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防災インタビューVol.162

三陸沿岸の津波被害から学ぶ防災

放送月:2019年3月
公開月:2019年9月

佐藤 健一 氏

アジア航測株式会社
東北インフラマネジメント技術部
地域創生課 技師長

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

逃げ切れると思われていた三陸沿岸の地震津波

三陸沿岸で地震によって起きる津波というのは、津波自体のおよそ9割で、ほとんどが地震によって起こっています。実際に地震が起きて津波がやってくるまでは、三陸沿岸、特に気仙沼市ですと比較的時間の余裕があります。早くても20分、30分という時間があるので、その間に避難できれば、津波での人的被害はゼロにできると思っており、それに基づいて、対策を立てていました。南海トラフですと、津波の到達時間が非常に短いのですが、三陸沿岸に限って言えば、時間的余裕があって、高台や一時避難ビルまで逃げる時間が10分程度はあり、徒歩で逃げても何とか逃げられる余裕があるため、それを徹底していけば、人的被害はゼロにできるだろうという思いを持って取り組んでいました。

しかしながら、現実的には全く違ったものになってしまいました。それまでは、津波到達前に安全エリアに避難するということをいろいろな形で学んできました。ワークショップや講座、実際の訓練などによって学び、確実に避難するということに力を入れてきたという経過があります。しかしながら現実的には、東日本大震災の2日前にも大きな地震があって津波警報が出たのですが、実際には大きな津波は来ませんでした。そのため、「地震があってもそんなに大きな津波は来ない」という思いを持った方もおられるかもしれません。

もうひとつ、逃げなかった原因には、危険が迫っているにもかかわらず、「自分は大丈夫」「まだ大丈夫」だと思ってしまう「正常化の偏見」「正常化バイアス」というものがありました。そういうものを事前にもっと取り去っておく必要がありました。

また、ワークショップなどをやってはいましたが、その地域にいる100人のうち、現実的にそこに出てくるのは20~30人で、参加していない残りの人が、まだ70~80人いることになります。その人たちに対しても「避難しなくてはいけないんだ」ということを徹底して伝えるということをもう少しきちっと、しつこいぐらいにやる必要があったのだと思っています。実際に警報が出ても、「まあ来ないだろう」と思って避難しない方が多いけれど、それでは駄目だということは話してきたつもりでしたし、住民の方たちと一緒に考えてきていたつもりだったのですが、結果的には「まあ来ないだろう」「まだ時間的には大丈夫だろう」と思ってしまった方が多分たくさんいたのだと思います。また、いったんは急いで逃げたけれど、忘れ物をして戻ってしまった方がいたり、「自分は大丈夫だから、皆さんは逃げなさい」と言っている人に対して、「それでは駄目だから一緒に逃げよう」と説得している間に時間を取られて、家族の人も一緒に被害に遭ってしまった方もいたということも聞いています。

東日本大震災の津波

東日本大震災では、3月11日の14時46分に地震が始まり、3分ぐらい揺れが続いた非常に大きい地震でした。その中で、一番最初に思ったのは、「確実に津波が来る」という思いでした。ただし、頭に浮かんだのは「宮城県沖地震がやってきた。連動型の地震が起きた」というイメージで、それ以上の津波が来るという思いは、その時点ではありませんでした。「3分の揺れというのはちょっと長すぎる」という感じを持ちながらも、初動は宮城県沖の津波に備えていた対応で動き出したのですが、結果15時36分に市役所の所まで津波がやってきました。これまでに、いろいろシミュレートしたものでも、市役所の所まで津波が来るというものはありませんでしたし、過去においても市役所の所まで津波が来たというような記録はありませんでした。そこに津波がやってきて、初めて「これは私たちが想定していない地震津波だ」ということに気付かされますが、湾の奥に入った所に市役所は建っているので、そこに津波が来るということは、もう沿岸部は既に津波に襲われているということになります。ですからその時に思ったのは、「何とか沿岸部の人が逃げてくれればいい」「逃げていてくれればいい」という思いでした。

結果的には想定を超えた津波だったわけですが、特に大きい災害の場合は、情報が入ってくるのも遅れがちになります。最初の気象庁の発表では、14時49分に地震が発生したということですが、実際は私たちがそのデータを入手するのはそれから2~3分後です。その時の発表はマグニチュード7.9で、これは想定していたマグニチュード8クラスの宮城県沖地震と同等だということでした。私たちがまず一番知りたいのは地震の大きさで、それによって津波の大きさを想定します。そこで震源の場所も分かれば津波の到達時間も大体分かってきます。ところが実際に入ってきたのは、マグニチュード7.9という情報と、ちょっと遅れて入ってきたのは宮城県、それから岩手県で津波の予想高3mという発表です。3mであれば、私たちの想定していた宮城県沖の津波よりはるかに小さいことになります。それならば大丈夫だと思ったのですが、それがどんどん変わってきました。私たちが一番欲しかったのは、沖合の津波計のデータで、そのデータを見ることで、私たちでも津波の大きさが想定できるという思いがあったのですが、通信ラインの電源が切れてしまったために、津波計のデータだけでなく、その他のいろいろな情報も全く入ってこなかったのです。このように最初の段階で、全く情報が入ってこないために、仕方なく状況を想像しての災害対応ということになってきます。「こういうことが起きているかもしれない」と想像しながら、目の前で起きている事象、例えば、どんどんものが流れてきて倒されている状況を見ながら、実際の災害を想像し、それに応じた対応をやっていくしかないわけです。「他の地域はこうだろう」ということを想像しながら対応している状況、それがあの時の想像を絶するような中での対応でした。これは、防災計画で想定していたものの限界、想定外というのにもつながるかと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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