったと思います。しかしながら、ここにきて、実は「減災」という言葉を使っていると、いつまでも被害がゼロにならない、いろんなところで甘えの構図が出てくるということに気が付きました。そこで今は、しきりに、「減災」ではなくもう一度「防災」を考えて、災害を引き起こさない、拡大させない防災社会を作るために、もう一回原点に帰ろうということを訴えているところです。やはり、最終的には災害そのものを防いでいきたいと思っていますし、自然災害で人が亡くなったり、構造物が壊れたり、建物がつぶれたりすることをなくしていかないと本来の被害がゼロにはならないと思います。

「減災目標」を立てるだけでは被害は減らない

1995年の阪神淡路大震災の直後に、静岡県も「減災」という言葉をキーワードに、当時10年かけて被害を半減するという減災目標を掲げた地震対策アクションプログラムを作りました。具体的には、耐震化施策は毎年このように進めていって10年後にここまで目指すとか、津波の防潮堤もこうやって作っていって最終的にここまで目指すというような、いろいろな事業計画を作って、10年かけてトータルすると被害が半分になるという目標を作りました。
その後2011年の東日本大震災の直後にも、もう一度そのアクションプログラムを見直して、地震津波に対するアクションプログラムを作り、そこでも減災目標を掲げました。当時から今でも静岡県の知事をされている川勝さんと協議をする中で、南海トラフ巨大地震で想定される静岡県の犠牲者は10万人とされていますが、10年かけて8割減らして、犠牲者を2万人にまで減らそうということで減災目標を掲げました。それはそれで正しいのですが、実はその裏側で、それでも2割の犠牲者は残ってしまうことになります。それでは駄目なのだという思いも持っています。

「防災」における甘えの構造を排除する

減災目標というのは、どうしても甘えの構造が出てきてしまいがちです。実際にこれは市民レベルでも言えることで、例えば家の中での家具の固定を考えたときに、本当は倒れる可能性のある家具は全部固定するのが本来の目標ですが、中には取りあえず寝室だけ、子どものいる部屋だけ固定しておけば、取りあえずいいだろうというふうに考えている人が多いのです。静岡県民の意識調査のアンケートをやると、7割以上の方が「家具の固定している」と言っていますが、「全部留めている人は?」と聞くと14%ぐらいになってしまい、この数字は実はなかなか増えず、いつまでたっても家具の固定率は上がっていきません。結局それは何かというと、「取りあえず家具の固定をしているからいいだろう」「一部でもやっていれば、全部する必要はない」と思ってしまうからです。「家具の固定をしていますか?」と聞くと、「まあ、ちょっとやっているからこれで私達は大丈夫」というような甘えが出てきます。耐震補強などもそうです。一部でも補強していれば、取りあえず「良し」としてしまいます。
このことは行政の中にも同じように出てきています。頑張っていろいろ対策をするけれど、最終的には、「どこか被害が残っていても仕方ない」というふうに思ってしまう人たちがやはり出てき始めました。それが先ほど言った減災目標の「10年かけて犠牲者を8割減らす」ということです。「8割減れば、取りあえず目標達成したからいいんだ」ということになり、それを100%ゼロにするというところまでたどり着かなくなってしまいます。やはりわれわれは犠牲者をゼロにするというところまできちんと筋道を立てて、目標に掲げていくというのが本来の姿ではないかと思います。そう考えると、「減災」というのは決して間違った使い方ではないはずなのですが、「減災」と使った途端に甘えの構造が見え隠れし始めるので、やはり「犠牲者をゼロにする」「被害をゼロにする」ということを目標にしたいと考えています。「そんなのは不可能だ」と言われる方が結構いますが、われわれ人類がこれまでいろいろな災害に対して、いろいろな考え方や知恵を出してきているわけですから、その総力を挙げて頑張れば、「災害による被害をゼロにする」「災害で犠牲者を出さない」というところまでなんとか持っていけるのではないかと思っています。やはりそこに向かってみんなが努力していかないと、いつまでも中途半端な防災対策になってしまうという懸念を今抱いているわけです。
災害が起きてから応急活動を頑張れば何とか救助をたくさんできるということも重要なのですが、やはり原点は「被害を出さない」ということを目指さないと、どうしても災害が巨大になればなるほど、対応は後手後手に回ってくるわけです。その上、社会がいろいろと複雑になってくると、原点、元のところを1つずつつぶしていく、要するに1つずつ対応していって被害を起こさないように考えていかないと、やはり全体が安全にはなっていかないということです。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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