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防災インタビューVol.162

三陸沿岸の津波被害から学ぶ防災

放送月:2019年3月
公開月:2019年9月

佐藤 健一 氏

アジア航測株式会社
東北インフラマネジメント技術部
地域創生課 技師長

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

プロフィール

私は、東日本大震災の時は気仙沼市の職員として防災を担当していましたが、現在はアジア航測株式会社で技術職として仕事をしています。

昭和51年3月に学校を卒業後1年間民間で働いてから、その翌年に市役所に入り、水産課で漁港のハードの防御施設を作るという仕事を約22年してきました。その途中からソフト事業の関係の仕事をやり始め、最終的には退職まで防災のソフト対策をする部署におりまして、少し早めに退職して、現在の会社に入りました。

気仙沼市役所で防災のソフト対策をする部署にいた時にやっていたのは、地震が発生した際に起こる津波から避難するための仕組み作りを住民と一緒に作っていく仕事でした。

三陸沿岸での津波被害とその対策

気仙沼市というのは三陸沿岸の一部になります。三陸沿岸では、どういう自然災害があるかというと、「自然災害=津波」という対応になるのですが、震災前は具体的にどういう対策がなされ、東日本大震災は現実的にどうだったのか、それまでの対策がどう生かされたか、どんな課題があったのか、その中で震災後に進められている復旧、復興が今どういう形でなされているのか、今後の防災に対して、あの経験を踏まえて、どういう形で構築し直さなければならないかということについてお話しさせていただければと思います。

まず最初に、三陸沿岸の過去の津波に関しては、近代からの災害が主な災害になります。明治29年に三陸津波があり、その後、昭和の三陸津波というものがありました。明治の三陸津波は、地震の揺れが今で言うと震度1から2程度という非常に小さい揺れでした。しかしながら東日本大震災と匹敵するぐらいの被害がありました。今でもメカニズムとしては分からない部分が残っているのが明治三陸なのですが、気仙沼地域でも約20mの津波がありましたし、岩手県の現在の大船渡市の綾里という所では38.2mの津波高になっています。この津波は地震の揺れがほとんどなく、引き波からやってきました。その後の昭和8年、1933年の三陸津波は、非常に大きい地震の揺れがあって、押し波からやってきました。引き波がなく、押し波から始まったわけですが、昭和の三陸津波は明治の三陸津波の経験や啓発する部分がまだ生きていたことによって、被害はある程度小さくて済んだと言われています。またその後の1960年にチリ地震津波がありました。この地震は前世紀最大のマグニチュード9.4~9.5という大きい地震でしたが、日本列島では地震の揺れのないまま、津波が約23時間後に三陸を襲い被害を受けました。三陸は津波の常襲地帯だという言い方をされていましたが、来る度に津波の顔が違っていました。その中で、この地域に住む人たちは「津波に習うんだ」というような思いで防災対策に努めてきたというようなところもあります。三陸だけでなく、南海トラフなどでは、南海、東南海、東海とか四国とか紀伊半島、東海という地域も、また過去においてかなり大きい津波が何度も襲ってきていますので、日本列島については、常に津波の被害に備えなければいけないというのが実態だと思います。

これらの過去の津波の被害を教訓として、本格的に津波対策が始まったのは、大体近代に入ってからになるわけですが、特に本格的に始まったのは昭和三陸地震津波以降になります。昭和三陸からチリ地震津波までの間が第1期で、対策の主なものは高地移転でした。昭和16年に津波予報が三陸沿岸で始まり、その後の第2期、チリ地震津波からの40年近くは、構造物によって災害を防ぐというような対策になるわけです。それから津波警報というものが作られました。また1997年以降の第3期になると、「総合的防災」ということで、ハードの構造物だけではなくて、仕組み作りや避難のためのシステムなど、総合的な対応を行いました。東日本大震災前は、国から発表されていた宮城県沖地震とその連動型の南部海溝寄りの地震によって起こる津波を想定して対策が取られており、その中では、「人的被害はゼロにできる」という思いで取り組んできていました。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。